配信日時 2018/11/12 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(13)】「平時と有事のリーダーシップ(その2)」 ─戦場では、命令ほどありがたいものはない─ 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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堂下さんのデビュー作
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
への読者反響の一部です。

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「難しい内容をかみ砕き、例示も豊富、コンパクトにまとまって
いる」

「早速、大学の授業で活用、図書館にも入れさせてもらいました。
経営戦略、組織コミュニケーションにも有益な内容です。」

「作戦を組立てる側から理解でき目から鱗でした。防衛、外交関係
者、さらには一般の読者にとっても有益な内容を、詳細かつ分かり
やすくまとめられている。」

「政府機関の政策決定や企業経営者の意思決定にも、広く応用で
きるヒントが含まれている。」


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『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/



こんにちは、エンリケです。

海軍流リーダーシップのお話が続きます。

山本さんの有名なことばには、実は裏があった。
こういう史実を知れるのはうれしいですね。

軍事系で一番おもしろくて、一番役に立ち、一番必要で
欠けているのは「いろいろな軍事史実のボリューム」と
いう気がします。正直、探してもなかなか見つかりません。

藤井大将と島村元帥の貸家ばなしとか面白いです。

また、海軍の戦記、戦史については、意外なほど具体的な話が出
回っておらず(いまでは戦史そのものかもしれませんが)、おそ
らくいま、この連載が、最も充実した、今に活かせる「海軍ばな
し」を伝える唯一の存在ではなかろうか?と感じます。
堂下さんに感謝です。


さっそくどうぞ。



エンリケ


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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(13)】

「平時と有事のリーダーシップ(その2)」
─戦場では、命令ほどありがたいものはない─

堂下哲郎(元海将)
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□はじめに

今回のこぼれ話は「標語」の誕生物語です。

海軍のシーマンシップ精神といえば「スマートで 目先がきいて 几
帳面 負けじ魂 これぞ船乗り」という標語が有名ですが、海軍では
もともと違う標語があったといえば意外に思われるでしょうか。

江田島にある海軍兵学校では、日露戦争後、歴戦の勇士を教官に
迎えスパルタ式鍛錬が実施され、そこでは「シーマンシップの
三S精神」がモットーとされました。これは、「スマート(敏捷)、
ステディ(確実)、サイレント(静粛)」のことで、日本海軍
が「サイレントネイビー」と言われるようになったのも、この時
代に端を発しています。兵学校のシーマンシップ教育はすでに明
治時代のこの頃に完成の域に達していたのです。

この「三S精神」については、瞬時に変転する戦況に即応して機
先を制するための「敏捷」、精巧な艦船、兵器、機関、航空機な
どの機能を安全、確実に発揮するための「確実」、また、狭く、
風波、装備機器で騒音の大きい艦内で任務を全うするための「静
粛」が要求されるとの考え方に基づいていました。

一方、「スマートで 目先がきいて 几帳面 負けじ魂 これぞ船乗
り」という「標語」は太田質平大佐(のち少将、海兵32期)が運用
術練習艦「春日」艦長兼「富士」艦長の際に作ったものとされ、
大正の末から昭和の初め頃に世に出始めたものと考えられていま
す。今では最も有名な標語ですが、海軍70余年の歴史から見れ
ば最後の20年ほどのものといえます。

ここでいう「スマート」とは清潔な服装、厳正な態度、機敏な動作、
洗練された言葉遣いや立ち居振る舞いのことであり、「目先がき
く」とは天候や情勢の見通しが的確で周到な準備を早めに行なう
こと、「几帳面」とは仕事の確実な実行、報告や回答の迅速な処
理などを意味しています。「負けじ魂」はもちろん武人の本領で
す。

この「精神」は、軍艦における動作、兵器・機関の操作に要求さ
れる「三S:敏捷・確実・静粛」の三要素が意味しているものと
おおむね重なっており、船乗りに求められる共通した「精神」と
いえると思います。ちなみにある海軍機関学校の出身者の思い出
として、戦争末期に入校した際、教官が黒板に「スマートで…」
と大書きし、「これはジョンブル(典型的イギリス人の意)魂で
あり船乗りとして世界共通のものである」と説明され、それまで
「米英憎し」で凝り固まっていたが、電気に打たれたような感動
を覚えたとの話を伺ったことがあります。船乗り精神がジョンブ
ル魂に由来するというのは今日あまり聞かない話ですが、当時は
そのような理解をされていたということだと思います。

標語といえば、山本五十六元帥の「やってみせ、いって聞かせて、
させてみて、ほめてやらねば、人は動かぬ」というのも有名です
が、これは当時、海軍の教育標語としてすでにあった「目に見せ
て、耳に聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、たれもやるま
い」をアレンジしたものといわれています。標語誕生の小話でし
た。

さて前回は、有事においてリーダーに求められる精神的な要素と
して「勇気」「沈着」「剛毅」などについて述べました。海軍の
先輩は、その人なりの方法で精神面の鍛錬に取り組み、これらを
体得したわけですが、そのやり方についてはここでは触れません。
その代わりに、こうした精神面の鍛錬を経た上での「有事の心構
え」のようなものは、海軍に数多く言い伝えられていますので、
最も重要と思われるものを三つほど紹介したいと思います。


▼決断、指示、責任

有事におけるリーダーの心構えで最も重要なのは、「決断して部
下に指示を与え自分が責任をとること」だと思います。何を当た
り前のことをと思われるかもしれませんが、海軍の先輩は実はこ
れが難しく、最も大事なことだと教えています。

米軍機の襲撃を受けた巡洋艦「鈴谷」(すずや)の艦橋での話で
す。太平洋戦争の頃は、航空機から投下される爆弾や魚雷は、艦
艇の運動である程度命中を避けることができました。度重なる空
襲をくぐり抜け回避運動の腕を上げていた航海長は、この日も雷
撃機が右から突っ込んで来れば「面舵」、左から来れば「取舵」
とうまい具合に米軍機が投下した魚雷をかわしていました。まさ
に投下された魚雷と格闘する感覚です。

ところがしばらくすると両方からいっぺんにやってきた。それま
でと違う攻撃パターンに航海長は一瞬迷い、思わず艦長にチラッ
と視線が向きました。戦闘においては一瞬の判断の遅れが命取り
になりかねません。それまで椅子に座って黙って見ていた艦長は、
航海長の迷いを察して、すかさず「まっすぐ行け!」と指示した
のでした。艦長も実際に発射された魚雷が船体ギリギリのところ
をそれてゆくのを確認するまでは祈るような気持ちだったと思い
ます。

魚雷は幸いにも命中せずに遠ざかり空襲をしのいだ艦長は、のち
に「おれも、まっすぐ行けば必ず避けられるとは思っていなかっ
た。しかし、任せていた部下が迷ったときには、はっきり指示を
与えて責任をとるべきものである。自分でもよく言えたと思って
いる」と語ったそうです。普段は非常におとなしく、あまりもの
を言われないが、いざというときには必ずピシリと言われる艦長
で、砲煙、弾雨のなか、日頃から心の準備がなければとてもなし
得ないことで、「指揮官かくあるべし」と心服したと航海長は回
想しています。
 
もうひとつは、上海事変で出動した上海特別陸戦隊の小隊長の話
です。

「初陣でいきなりの第一線。轟然たる銃声。すでに敵味方の遺体
が入り組んでいるから一時白兵戦もあったのであろう。わが部下
は仰天してしまい、銃を担いだままただ茫然と突っ立っている。
あわてて無我夢中で叫んだ。『伏せ、伏せ!』(中略)即座の身
振り手振りである。無我夢中という事は自分が無我夢中であるこ
とも忘れているということである。

前線に駆けつけたとき、兵学校二期上級の中隊長はただ一人で立
っておられ、私を見て一言『あっちだ』と左の方を指されただけ
であった。私も『ハイ』の一言であった。面識のない中隊長であ
ったが、この一言で意思は通じた。その無造作な命令が私を一心
不乱にさせた。戦場では、命令ほどありがたいものはない」

この小隊長は、「任務を持ってこれに集中している時には、怖い
などという感情が入り込む隙間が無いということだ」と回想して
います。航海長の話にしても小隊長の話にしても危険と隣り合わ
せの前線での出来事であり、戦争中にはこのような場面が無数に
あったのだろうと思います。

一方、上級司令部や海軍中枢のような戦争に関する大方針を決め
るような場所ではどうだったのでしょうか。このような場所では
直接的な身の危険はない代わりに、熟慮の判断を実行に移すには
別の配慮が必要となることがあります。高木惣吉少将(海兵43期)
は次のように指摘しています。

不幸にして興奮しがちな戦時の雰囲気の中では、分別のある意見
というものは大概臆病と間違えられて評判が悪い。50人か10
0人くらいの部隊長にふさわしい景気のいい議論が、特に日本の
ようにカーッとなりやすい民族では大勢を動かす。しかし、これ
はアングロサクソンのようなしぶとい民族でもそうらしく、「戦
争の熱狂の中では世論というものは多くの場合、極端な手段
(drastic measures)を求めて、その結果国民がどういう結果に
陥るかということはあまり心配しないのが通例である」と、リデ
ル・ハート(イギリスの戦略研究者、1895〜1970年、筆者注)が
嘆いているくらいである。

 このような場面では、指揮官は大きなスタッフ組織をまとめる
統率力や、政治や外交などとの折り合いをつける「政治力」とで
もいうべきものが求められます。一概に決断するとか、責任をと
るとか言っても、立場や地位によってその意味するところとやり
方は大いに変わってくるということに注意しなければなりません。
世の中というものは複雑で、勇気や正直さだけでは立ち行かない、
「善を行なうに勇なれ」だけれども善を行なうためには若干の悪
をともなうことや妥協を必要とすることがあるということを受け
入れなければならないということでしょう。



(つづく)


(どうした・てつろう)


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【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 

 
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