配信日時 2018/10/29 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(11)】「海軍こぼれ話(3)海軍グルメ」 ─海軍以来の伝統「金曜日のカレー」は間違い─ 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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堂下さんのデビュー作
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
への読者反響の一部です。

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「難しい内容をかみ砕き、例示も豊富、コンパクトにまとまって
いる」

「早速、大学の授業で活用、図書館にも入れさせてもらいました。
経営戦略、組織コミュニケーションにも有益な内容です。」

「作戦を組立てる側から理解でき目から鱗でした。防衛、外交関係
者、さらには一般の読者にとっても有益な内容を、詳細かつ分かり
やすくまとめられている。」

「政府機関の政策決定や企業経営者の意思決定にも、広く応用で
きるヒントが含まれている。」


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『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/



こんにちは、エンリケです。
海軍こぼれ話の三回目です。

誤った常識の流布

は、

その世界への誤解を積み重ね、
その世界への不信を形づくる

と改めて感じますね。


さっそくどうぞ。



エンリケ


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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(11)】

「海軍こぼれ話(3)海軍グルメ」(第11回)

─海軍以来の伝統「金曜日のカレー」は間違い─

堂下哲郎(元海将)
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□はじめに
 
 このたび私の小論『米の安保提言 同盟に生かせ』が10月25日
の読売新聞の「論点」欄に掲載されました。これは、さる3日に
発表された『アーミテージ・ナイ報告書』の提言で最も重要と考
えられる「日米共同コンティンジェンシープラン(事態対処計画)」
の作成について、自衛隊の作戦運用に与える影響や課題について
論じたものです。コンティンジェンシープランに関しては、拙著
『作戦司令部の意思決定』(並木書房)に詳述していますので、
興味をお持ちの方は是非ご一読下さい。

『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/


 さて、海軍こぼれ話の3回目は、兵食、つまり海軍の食事につ
いての話です。海軍といえば「グルメ」のイメージを持っている
方も多いと思いますが、本当のところはどうだったのでしょうか。

▼脚気との戦い

「グルメ」といわれる海軍もはじめからそうだったわけではあり
ません。明治海軍に先立つ幕府海軍の長崎伝習所時代、食事時に
なると日本人伝習生が持ち込んだ七輪で魚を焼き始め、その煙で
オランダ人の教官を閉口させたといわれています。明治海軍にな
って、米、味噌、醤油は現物支給、おかずは支給された食費でお
のおの好きなものを食べるという方式になりましたが、明治13年
以降は現物支給はやめて、将官の1円20銭から水兵の18銭までの
食費が支給されることになりました。

士官は食べた分だけ後でまとめて代金を徴収される仕組みでした
が、下士官、水兵は支給された食費から米代を一括して納め、残
金を自由に副食代に充てることになっていました。しかし、貧し
い時代でもあり、水兵らは白米と沢庵(たくあん)が食べられる
だけで満足し、おかず代を節約して郷里へ送金する慣行が定着し
ていたそうです。このような食生活の結果、白米のような炭水化
物の摂りすぎとたんぱく質の不足から「脚気」が蔓延したのでし
た。

 今でこそ脚気はビタミンB1の欠乏が原因であることは知られ
ていますが、ビタミンそのものが発見されていない時代において
は恐るべき病気であり、事実、明治11年の海軍の調査では、総兵
員数4,528名のうち脚気患者が1,485名を占めていました。ちょう
どその頃、明治16年9月に遠洋航海に出ていた「龍驤」で乗組員3
71名中160名が脚気にかかり、うち25名が死亡するという海軍当
局を震撼させる事態が発生しました。

 「海軍は脚気によって滅ぼされてしまう」、危機感を覚えた海軍
はイギリス留学を終えたばかりの海軍軍医高木兼寛(のち海軍軍
医総監、東京慈恵会医科大学の創設者)を医務局長に昇格させ
「脚気病調査委員会」を設置してこの問題に取り組み、試行錯誤
の末、兵員の食事に原因があることを突き止めたのでした。

▼海軍料理の発達

 明治18年2月、調査委員会は脚気対策を積極的に進めることを
決定して解散します。海軍は、パンや肉、野菜を中心とする「洋
食」を取り入れる方向に大きく舵をきったのでした。この頃のこ
とを高木氏は次のように述べています。

最初は怪しげな「西洋料理」だった。兵たちは、パンはおやつだ
と思っているからやたらに砂糖をつけて食べるが、「おやつばか
りで、いつまでたっても飯が出ない」とボヤいてばかり。これで
は戦力にならない。そこで西洋料理ならフランスに習え、という
ことになって本格フランス料理を勉強するようになった。

おそらくは、明治海軍の「先進国に負けるな」、「最高レベルを
めざせ」という要求が兵食分野にも影響を与えたのだろうと思い
ますが、日本海海戦(明治38年)の頃には『坂の上の雲』よろし
く海軍料理は高度に「発達」を遂げたのでした。


▼海軍「グルメ」の完成

 日本海海戦完勝後の明治41年の教科書『海軍割烹術参考書』に
は、民間では特定の階層しか西洋料理に接することのできない時
期に「シャトーブリヨン・ヲランニエール・ビアンネールソース」
などという料理の作り方が出ています。いかに海軍料理が発達し
たとしても、こんな料理が実際に供されていたのでしょうか。

昭和初期の話ですが、軍艦「出雲」が艦上昼食会をしたときのメ
ニューが残っています。それによると前菜はサーモンと洋野菜の
テリーヌ、あとに続くのはアスペラガース・スープ、鱒蒸煮、シ
チュード・チキン、ローストビーフ、レモンシャーベット、タピ
オカプリンの7品。このフルコースのメニューには、海軍「グル
メ」の完成した形が感じられます。「シャトーブリヨン」もこの
ような場面での一品だったのでしょう。


▼兵食の完成

 「グルメ」物語だけだと「海軍は贅沢なものを食べていた」と思
われかねませんが、昭和に入って開戦が予期される頃になると実
用的な献立を工夫するようになってゆきます。昭和14年に第1艦隊
が料理コンテストを行なって戦時に備えた実用的献立をまとめた
『第1艦隊献立調理特別努力週間献立集』なるものが残されていま
す。

この献立集の序文には、「海軍兵食は近年著しく改善され、もう
行き着くところまできた。艦隊の調理技術も高い。しかるに支那
事変以来、糧食調達に制限が出つつある。今後は給糧艦『間宮』
による補給も厳しくなることが予測される。これからは効率的な
食事を支給する方法を真剣に検討しなければならない。昨年来各
部隊で研究した献立の中から推挙できる料理をまとめたのが本献
立集である」ということが書かれています。兵食の基本に戻ろう
ということです。

献立の中には、鯨肉を使った給油艦「隠戸」考案の「隠戸炊」、
戦艦「伊勢」の「兎肉の甘酢煮」、シャケの缶詰を使った戦艦
「摂津」の「貯魚のコロッケ」、ほかにも「大鯨麺」とか「金剛
風南蛮時雨煮」など艦の名を冠した実用メニューが多く含まれて
います。いわゆるグルメではありませんが、明治以来の料理技術
が質の高い兵食としてできあがったことが伺えます。

▼金曜日のカレー?

海軍「グルメ」小話の締めくくりとしてカレーの話をしておこう
と思います。「海上自衛隊の艦艇では、海軍以来の伝統で、長期
行動中に曜日の感覚を忘れないために金曜日の昼食にカレーを出
す」という話を聞いた方もあると思いますが、本当でしょうか。
 
日本最初のカレー屋「風月堂」が上野で開店したのが明治19年で、
同22年、海軍の「五等厨夫教育規則」にライスカレーの作り方が
掲載されているので、このころには海軍でもカレーを食べていた
のではないかと思われます。兵食の洋食化の流れとも一致します。
太平洋戦争中においても海軍、陸軍ともによくカレーが作られて
いたといわれていますが、海軍で金曜日にカレーが出されていた
ということはないので、「海軍以来の伝統」というのは間違いと
いうことになります。

 では海上自衛隊ではどうだったのでしょうか? 現在の週休2
日制になる前、土曜日は「半ドン」で、艦艇では午前は整備作業
や大掃除をし、終わってカレーライスの昼食をとって上陸(外出)
という1週間のサイクルが慣例になっていました。カレーであれ
ば食器が少なくて済み、片付け係である若い隊員たちも早く上陸
できるという利点や、前日のうちに作り置きできるカレーならば
毎日食事を準備しなければならない調理員も連休を取りやすくな
るということもありました。

 このような背景もあり、たしか平成4年だったと思いますが、
土曜半ドンから4週6休制を経て週休2日制になると、乗組員の
人気メニューであったカレーは土曜日の昼食から半ば当たり前の
ように金曜日に移ったのでした。カレーの「金曜日化」は極めて
自然な流れであったことを記憶しています。

 そもそも艦艇の乗組員が曜日感覚を忘れないためなら、金曜で
なくても良いし、カレーでなくステーキでも良いはずです。明日
は土日、楽しい週末が控えているのならいざ知らず、連日ミッシ
ョンを続けている洋上で金曜日を思い出すメリットは特にないの
ではないでしょうか。ただ、長期海外派遣が普通になった今日、
乗組員たちがカレーを食べて「ああ1週間経ったな」とか、「あと
3回カレーを食べたら日本だな」とか感じるのは事実でしょうから
「金曜日のカレー」はそのような意味で新たな慣習として受け止
められているのではないかと思います。

 今回でこぼれ話は一旦おしまいにして、次回からは以前のリー
ダーシップ論に戻りたいと思います。


(どうした・てつろう)


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【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 

 
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発行:
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(代表・エンリケ航海王子)
 
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