配信日時 2018/11/26 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(15)】「海軍仕事術(その1)伝統について」─「前動続行」に陥らず「独善」を排す─ 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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堂下さんのデビュー作
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
への読者反響の一部です。

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「難しい内容をかみ砕き、例示も豊富、コンパクトにまとまって
いる」

「早速、大学の授業で活用、図書館にも入れさせてもらいました。
経営戦略、組織コミュニケーションにも有益な内容です。」

「作戦を組立てる側から理解でき目から鱗でした。防衛、外交関係
者、さらには一般の読者にとっても有益な内容を、詳細かつ分かり
やすくまとめられている。」

「政府機関の政策決定や企業経営者の意思決定にも、広く応用で
きるヒントが含まれている。」


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『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/



こんにちは、エンリケです。

きょうから、「海軍仕事術」がはじまります。

いわゆるハウツーでなく、
ハウツーのその奥にあるもの、
核にあることを解説されています。

現役自衛官の方を想定された内容と思いますが、
そうでない読み手にも響くのはなぜでしょうか?

「ものごとの核心」を書かれているからです。

だから、どんな人でも、自らの人生に応用できる
部分を発見できるのです。

「イングランド海軍の歴史」以来、ここまで濃くて深くて
面白い海軍文化論を読むのは初めてです。

いや、わが海軍の歴史伝統文化を語られているわけですから、
「わが海軍文化論」の名に値する、日本人の養分として役立
つ唯一のクオリティを持つと言って差し支えないかもしれま
せん。

「前動続行」は、不断の改善、イノベーションを求められる
ビジネスの世界にも共通しますね。


あなたはどう思いますか?


エンリケ

追伸
「伝統墨守、唯我独尊」に関する考察を見たのは初めてです。
我が国における軍事文化論研究のますますの発達・進化を望
むばかりです。



ご意見・ご感想はコチラから
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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(15)】

「海軍仕事術(その1)伝統について」 
 ─「前動続行」に陥らず「独善」を排す─

堂下哲郎(元海将)
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□はじめに

今回も「右、左」の話から始めたいと思います。シーマンにとっ
ては重要な「右舷優位」の話です。

大航海時代、帆船において船尾は神聖な場所とされ、聖像が安置
され朝夕の礼拝は船尾に向かって行なわれました。船尾楼甲板は、
プープデッキ(Poop Deck/Quarter Deck)と呼ばれますが、これ
は、法王の「ポープ」に因むとも言われています。この場所は、
帆の張り具合を一望でき、進行方向の海面まで見渡せる高さがあ
ることから格好の操船場所となり、上級者の専有場所ともなりま
した。帆船時代が終わっても軍艦の後部甲板は高級士官用とされ、
このことは横須賀にある記念艦「三笠」の構造を見ても明らかで
す。
 
ところで、舵が船の中心線でなく右舷に装備されていた帆船時代
には、左舷を接岸せざるを得ませんでした。このことは右舷側が
接岸中の荷役舷の反対側になることを意味し、停泊中の静粛を保
てること、そもそも操船者は操舵舷である右舷に立ったこともあ
り右舷が上席、すなわち右舷優位の慣習が定着していったものと
考えられます。この結果、船(艦)長室は右舷側におかれ、船長
用の舷梯は右、左の舷梯は他の乗員用とされました。ここから派
生して、搭載艇、船室、番号も右が奇数、左が偶数となっており、
他船を右に見る船が針路を譲るという交通ルールの考え方とも整
合する形で艦橋の右舷寄りに艦長席を装備して右側の見張を重視
するとの考え方となっています。
 
なお、この考え方の例外としては、帆船においては帆走中のみ風
上舷が上席とされてきており、現在もヨットなどにおいて艇長あ
るいはオーナーが座るべき場所とされています。また、特殊な例
としては、19世紀の英国P&O(Peninsula and Orient)汽船の
インド洋を横断する極東航路においては、客室の暑さを避けるた
め日陰側、すなわち東航では左舷側、西航では右舷側(Port 
Outward Starboard Homeward)が上位とされ、このことは「POSH
(豪華な、上流社会気取りの)」という形容詞として残っていま
す。 

さて、今回から「海軍仕事術」と題して現在にも通用する海軍か
らの教えを紹介します。新たなシリーズの第1回目は、今後の話の
基礎となる海軍の伝統や体質について考えてみます。
 
 
▼海軍の伝統や体質

海軍といえば「伝統墨守、唯我独尊」と揶揄されることもあるほ
ど、その伝統や体質には独特のものがあるとされています。まず
はこのあたりの話です。

海軍の伝統はすべからく「艦」が基本になっています。艦艇の乗
員は艦長から水兵に至るまで、「板子一枚下は地獄」という狭い
艦の中で一蓮托生、長期間にわたり起居を共にしますので、虚礼
を排し相互信頼や団結を重視するとともに、艦内生活を和やかに
するためにざっくばらん、ユーモアや冗談が通じ、自由に意見を
言える雰囲気を大事にします。その一方で、親しい中にも礼を失
わず、公私の別は厳格にとされています。また、乗員は艦を守る
ための持ち場をそれぞれに与えられており、艦長は自ら先頭に立
って率先垂範し、各乗員それぞれに自己の責任に全力を尽くすと
いうのが基本の考え方といえます。

また、厳しい環境で艦を安全に動かすためにはシーマンシップが
不可欠であり、「五分前の精神」「出船の精神」「整理整頓」
「柔軟性」など多くの船乗りらしい躾(しつけ)が、海軍の伝統
や体質に大きく影響していることは間違いありません。これらは
時代や国を超えて変わりようのない海軍の特質であり、キリスト
教や共産党とともに世界共通の「文化」といわれる所以です。

このように海を活動の場とする軍隊である海軍としての共通した
伝統が形作られる一方で、日本の国内外の諸条件、日本人の国民
性などが混ざり合い、さらには海軍の発展に合わせて作られた諸
制度、経験した戦争などが日本海軍独特の伝統、体質となってゆ
きました。

▼伝統の功罪

 このような伝統は、長年にわたって環境や任務に適応して形作
られた結果であり、「いいもの」であることは間違いありません。
これから紹介する「仕事術」もしかりです。伝統のおかげで、長
い年月をかけて蓄積された知識、知恵を後輩たちは等しく活用で
きるわけですし、組織との世代を越えた一体感や安心感を得るこ
とができ、難局に際しての大きな自信や心の支えとなることでし
ょう。しかし、一方においてそれらを盲目的に継承したり、無批
判に「いいもの」だと考えるようになると、弊害も生じ得ること
になります。その代表的なものとして「前動続行」や「独善」を
挙げることができます。

▼前動続行とは

「前動続行」とは、一般の辞書にはない言葉ですが、過去の経験
や伝承、先例を正しいものとし、その固定観念や先入観の正否に
疑問を持つことなく、それに頼って思考したり行動することです。
十分な論理的思考、批判的思考をなすことなく思考を中断する知
的怠惰とも言えます。当然のことながら、これにより組織の創造
力やバイタリティーの芽を摘みとることになることを銘記する必
要があります。

▼イギリス海軍の弟子

日本海軍は明治以来、イギリス海軍を師範として発達してきたた
め、軍艦の日課についても「軍艦例規」としてイギリス流を伝統
的な美風として取り込みました。この「例規」は平時に艦隊の威
容を整えるのには適していましたが、戦時に艦の整備と戦力向上
のための訓練を調和させることは考慮されていませんでした。日
本海軍はその例規の日課表を無批判にルーティンとして鵜呑みに
したため、驚くべきことに戦時に敵に向かっているときでさえ甲
板の手入れをしたり、せっかく密閉してある舷窓を開けて真鍮を
磨いたりさせて艦を失う原因になった戦例があったと言われてい
ます。  

「型破り指揮官」と呼ばれることもある黛治夫(まゆずみはるお)
氏は、日本海軍の「大欠点」を次のように指摘しています。「ネ
ルソン以来100年の平和を保った『イギリス海軍の弟子』だけあっ
て、昔のままのイギリス風の日課や慣習を、よい伝統と早のみこ
みして馬鹿のひとつ覚えをしていたのである。軍艦の日課とか慣
習とかは、新式の兵器や戦術、戦争方式の移り変わりにマッチさ
せるように考えるべきである」

海軍に限らず、一般の社会でも「師匠」から教育されたり、考え
方やモノをそっくり導入することがあると思いますが、そういう
場合に「自分の頭で考える」ということがおろそかになり無意識
のうちに「前動続行」の傾向になっていないか、「師匠」に手取
り足取り教えてもらえばよいという姿勢になっていないか警戒す
べきだと思います。

▼海戦要務令の墨守

日課や慣習以外の海軍の戦い方にも前動続行の傾向は見られまし
た。太平洋戦争における日本軍の戦術を研究した英米の戦術家の
ほとんどに共通した驚きは、4年近くも戦闘を経験しながら、そ
の作戦要領にほとんど変革のあとがみられなかったことだといい
ます。

また作戦における前動続行の例としては、ミッドウェー作戦が挙
げられます。当初、大本営海軍部は聯合艦隊のミッドウェー作戦
案に反対しました。その理由の一つは「作戦はもとより不可能で
はないがハワイ奇襲と同一方向から、しかも同じような要領の作
戦を繰り返すことは古来兵法の戒(いま)しむるところ」という
もの、つまり前動続行に対する危惧でしたが、結局大本営は聯合
艦隊の押しに屈し、あの敗北を招きました。

ニミッツ元帥も「ミッドウェー作戦のような大作戦の計画に当た
って、優勢な日本海軍は奇襲を必要としなかったにもかかわらず、
ハワイ作戦と同一の思考型式を踏襲し奇襲に依存するという前動
続行の錯誤を犯し、逆に劣勢な米軍の奇襲に敗退した」と指摘し
ています。
 
これら前動続行の原因のひとつに「海戦要務令」があったといわ
れていますが、高木惣吉少将(海兵43期)の海軍大学校の学生時
代の話です。教官に「海軍は『攻撃は最良の防御』ということを
モットーにして、兵装と高速に艦艇の容積を惜しまず使い、居住
性と防御を犠牲にして七ツ道具を積んでいますが、攻守は楯の両
面で、実際は区別すべきでないと考える。英海軍もジュットラン
ド海戦後、その艤装方針が変わったと聞きます。居住性と防御力
について反省の余地はありませんか」と質問したら、某戦略教官
の表情が急にけわしくなって、「海戦要務令をもう一度読み直せ、
君の議論は趙括(ちょうかつ)の兵法(兵法を丸暗記しただけの
机上の論)だ!」と一喝されてしまったということです。

一方、小沢治三郎大佐(海兵37期、後中将)は、海軍大学校教官
時代に「諸君は本校在学中は、海戦要務令なんか一切読むな。こ
んな書物に捉われず、独創的な戦術を開発しろ」と学生をたしな
めたといいますが、残念ながら「海戦要務令」の墨守、つまり作
戦思想における前動続行の姿勢を変えるには至りませんでした。
 
▼独善を排す

伝統のもたらすもうひとつの弊害は「独善」であり、「前動続行」
のもうひとつの顔ともいえると思います。前動続行は、思考、行
動の基準を新しい環境や相手との関係ではなく先例や自身の経験
に求めますから、独善的な傾向になるのは当然といえ、それを繰
り返しているうちに一枚岩的な教条主義にさえ陥りかねません。
海軍や海上自衛隊が「一致団結、旧套墨守」とか「伝統墨守、唯
我独尊」と揶揄されるときは、まさにこれだと思うべきでしょう。

他の領域への理解、他分野との共存が不足しているということを
批判されているということは、結局のところ、己を知らない、己
の充実が足りないということの裏返しではないかと思います。つ
まり「海ではこれが伝統だからこうやる、これがシーマンシップ
なんだ」だけでは通用しない。事の本質を理解することなくその
形式的な部分だけを相手に押しつけても反発されるだけでしょう。
今や「統合」の時代です。なぜそうなっているのかを相手に説明
できるだけのものを自分で持てば、相手も納得するでしょうし、
相手のやり方も受け容れ得る余地があることも理解できるように
なるということだと思います。

これも海軍に限った話ではないと思いますが、それぞれの分野の
プロフェッショナルとしての誇りは持ちながら、他の領域への理
解と他分野との共存を図るように努力しないと「独善」というこ
とになりかねません。独善や教条主義に陥らないためには、無批
判に先人の跡を追うのではなく、自分の頭で考え、正しいと思う
ことに従って行動するということが必要なのですが、まさに「言
うは易く行うは難し」とはこのことではないでしょうか。


▼伝統とは創造の連続
 
高木惣吉少将は、「古人のあとを求めず、古人の求めたるところ
を求めよ」という芭蕉の言葉を引きつつ、太平洋戦争開戦までの
帝国海軍の基本的な米軍の迎撃作戦計画は、山本権兵衛伯、東郷
元帥などの「古人の求めたるところ」を求めたのではなく、「古
人のあと」を求めたのであって、日露戦争の遺物(来航したバル
チック艦隊を日本海海戦で撃破した)の伝承にすぎなかったので
はないかと問題提起しています。そして、山本権兵衛伯、東郷元
帥の求めたところは、「祖国を不敗の地位に置く」ことであった
と思われ、昭和の海軍は山本伯や東郷元帥などの先覚者の求めた
ところ、すなわちその精神を受け継いでいなかったのではないか
と指摘して、次のように述べています。

伝統と伝承とは違うものであります。形式などを伝えるのは伝統
ではなく、伝承であります。人間の考え出したものはいかなる法
則、理論といえども時世とともに変化するものであり、万物流転、
諸行無常が天の摂理であります。(略)伝統とは伝承ではなく、
常に先人を乗り越えて創造することの連続でなければなりません。
新しい創造は過去のすぐれた魂が中核でなければなりません。


(つづく)


(どうした・てつろう)


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【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 

 
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