配信日時 2018/11/19 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(14)】「平時と有事のリーダーシップ(その3)」 ─「戦に役立つ人」「危機に強い人」とは?─ 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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堂下さんのデビュー作
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
への読者反響の一部です。

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「難しい内容をかみ砕き、例示も豊富、コンパクトにまとまって
いる」

「早速、大学の授業で活用、図書館にも入れさせてもらいました。
経営戦略、組織コミュニケーションにも有益な内容です。」

「作戦を組立てる側から理解でき目から鱗でした。防衛、外交関係
者、さらには一般の読者にとっても有益な内容を、詳細かつ分かり
やすくまとめられている。」

「政府機関の政策決定や企業経営者の意思決定にも、広く応用で
きるヒントが含まれている。」


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『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/



こんにちは、エンリケです。

海軍流リーダーシップの最終回です。

記事すべてを保存したくなる「戦ばなし」。
濃厚な内容は、平時に民間で動く私たちの
心の奥底にも刺さるものばかりですね。

特に今回、「知るとやるとは大違い」
「実践するということ」について深く感じるところがありました。

単純極まりない「良い言葉」を聞いたり知ったりすることと、
それを実践することとの間には、深くて大きな川が流れています。

次回から「海軍仕事術」がスタートする予定です。


さっそくどうぞ。



エンリケ

追伸
フネをめぐるガチ知識が増えるのも
嬉しい限りです。



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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(14)】

「平時と有事のリーダーシップ(その3)」
 ─「戦に役立つ人」「危機に強い人」とは?─

堂下哲郎(元海将)
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□はじめに

 前回は、巡洋艦「鈴谷」の航海長が「面舵」「取舵」で米雷撃
機の魚雷をかわした話をしました。今回のこぼれ話はこの「舵」
の話です。

古くから日本の船の羅針盤は十二支で方位を表しており、目盛り
板の船首方向を「子」とし、左回りに「丑」「寅」の順に書き込
んだものが使われてきました。これによると「卯」が左弦正横、
「酉」が右弦正横となります。したがって、船を右へ回頭させる
ときには舵柄(舵に取り付けてある取っ手)を左へ取るので「卯
面舵(うむかじ)」すなわち「おもかじ」、右へ取るときは「酉
の舵」すなわち「とりかじ」となります。これが「面舵」「取舵」
の語源です。

ちなみに英語では、「右舷」「左舷」をそれぞれ「Starboard」
「Port」といいます。この「Starboard」の「Star」は舵を取る
「Steer」の意味で「舵を取る舷」ということになります。舵が
現在のように船尾中央に備えられるようになったのは14世紀半ば
のことで、それまでは大部分が船尾の右舷側のみに舵板が取り付
けられており、これを操作して舵をとっていました。
右舷をStarboardというのはこのためです。

一方、「Port」はもと「Larboard」で、「Lar」は「荷を積む: 
Lade」とか「背後の」という意味で「Larboard」は「荷を積む側
の舷」、または「操舵者の背後に当たる舷」のことです。舵が右
舷に取り付けられていましたから、船を岸壁へ横付けるときは舵
のついていない左舷を岸壁側にする必要があり「Larboard」が左
舷となったのです。なお「Larboard」では「Starboard」と語尾が
同じで聞き分けにくいことから、Port(港、荷役口)に入って貨
物を積む舷ということから単に「Port」といわれるようになり、
イギリス海軍は1844年に正式に規則を改正、米海軍もその2年後
に同様の改正を行なっています。

右舷、左舷の語源は以上のとおりですが、操舵号令も当初は舵柄
を動かす方向を意味していました。すなわちStarboardで舵柄を右
に動かし、左回頭させていたのですが、船の大型化にともない舵
輪が導入され、車のハンドルと同様に舵輪の回転を船の回頭方向
と一致させるようになりました。フランスは、いち早く船首の回
る方向を基準とした操舵号令(現行と同じ)を採用しましたが、
それ以外の国はそれまでの号令を使い続けたことから、紛らわし
く事故も起きました。そこで1928年に海上衝突予防規則の改正が
行なわれ、1931年から1935年の間に国際的な切り替えを終了して
現在に至っています。このようにシーマンの世界では右と左の話
は結構奥深いものがあります。

 さて、前回は第一の心構えとして「決断して部下に指示を与え
自分が責任をとる」ということについて述べました。今回は、残
り2つの心構えを紹介して「有事のリーダーシップ」を締めくく
りたいと思います。


▼敗けぬ気

第二の心構えとしては「闘志を持つ」ということが挙げられます。
これもまったく当たり前のように聞こえます。確かに状況が有利
な時に、攻勢をとって徹底的に戦果の拡大を図ることは頭では当
然のことだと思いますし、それほど難しくないように思えます。
しかし、ハワイ作戦で奇襲成功後に第二撃を行なわなかったよう
に戦術的に成功を収めながら作戦的に追撃不足のため戦果を十分
にあげられなかった例は実は多いといえます。まして状況が不利
な時に、士気を高めて不撓不屈(ふとうふくつ)、味方の戦闘力
を温存して徐々に形勢を挽回し最終的に勝利に導いてゆくような
闘志を持つことは並大抵のことではないでしょう。

秋山真之中将の『天剣漫録』にある「敗けぬ気と油断せざる心あ
るは無識なりとも用兵家たり得」という言葉は、味わうべき言葉
としてたびたび引用されます。これは裏を返すと敗けぬ気がなか
ったらたとえ有識者であっても用兵家にはなれないということで
あり、海軍の戦例の中にはなまじ知識があるがために大事な敗け
ぬ気、闘志を消失してしまった例さえ少なくないと指摘されてい
ます。

また、板谷隆一元海幕長(海兵60期)が闘魂について書かれたな
かで、当時の指揮官たちが勇気において欠ける所があったなどと
は決して思っていないが、平素の訓練のしかたが間違っていなか
ったかどうか深刻に反省する必要があるとして、おおむね次のよ
うに問題提起をしています。

太平洋において圧倒的な米海軍と対峙せざるを得なくなった劣勢
の日本海軍では、量の不足を質で補う斬新な戦法が工夫される一
方で、損害を極力少なくして最終的な決戦で勝つという考え方が
固定観念となったのではないか。その結果として激しい撃ち合い
の場面や戦果の拡充を図るべき重大な時に、無用の損害は避けな
ければならないという用心と人間の弱みが結託して強力なブレー
キの役目を果したことはなかったか。「皮を切らせて骨を切る」
とは良い戦法であるが、敵が馬鹿でない限りそんな甘いことがあ
ろうはずはない。「骨を切らせて必ず敵の骨を切る」ほどの激し
い闘魂が必要だ。

また、日本海軍の最も苦心したもののひとつは燃料であり、最少
の燃料による最大の効果が艦隊訓練のモットーとなり、これが高
じて「燃料過敏症」を生み出したのではないか。割当の燃料を使
い切ったので、そろそろ演習中止になる頃だという意識が日頃の
演習で繰り返されていたらそれが指揮官の判断に影響を与えない
はずはない。最後まで戦う訓練をいやというほどしておいてさえ、
その場に臨むと足がすくむものなのである。頃合を見て引き揚げ
る訓練を繰り返していたら気迫のある戦を期待すること自体はじ
めから無理な相談ではなかろうか。

これは日本海軍についての問題提起ですが、現在でもさまざまな
理由から訓練のやり方に制限がかけられたり、シミュレーション
に頼らざるを得ない状況が多いと思います。いつの時代であって
も平時にどれだけ実戦に近い訓練をできるかは永遠のテーマです
が、深刻に受け止めるべき問題だと思います。


▼がまんのしどころ

三つ目の心構えは「動揺するな、我慢せよ」というもので、多く
の先輩が書き残しているものです。これまた言葉にしてみると至
極当たり前のことのように思えます。

上海事変で出動した上海特別陸戦隊の中隊長の体験談です。作戦
を開始すると、味方に被害が出る、敵が増加してくる、悪い報告
がどんどん入ってくる、本当にしまったと思うことがずいぶんあ
り、なかなかつらい思いをしたといいます。

そんな時に上位の指揮官である大隊長から「動揺してはいけない、
ここががまんのしどころ」としていわれたことが、「昔、武田信
玄は、いっぺん命令を出したら、護摩を焚いて祈っていたという
ことである。もちろん、命令の出し放しで、情況の変化に応じ得
られないようでは困るけれども、被害が少々出て来たからといっ
てすぐ動揺するようではいけない。指揮官には勇気が必要である。」
ということでした。一旦決心をしたら「天はわれの上にあり」と
いう信念と勇気を持てと教えられたそうです。

また、いくら動揺するなといわれても人間が感情を持つ以上はな
かなか難しい注文です。これを克服するには「心の修行」が求め
られるということでしょうが、海軍では「顔は心の窓」というこ
とを教えていました。以前の回でも紹介した言葉ですが、危急に
際しては、部下はまず指揮官の顔を見るといわれ、艦橋における
艦長の不安な顔、慌てた表情は、たちまち艦内に伝染し、それは
やがて艦内全般に広がり、大げさに言えば、一艦を不安、恐慌に
包むことにもなりかねない。指揮官は努めて楽観的な表情を保て
との教えです。

陸戦隊の話をしましたが、広大な海域で大部隊が行なう海戦では
なおさらでした。当時は命令を出して作戦を始めたら、敵と触接
し報告の電報が入ってこない限り状況を知るすべがありませんで
した。海戦の最中、山本五十六連合艦隊司令長官が旗艦の自室で
碁を打ちながら報告を待っていたというエピソードも頷けます。

現在の作戦では、即座に作戦状況が把握できる指揮システムがあ
りますから護摩を焚いたり碁を打つ必要はないのでしょうが、今
度は状況が分かるだけに部下指揮官に「口出し」をしたくなる誘
惑は大変大きくなっているのではないでしょうか。また、いくら
状況が分かるといっても「戦場の霧」はなくなりません。「七分
三分」で自軍が不利だと思った時が実は「五分五分」くらいなの
だという教えもあります。

現場は懸命に取り組んでいるのですから、部下の指揮官を信頼し
て「最終的な責任は自分がとる」という姿勢で現場に任せるべき
です。大きな事件事故が起こるたびに、現場に対して中央から不
必要な干渉をしたり頻繁に報告を求めたりする現象が起きます。
東日本大震災時の東電福島第一原発事故への対応などは象徴的な
事例でした。普段から部下に対してはタイムリーな報告をするよ
うに教育した上で、いざ事が起こったら「ここががまんのしどこ
ろ」と自分に強く言い聞かせておかないと簡単に犯してしまう失
敗といえると思います。

▼戦に役立つ人

以上、三つの心構えについて述べました。「私見:海軍式リーダ
ーシップ」をひとまず終えるにあたり、海軍が考えていた「戦に
役立つ人」「危機に強い人」というのはどういう人だったのか改
めて振り返ってみます。

開戦を目前にした昭和16年4月に海軍兵学校長として着任した
草鹿任一中将(海兵37期)は徳川家康を引きながら次のように
「真正直な人」たれと訓示しています。

 軍人として一番大切なことは戦に強いということである。一朝
事あるとき強い立派な軍人として働いてもらいたい。そのために
はいかなる事に処しても正直に徹するということが大事であり、
大胆にして横着これが最もいけない。
 
徳川家康が三方ヶ原の戦で二人の将校斥候を出した。甲は欣然と
して勇躍出発した。乙は命令を受けたときサッと顔色が変わって
心配相であった。側近者はこれを見て、甲はまことに立派であっ
たが、乙は勇士に似合わず案外臆病だと批評した。家康はこれを
聞いて「今に見ておれ、乙はきっと立派に任務を果たして帰るに
相違ない」と言われたが、果たして甲の報告はおざなりのもので
あったが、乙は普通の者の行けないところまで深入りして重要な
報告をした。

どうしてそれが事前に分かったのかと尋ねると、家康は「甲は天
性大胆な男で、任務を貰っても屁とも思わない。然し幾分横着な
ところもあるので偵察もこの辺でよかろうと切り上げてくるよう
な男だ。乙は正直一点張りの男だから命令を受けたとき任務の重
大性を思い、やり果たせるかどうか緊張のあまり一時青ざめたが、
それは臆病のためではない。誠心誠意やれるところまでやる男だ。
正直に徹底するものでなければ戦は出来ない」と諭し、側近者は
今更ながら家康の慧眼に推服したということである。
 
もう一人、戸塚道太郎中将(兵38)は戦後の回想で「愚直な人」
が戦に役立つと次のように語っています。

 私は戦に真っ当に役立つ人は、愚直にして勇気のあるものが一
番良いと思っている。小利口なものは、どうも勇気が欠けて実際
の戦闘場面に信用しかねるようなことをする嫌いがある。沢山の
飛行将校を使ってみてすぐ分かる。前者は正直に突っ込むが、後
者は敵前でごまかすものさえ出て来る。参謀も実戦の闘士が一番
良い。頭だけではその計画するところは紙の上のテーブルワーク
で実戦に即していないことが時には出てくることを警戒せねばな
らぬ。

 「正直」や「愚直」が全てということではないでしょうが、他
の先輩もおおむね同じようなことを言い残しています。何か当た
り前すぎて、「戦に役立つ人」が備えているものというよりも人
間として普遍的な徳目を言っているに過ぎないような気さえしま
す。そこで思い当たるのが、同じように普遍的な徳目をモットー
としている士官学校の人格教育です。

海軍兵学校の「五省」は「至誠に悖(もと)るなかりしか(誠実
さや真心に背くことはなかったか)」で始まりますし、防衛大学
校の「学生綱領」の第一は「廉恥(清らかで恥を知る)」です。
アナポリスの米海軍兵学校でも「嘘をつくな、欺くな、盗むな」
と誠に簡単な言葉をモットーとしています。

こんなシンプルなもので本当に有事のリーダーシップを全うでき
るのかと問いたくなります。しかし、すでに述べてきたように危
機に際してのリーダーの振る舞いということを考えると、これら
の言葉の持つ意味の難しさや奥深さに気づかされます。身の危険
にさらされたとき、高い地位や立場で難しい判断を迫られたとき、
これらのモットーを実行することの困難さは改めて説明する必要
はないと思います。まさにリーダーたる者としてたゆまず追い求
めるに相応しい深淵なる目標であるといえます。


(つづく)


(どうした・てつろう)


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【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 

 
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(代表・エンリケ航海王子)
 
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