配信日時 2018/12/03 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(16)】「海軍仕事術(その2)日本海軍の伝統『率先垂範と陣頭指揮』」 ─掛け声やジェスチャーだけでは人は動かぬ─ 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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堂下さんのデビュー作
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
への読者反響の一部です。

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「難しい内容をかみ砕き、例示も豊富、コンパクトにまとまって
いる」

「早速、大学の授業で活用、図書館にも入れさせてもらいました。
経営戦略、組織コミュニケーションにも有益な内容です。」

「作戦を組立てる側から理解でき目から鱗でした。防衛、外交関係
者、さらには一般の読者にとっても有益な内容を、詳細かつ分かり
やすくまとめられている。」

「政府機関の政策決定や企業経営者の意思決定にも、広く応用で
きるヒントが含まれている。」


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『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/



こんにちは、エンリケです。

「海軍仕事術」の二回目です。
きょうは、山本五十六も取り上げられていますが、
元帥の戦死直前のきわめて興味深い話が取り上げられています。
古来から受け継がれてきた「武の教養」の発露という感じがし
ます。

米内大将のことばも含蓄があります。
「自称率先垂範」の暑苦しさに閉口した経験を持つ部下は、
私も含めてたくさんいるはずですw

有名軍人の知られざる一面を垣間見れる逸話や教訓。
一般には名が知られていない名軍人たちの言葉や教え。

この種の宝物に接することのできるのは、
本連載ならではの特権です。本当に面白いです。

あなたはどう思いますか?


エンリケ




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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(16)】

「海軍仕事術(その2)日本海軍の伝統『率先垂範と陣頭指揮』」
 ─掛け声やジェスチャーだけでは人は動かぬ─

 堂下哲郎(元海将)
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□はじめに

今回のこぼれ話は、「右、左」の話の締めくくりとして、陸上の
「右側通行」についてお話しします。

中世ヨーロッパでは、ローマ法王の布告によって、左側通行が強
制されていました。ほとんどの人の利き手である右手を自由に使
い、左胸にある心臓を守るための自衛手段と考えられたようです。

馬に乗る時は、左腰の剣が邪魔にならないように馬の左側から鞍
をまたぐ乗り方が楽なので、騎士が出かけるときには、馬は左側
が玄関に面するように引き出されました。そして右手に持った鞭
を使う空間を保つために、自然に左に寄って進むことになったと
考えられています。こうして馬も左側通行が定着しました。

そこに起きたのがフランス革命です。革命では法王や王室の決め
たものには何でも反対し覆しました。そしてそれまでの騎士道戦
法を裏返して勝利したナポレオンの統治がそれに輪をかけたとい
われています。フランスの町々では次々に右側通行条例が生まれ、
それが大陸各地に広がっていったのです。

一方、アメリカとカナダでは最初から右側通行でした。開拓途上
のアメリカ大陸では、幌馬車を使うことが多く、数頭立てで走る
ときには、右手での鞭の使いやすさから後尾左側の馬に御者が乗
ったので、他の幌馬車とすれ違う場合は右側へ寄せる方が安全で
自然に右側通行になりました。飛行機の機長が左席に座るのはこ
の幌馬車の御者の伝統ともいわれています。(ヘリコプターは逆
なのですが、これは別の機会に)

このように多くの国で右側通行が定着した一方で、ナポレオンの
征服を免れたイギリス、スウェーデン、ボヘミアの諸国はその後
も左側通行を維持しました。イギリスの制度を導入した日本や植
民地となった国々でも左側通行になっています。このように政治
の影響が大きい陸上に比べると船の運航上の合理性からルールが
作られた海の世界は面白い対比になっています。

さて、前回は海軍仕事術の第1回として伝統についての色々を述
べました。今回は海軍仕事術の2回目として「率先垂範・陣頭指
揮」について紹介します。海軍の伝統とされるもののうち、リー
ダーの立居振る舞いについての教えです。


▼率先垂範

部下の先頭に立って範を示す。率先垂範のスタイルはリーダーの
数だけあると思いますが、単に部下と同じことをして見せるだけ
では、部下はついてこないでしょう。少尉候補生として練習艦
「宗谷」に乗艦中、分隊長であった若き日の山本五十六の指導を
受けた桑原虎雄(海兵37期、のち中将)は次のように回想してい
ます。

「高野(山本の旧姓)大尉は一度も部下を叱らぬ人であった。そ
して何に依らず自分で先頭に立って実行された。別に余に見習え
という意味で行動せられたのではない。垂範のための垂範ではな
く、只職務に忠実なのであるが、部下は自然その実行を見習った。
率先垂範が元帥の場合は全く永続的で最後まで少しも変わらず、
随(したが)ってその感化力は無限であった」

良い部下に恵まれ、彼らを叱らずに済んだ山本は幸運だったと思
いますが、艦艇のような運命共同体で団結力の強い組織では、部
下は上司からの指示や命令を待っているものです。おそらく高野
大尉の統率は「俺の背中を見ろ」とでもいうべき、無言のうちに
無私奉公の態度を身をもって示すことにより部下を感化するもの
だったことが伺えます。

 昭和14年に練習艦隊で作成された「海軍次室士官心得」には、
若い士官の心がけが色々と示されています。その中から率先垂範
に関係する部分を引用します。実際の情景が浮かんでくるようで
す。

第六 部下指導
1 つねに至誠を基礎とし、熱と意気をもって国家保護の大任を担
当する干城(かんじょう、城となって国家を守護する武人のこと)
の築造者であること心がけよ。「功は部下に譲り、部下の過ちは
自ら負う」は、西郷南洲翁が教えたところである。先憂後楽とは
味わうべき言であって、部下統御(統率)の機微もここにある。
統御(統率)者たる我々士官は、常にこの心がけが必要である。
石炭積みなど苦しい作業の時には、士官は最後に帰るよう努め、
寒い時に海水を浴びながら作業した者には、風呂や衛生酒を世話
してやれ。部下に努めて接近して下情に通じること、しかし、部
下を狎(な)れさせるのは最も不可であり、注意すべきである。

3 率先躬行(きゅうこう、垂範)部下を率い、次室士官は部下の
模範たることが必要だ。物事をするにも、常に他の人に先んじ、
難事と見たならば、真っ先にこれに当たり、決して人後に遅れな
いという覚悟が必要である。また、自分ができないからといって、
部下にやらせないのはよくない。部下の機嫌をとるようなことは
絶対禁物である。  

4 兵員の悪いところがあれば、その場で遠慮なく叱咤せよ。温情
主義は絶対禁物。しかし、叱責するときは、場所と相手とをよく
見ること。正直小心の若い兵員を厳酷な言葉で叱りつけるとか、
下士官を兵員の前で叱責するなどは、百害あって一利なしである。 

▼陣頭指揮

 「率先垂範」が部下に対するものであるのに対して、作戦にお
いては「陣頭指揮」という言葉で言い表せると思います。日本海
軍においては、指揮官は最前線に赴き、艦隊の先頭で陣頭指揮を
するのが伝統であり、これは戦術的にも理にかなったものでした。
指揮官が先頭艦にいれば、敵と遭遇し砲戦になり、戦列が乱れた
り通信が不通になっても旗艦のマストに将旗を翻して「指揮官こ
こにあり、我に続け」とばかりに列艦を率いて戦い抜くことがで
きたのです。
 
そもそも最高指揮官が最前線に立つことは最大の危険にさらされ
ることを意味します。戦闘中の指揮能力を維持するという観点か
らは指揮官の旗艦を防護された中央部に置く海軍もありましたが、
日本海軍は精神的意義を重視したということです。

日清戦争の黄海海戦、日露戦争における日本海海戦などいずれも
連合艦隊司令長官以下、指揮官たちはそれぞれの旗艦において陣
頭指揮をとりました。太平洋戦争においても海戦の現場の艦隊で
は同様でした。ただ、戦場が広大となったことから、連合艦隊司
令長官はミッドウェー海戦を除いて広島湾の柱島やトラック島な
どの後方基地に停泊している旗艦において全作戦を指揮しました。
これは作戦上の要求からそのようにしたまでで、山本長官が折に
ふれて前線の部隊に赴いて将兵を激励したことは以前の連載で紹
介したとおりで、陣頭指揮の精神は何ら変わっていません。
 
少し脇道に逸れますが、山本長官が乗機を撃墜され最期を遂げる
こととなるラバウルに進出する直前のエピソードを紹介します。
参謀が「とうとう最前線に出られることになりましたな」と言っ
たのに対し、山本長官は「そのことだよ。近頃内地では陣頭指揮
とかいうことが流行っているようだが、本当を言うと、僕がラバ
ウルに行くことは感心しないことだ。むしろ柱島に行くのなら結
構なのだが。考えても見給え、味方の本陣がだんだん敵の第一線
に引き寄せられてゆくという形態は、大局上芳しいことではない。
勿論攻撃のためまた士気鼓舞のための行動とこれとは、全く意味
が違うが…」と答えたそうです。指揮官の居場所について、統率
と作戦指揮の観点からどのように考えればよいのか、山本長官の
最期となっただけに大変興味深いエピソードです。

本題に戻ります。上村嵐氏(海機47期)は『海軍将校人材教育』
で、最高指揮官はみずから最大の危険を冒して陣頭指揮を敢行し
たが、部下の生命に対してはきわめて慎重であったとして、次の
ように述べています。

「日露戦争における旅順口閉塞の壮挙も、決行後の閉塞隊員収容
の方法が確立するまでは、東郷司令長官はこれを許さなかった。
また、今次大戦劈頭、真珠湾攻撃における特殊潜航艇の強襲も、
乗員収容の方策立つにおよんではじめて山本司令長官はこれを許
した。
かくのごとく、最高指揮官みずからは最大危険に直面し、部下は
一兵たりとも徒死せしめずとの統帥の伝統が、日本海軍をして最
後まで一糸乱れず結束をかためしめた主因であろう。戦場におけ
る陣頭指揮主義は、平時においては、上司の垂範、実践躬行とな
って現われた。かくして下は上を敬し、上は下を信じ、同心協力
融合一致して、職務に精励した」

上村氏は、このような統率上の美風は、日本海軍の戦闘の最小単
位であり艦長を家長とする大家族の一家である軍艦において最も
顕著に見られ、ひいては陸上の官庁にもあまねく普及したとして
います。

▼率先垂範についての戒め
 
 以上みてきたように、率先垂範・陣頭指揮は日本海軍の伝統と
されていますが、米内光政内閣総理大臣(海兵29期、大将)が、
戦局が悪化した昭和18年、『常在戦場』で次のように戒めていま
す。

「世には陣頭指揮をはき違え、或いは名誉心等のために、当然部
下のなすべきことを自ら実行して得々たる人がある。海軍で例え
て云えば、司令官は司令官の職務、艦長は艦長、分隊長は分隊長
の職務を全精魂を傾けて遂行すれば、それが即ち率先垂範、いわ
ゆる陣頭指揮である。艦長が部下の士官・下士官兵に混じってそ
れらの職務を共同遂行したからといって、それは率先垂範でもな
ければ陣頭指揮でもない。そんなことをしたら艦を動かすことも、
艦隊行動もできない。掛け声やジェスチャーだけでは人を動かす
ことはできぬ」

 戦時下においてなお、冷静な見方だと思います。海軍には、
司々(つかさつかさ)で役割をしっかり果たすという意味で「分
を守り、分を果たす」という言い方がありましたが、まさにその
教えだと思います。


(つづく)


(どうした・てつろう)


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【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 

 
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