配信日時 2018/11/15 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(12)】「江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その1)」 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
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こんにちは、エンリケです。

この宗像さんの連載は、
さまざまな方に注目されているようです。

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エンリケ


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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(12)

江戸中期以降の我が国周辺情勢と混乱(その1)

宗像久男(元陸将)

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ご挨拶

 つい最近、尊敬する元自衛官の大先輩から「新しい視点からの
我が国の歴史探訪に感銘しました。日本史と世界史の関連もわか
ります。高校時代にこういう歴史を習いたかったです」とご丁重
なお葉書をいただきました。おもはゆいですし、自己PRと批判
されるかも知れませんが、素直に嬉しかったことと、どの世代も
“違う歴史”を学んできたことを実感しましたので、勇気を出し
て紹介させていただきます。

 今回から江戸中期から末期の我が国周辺情勢を振り返ってみま
しょう。今回は、隣国「清」と幕末以降の我が国の歴史に重大な
影響を与えたアメリカを取り上げます。

▼隣国「清」の興亡

まず、「清」の興亡です。江戸時代の始まりとほぼ同時期の16
16年、女真(じょしん)族(満洲民族の前身)のヌルハチが満
洲を平定して「後金(こうきん)国」を建国し、1636年、国
号を「清」と改称しました。そして1644年に「明」が滅んだ
のを機に、首都を北京に遷都し、中国支配が始まりました。

 異民族の女真族の支配を圧倒的多数の漢民族がなぜ受け入れた
か疑問が残りますが、「清」は武力をもって「明」の皇帝にとっ
て代わるという姿勢をとらず、「明」を滅ぼした逆賊を討伐した
という形をとって、科挙(かきょ)など「明」の制度をそのまま
存続させたようです。つまり、あくまで「明」の“衣鉢(いはつ)
を継ぐ”正当な中華帝国であることを前面に出したことが功を奏
したのでした。
 
 その後、「清」は領土を拡張し続け、1689年には、ロシア
との間に「ネルチンスク条約」を結び、両国の国境を外満洲の北
側、つまり黒竜江・外興安嶺(そとこうあんれい:ロシア名はス
タノヴォイ山脈)に定めました。「ネルチンスク条約」は、中国
が外国と対等に結んだ最初の近代的条約といわれ、ロシアにとっ
ては、19世紀後半までこの正面の“南下”をはばまれることに
なりました。

「清」はまた台湾、北モンゴル、東トルキスタン、チベットに至
る、現在の中国領土を超える“版図(はんと)”を持ち、18世紀
に全盛時代を迎えました。

我が国にとって、(直接の脅威とならない程度の)“強い”「清」
は、欧州諸国のアジア進出とロシアの“南下”防止の手段として、
国防上はありがたい存在でした。しかし長くは続かず、幕末の混
乱は、「清」の弱体化と連動して起こります(次回、取り上げま
す)。 

▼アメリカの独立・南北戦争
 
 これまで触れました欧州諸国の「大変革」や我が国を震撼させ
た「ペリー来航」と時代は前後しますが、アメリカの独立戦争や
南北戦争にも触れておきましょう。
 
 アメリカの現在の隆盛があまりにも華々しいため、通常私たち
は、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、1620
年、メイフラワー号で清教徒が移民した後、1776年にアメリ
カが独立するまでの約150年もの間、アメリカは、イギリスを
はじめ、フランス、スペインの“植民地”だったことに気が行か
ない傾向にあります。
 
 もちろん、主にキリスト教徒の白人が移民したわけですから、
他地域の植民地とはその扱いが違ったことはまちがいないと思わ
れます。そのようななか、13州の合衆国が団結して植民地政策
に抵抗して独立に向かったのは、厳しい課税、なかでもそのきっ
かけはすべての印刷物に印紙を貼って税を取り立てられた「印刷
法」だったといわれています。
 
 アメリカらしく、独立当初から、共和主義を信奉して力強い国
家建設を目指すグループと、民主主義を推進して大きな政治的平
等性を目指すグループが存在し、現在の2大政党の原型が出来上
がっていたようです。

1776年の独立宣言後、イギリスが反撃に出ました。フランス、
のちにオランダやスペインがアメリカ側について参戦した結果、
イギリスは単独で戦争を行なうことになりましたが、戦いは17
83年まで続き、「パリ条約」でアメリカは独立を勝ち取りまし
た。米国内には、あくまで国王に忠誠を誓う王党派の人々もおり
ましたが、イギリス敗北の後、その一部はカナダなどに移住しま
した。

戦いはこれで終わりませんでした。執拗なイギリスは、今度は米
国内のインディアンをそそのかし、再び戦いを挑みました。この
戦いは、「米英戦争」(1812~14年)といわれています。
同じ時期の欧州は「ナポレオン戦争」の真っ最中であり、イギリ
スは「米英戦争」に戦力を割く余裕がなかったこともあって、
1814年、「ガン条約」で米英は講和し、戦争は終結しました。

この戦争で最も熾烈な戦いは、ボルチモア近郊の「マックヘンリ
ー要塞の戦い」でした。この時の健闘を称える詩にメロデイがつ
けられたのが、アメリカの国歌「星条旗」になっています。
 
 かくして、完全に独立を果たしたアメリカでしたが、国内には、
工業化を推進して奴隷制廃止を主張する北部と、農業中心で奴隷
制存続を主張する南部の対立が残りました。南部の11州は合衆
国を脱退し、「アメリカ連合国」を結成しました(アメリカに2
つの国が存在した時期があったのです)。
「南北戦争」といわれるこの内戦は、1861年から65年まで
4年も続き、南北合わせて20万人を越える戦死・戦傷者を出す、
すさまじい戦いとなりました。最終的には北部側が勝利し、リン
カーンの有名な奴隷廃止演説につながったのは承知の通りです。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)


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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
 
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。


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