配信日時 2018/11/05 08:00

桜林美佐の「美佐日記」(1) 鎮魂の社「山川招魂社」──5万の敵を相手に玉砕した拉孟(らもう)守備隊

こんにちは、エンリケです。

先日ご案内したとおり、

桜林美佐さんの連載がこれから始まります!

さっそくどうぞ。



エンリケ


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桜林美佐の「美佐日記」(1)

鎮魂の社「山川招魂社」──5万の敵を相手に玉砕した拉孟(ら
もう)守備隊

桜林美佐(防衛問題研究家)
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〇〇さん、

はじめまして! 桜林美佐です。

 突然ですが、今年結婚し、夏から福岡県内で暮らしています。
最も大きな生活の変化は長く続けていたラジオ局の泊りデスク勤
務、つまりほぼ徹夜の仕事がなくなり、早寝早起きの生活が1週
間フルでできるようになったこと。しかし、たっぷり確保できて
いる時間も、うかうかしているあっという間にすぎてしまい、雑
務に追われているうちに福岡暮らしが終わってしまいかねないで
はありませんか! その懸念から、この日記を書くことを決意し
ました。以前、海上自衛隊の幹部向け雑誌で「美佐日記」(土佐
日記をもじったもの!?)を書いていて意外に評判が良かったよ
うなので、そんなノリのものを書きたいと思います。

 こちらでの1日の始まりは、ゆるいジョギングか散歩から始ま
ります。最近は夜明けが遅くなって、田んぼの間を進んで行くう
ちにおひさまが昇ってくるのですが、日に日に遅れてくるので、
もしや、私を待ちきれず!?先にどこかに出かけて行ってしまっ
たのではないか??と、本気で心配になるのですが、日の出はち
ゃんと約束どおり現れてくれるのでありがたいです。

 さて、引っ越しと言えば、すべきことがたくさんあります。
まずは転出・転入、そして、ご挨拶、さらに当たり前ですが段ボ
ールを開けて片付け……。特に今回、名前も住所も変わるため、
その手続きなどで何度も役所や郵便局に足を運ばなくてはなりま
せん。本当に面倒です。そのうちに、フト「私はこんなことのた
めに生まれてきたんじゃない!」と何もかもを投げ出したくなり
(注:私はけっこう大げさです)、役所に向かっていた踝(きび
す)を返し、本来まず近隣で最初に行くべき所に向け前進を始め
たのでした。

まずは久留米にある「山川招魂社(やまかわしょうこんしゃ)」。
ここは明治2年に建てられ、明治維新に身を投じた志士を始まり
に、その後の事変・戦役における郷土出身の戦没者が祀られ、鎮
魂の社となっています。すぐに「爆弾三勇士」の碑が目に入りま
す。ご存知のとおり久留米の独立工兵第18大隊の江下武二、北
川丞、作江伊之助の3人の一等兵のことで、昭和7年の第一次上
海事変において敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いたとされて
います。「肉弾三勇士」とも言われ、3人を讃える歌もあの与謝
野鉄幹が作詞した「廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣~」以外
にもたくさん存在します。

 そして奥まった所には「龍」兵団関係の慰霊碑、ビルマ戦線の
忠魂碑などがあります。インパール作戦を側面から援護するため、
北ビルマから中国の雲南(うんなん)にまで兵を進めたのが、北
九州で編成された「菊」(久留米)と「龍」(福岡)の兄弟師団
でした。そして最も苛烈な戦闘を強いられ、数多くの玉砕部隊を
出しました。

 実は、私はかつて「龍」兵団が務めた「拉孟(らもう)守備隊」
の逸話を朗読劇として作り、各所で発表していました。約5万人
の敵と戦った日本側はたったの1280人、しかもそのうち30
0人は傷病兵でした。15人の慰安婦も自ら望んで共に戦い、彼
女たちは自分たちを「ここの将兵の妻であり、時には姉、妹、母
であり、家族の気持ちになっている」と言って憚(はばか)らな
かったといいます。戦闘の激化を案じて後送(こうそう)を考え
ていた金光恵次郎(かねみつえじろう)隊長に副官は、女たちは
もう拉孟を第二の故郷と思っていて「どこかへ移そうものなら噛
み付かれますよ!」と切り返します。

 慰安婦=被害者という図式が現代では一般的になっているよう
ですが、誇りを持って働いていた人々がいたのです。120日間
に及ぶ壮絶な戦闘の末、彼女たちを含めた全員が玉砕しました
(朝鮮からの慰安婦は逃したとされています)。楳本捨三著『壮
烈 拉孟守備隊』に詳述されています。
 
 かつての軍都、久留米付近には数多くの旧軍の跡地があります。
ほかの戦場であれば後送や入院の傷病兵でありながら、足を失っ
て歩けなくても敵が投入する手榴弾を這って行って拾って投げ返
すという戦いをした人たちが、ここで生きていた、そう思うと、
深い感慨を覚えます。

そうした壮絶な戦記を綴った『菊と龍』(相良俊輔著)で著者は、
この本で彼らを美化したり英雄視するつもりはなく、まして帝国
陸軍への郷愁でもないとしながら次のように締めくくっています。 

「真に戦争を否定し、平和を希求するならば、まずその戦いを、
正しい史観によってみつめなければならない。そうでなければ、
ビルマの密林で、雲南の丘で、いまなお白骨と化したまま眠って
いる霊は浮かばれないのである。」

 第1回『美佐日記』は以上です! これから、皆さんが知りた
いかどうかにかかわらず、最新のニュースもたまに織り交ぜつつ、
身辺雑記を綴ってまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願い
申し上げます!



(つづく)



□おしらせ

 さまざまなゲストを迎え、日本の国防に役に立つお話を聞く
YouTubeのチャンネルくらら『国防ニュース最前線』を毎週土曜日
の夜にアップデートしています。

http://www.chclara.com

 最新回は、伊藤俊幸 元呉総監に、ペンス副大統領「対中国政
策について」演説の示すこと や、アメリカINF条約撤廃の本当の
意味などのお話しを伺っています。


(さくらばやし・みさ)



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【著者紹介】
桜林美佐(さくらばやし・みさ)
昭和45年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、
ディレクターとしてテレビ番組を制作。その後、国防問題などを
中心に取材・執筆。著書に『奇跡の船「宗谷」─昭和を走り続け
た海の守り神』『海をひらく─知られざる掃海部隊』『誰も語ら
なかった防衛産業[改訂版]』『武器輸出だけでは防衛産業は守
れない』『防衛産業と自衛隊』(いずれも並木書房)、『終わら
ないラブレター─祖父母たちが語る「もうひとつの戦争体験」』
(PHP研究所)、『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出
版)、『ありがとう、金剛丸─星になった小さな自衛隊員』(ワ
ニブックス)。月刊「テーミス」に『自衛隊密着ルポ』を連載。


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