配信日時 2018/10/17 16:00

【裏切りのスパイ戦(4)】「金正男暗殺事件」 山中祥三(インテリジェンス研究家)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「裏切りのスパイ戦」第四話をお届けします。

今日のテーマは
「金正男暗殺事件」
です。

わが国ではなぜか、
忘却の彼方に消えてしまった感がある
この事件ですが、
きちんと考察しておくことで、
わが国の今後に活かす土壌が残りますから、
価値あることと思います。

敬意を表します。

さっそくご覧ください。


エンリケ


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裏切りのスパイ戦(4)

「金正男暗殺事件」

山中祥三(インテリジェンス研究家)
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□はじめに

 2018年8月16日、金正男(キム・ジョンナム)氏がマレ
ーシアの空港で殺害された事件で、クアラルンプール近郊の高等
裁判所は、実行犯として殺人罪で起訴された女2人の審理を継続
することを決めた。11月からは弁護側の立証作業が本格的に始
まる予定である。

 筆者は、2017年2月にこの事件が発生してからずっと気に
なり調べようと思っていた。しかし、新聞を大きく賑わしたわり
には、時間が経過しても新たな事実関係は明らかにされていない。
北朝鮮に逃げた容疑者たちが明らかにしない限り─しかしその可
能性は極めて低い─今後もさらなる事実が明らかになることはな
いであろう。


 したがって、今号では、現在までのオシント(公刊資料等)か
ら考察できる範囲で金正男暗殺事件を解明することしたい。

▼金正男暗殺実行

 2017年2月13日午前9時頃、「キム・チョル、1970
年6月10日平壌生まれ」という北朝鮮国籍のパスポートを持つ
男性がクアラルンプール国際空港で、ベトナム人とインドネシア
人の2人の女性に襲われた。その後、男性は体調不良に陥り、空
港内の医務室から病院へ搬送される途中に死亡した。

 同14日マレーシア政府が死体の指紋照会を行なったところ、
韓国当局が以前採取した金正男氏の指紋と一致し、死亡した人物
は「金正男」と断定された。

 また、同24日マレーシア警察は遺体解剖の結果、殺害に使用
されたのは神経剤の「VX」であると断定した。

▼作戦における役割分担

【実行犯】
 事件後実行犯の2人の女性と、重要な容疑者としてマレーシア
在住の北朝鮮人がマレーシア警察に逮捕された。

 実行犯の一人、ドアン・ティ・フォン(28)は、1988年
5月31日、ベトナム北部のナムディン省生まれで、マレーシア
に出稼ぎに来ていた。事件当時は胸にLOL(俗語で「大爆笑」を意
味)と書かれた白いTシャツを着ていた。

 もう一人の実行犯シティ・アイシャ(25)は、1992年2
月11日インドネシアのジャワ島西部セラン生まれ。細身で髪が長
く、犯行当時はグレーのシャツを着ていた。


 裁判では、実行犯が毒物と知っていて、金正男氏に塗り付けた
かどうかが争点になっている。

 しかし、この作戦の背後には、朝鮮人民軍偵察総局19課があ
り、実行犯以外はみな北朝鮮人であり、それぞれの役割分担は、
次のように考えられる。

【その他の容疑者の役割】
 在マレーシア北朝鮮大使館に勤務する2等書記官ヒョン・クァ
ンソン(44)は、金正恩と直結しているとされる国家保衛省か
ら派遣されている。2016年9月20日マレーシアに入国した
とされている。したがって、今回の作戦の準備から実施に関する
全般を監督・監視する役割を担っていたと考えられる。

 オ・ジョンギル(54)は、金正男襲撃実行の統括責任者であ
り、平壌から派遣されたと考えられている。金正男襲撃後、ほか
の3人の北朝鮮のメンバーとともにすぐにインドネシアに逃げた
が、その後別行動をとり、1人だけその後の足取りが不明である。

 リ・ジェナム(57)は、オ・ジョンギルとともに暗殺を見届
ける役割を担っていたと考えられる。

 リ・ジョンチョル(46)は、マレーシア在住の北朝鮮人で北
朝鮮から派遣された者たちの宿泊や移動の手配、すべての容疑者
との連絡をとるなどのコーディネーター役と考えられる。事件当
日は空港には行っていない。リ・ジョンチョルは、北朝鮮の大学
で薬学などを学び2000年に卒業。2013年に、勤務先をマ
レーシアの漢方薬輸入販売会社「トンボ・エンタープライズ」に
偽装登録し、外国人就労ビザを取得した。少なくとも2016年
からマレーシアに居住している。

 リ・ジウ(30)は、シティ・アイシャをいたずら番組への出
演と称してリクルートするとともに、撮影と称して暗殺の予行を
行なったリクルート兼訓練係だと考えられる。

 リ・ジヒョン(32)とホン・ソンハク(32)は、2人の実
行犯のリクルートおよび訓練係としての役割を有するとともに、
女2人が失敗した時の、暗殺実行の予備要員として控えていたと
考えられる。ホン・ソンハクは、北朝鮮の外務省の職員の肩書を
有しており、在インドネシアの北朝鮮大使館で勤務していた経験
があることも判明している。

 キム・ウキル(37)は、北朝鮮国営航空会社高麗航空の職員
であり、金正男氏の出入国の監視や北朝鮮からの要員のスムーズ
な受け入れなど、作戦を支援する役割を果たしていたと考えられ
る。ちなみに高麗航空は、2016年12月にスカッドミサイル
の部品を運搬している疑いがあるとして、米財務省や韓国政府か
ら制裁対象に加えられた。

▼暗殺実行までのタイムライン

 今まで判明した金正男氏の暗殺にいたるまでの構想から実行段
階までの一連の行動を推測してみたい。段階を区分すると、大き
く構想段階、計画段階、準備段階、実行段階、作戦後の段階とな
る。

【構想段階(2013年前後)】
 金正男は金正日の有力な後継者だったが、2001年日本に入
国しようとして強制退去させられたことが、金正日の怒りを買い、
後継者レースから脱落していったとされる。金正男は、2011
年に金正日が死去したあとは、北朝鮮国外で北朝鮮における世襲
制批判をメディアなどに流していた。また、張成沢と組んで亡命
政府を作ろうとしているなどの噂も報道されたりした。そのよう
なことなどから、金正恩は自らの権力基盤を確立するため、張成
沢のみならず金正男も排除したいという思いがあったはずである。

 2013年に張成沢を処刑された前後から、本格的に金正男の
暗殺が構想・決定されたと考える。暗殺場所としては、シンガポ
ール、カンボジア、マレーシアなどが候補地に挙がったものと考
えられる。

【計画段階(2013~2016年)】
 暗殺決定後は、北朝鮮国営航空会社高麗航空の職員キム・ウキ
ルなどが情報収集にあたるとともに、コーディネーターのリ・ジ
ョンチョルは、マレーシアにおける就労ビザを取得し、現地で仕
事する名目で地道に情報収集にあたったと考えられる。

 また、この期間に具体的な殺害の方法などが計画され、単独で
は害の少ないとされる前駆物質をどのような形で混合させれば致
死性高い化学剤になるのか、どの程度の時間で死に至るのかなど
の実験が、北朝鮮国内で行なわれたはずである。

【準備段階(2016~2017年)】
 この期間には本格的な現地の偵察、実行犯のリクルート、予行
がなされたと考えられる。偵察の部分は、明らかになっていない
が、リクルートと予行の一部は明らかになっている。

 実行犯の一人ドアン・ティ・フォンは、2016年12月27
日ハノイのバーで「Y」ことリ・ジヒョンに、いたずら番組への
女優としての出演を依頼され、翌17年1月から各地で「撮影」
と称するリハーサルを繰り返した。

 もう一人の実行犯シティ・アイシャは、2017年1月5日に、
いたずら番組の撮影のため日本から来たとするテレビ番組のプロ
デューサー「ジェームス」ことリ・ジウを紹介され、その日から
番組の撮影を開始した。5日から9日まで連続で「いたずら番組
の撮影」と称された予行は、マレーシアのショッピングモール、
クアラルンプール国際空港、駅ビル、ホテルなど場所を変えなが
ら行なわれた。

 番組の台本は簡単なもので、シティ・アイシャがリ・ジウから
ベビーオイルのようなものを手に付けてもらい、一人で通行人に
駆け寄りいきなり顔に塗って驚かせるというものだった。撮影は
離れた場所で行なっているということで、近くにメンバーは見え
ず1日あたり3人ほどがいたずらのターゲットになったとされる。

 1月21日にアイシャはカンボジアに移動し、流ちょうなイン
ドネシア語を話すホン・ソンハクの指示を受けて、通行人の顔に
液体を塗るいたずら撮影を行なった。同22日も実施する予定だ
ったが中止になりその日にクアラルンプールに戻った。

 クアラルンプールに戻ったあとも、アイシャはホン・ソンハク
の指示で2月3、4、7、11日に国際空港のターミナルビル内
で撮影を行なっている。

 アイシャと同時期に、ドアン・ティ・フォンもカンボジアで撮
影があると言われて、ハノイからプノンペンへ移動している。ま
た、リ・ジヒョン、リ・ジェナムもカンボジアに入国していたこ
とが確認されている。しかし、プノンペン到着後に何らかの理由
で撮影は中止されている。

 しかし、空港内で何度もいたずらの撮影をしていると、なかに
はクレームをつけるターゲットもいると考えられるが、トラブル
を起こさないようにターゲットも北朝鮮側が準備した要員ではな
いだろうか。なぜなら、逮捕後アイシャは1月上旬のクアラルン
プールでのターゲットには、ホン・ソンハクが含まれていたこと
に気づいたとされている。

【実行段階(2017年2月13日)】
 事件当日の要員の行動を、時系列的に細かく記述すると次のよ
うになる。

・8:59。キム・チョルという北朝鮮のパスポートを持つ男性
(のちに金正男と特定)が、クアラルンプール国際空港で、マカ
オへ出国のために3階のエアアジアの自動チェックイン機の行列
に並んでいたところ、女性2人に襲撃された。男性の左前からグ
レーのシャツを着た細身で髪の長いシティ・アイシャが近づき、
何かを話しかけ気をそらした隙に、背後から(「大爆笑」と書か
れた)白いTシャツを着たドアン・ティ・フォンが目隠しをする
ように何かを塗り付けた。その瞬間シティ・アイシャも男の顔に
何かをなすり付けた。
 2人の女性はそれぞれ来た時とは逆の方向に向かって速足で移
動し姿を消した。

・9:01。2人は別の方向に逃げ2階に降りてトイレで手を洗
った。

・9:05頃。金正男は空港案内所で警備員に目が痛いと訴えて
2階の診療所へ移動。

・9:10頃。金正男は診療所において意識不明となる。その後
担架で運び出されたが救急搬送中に死亡した。

・9:26。2人の女はタクシーで空港から別個に逃亡。1人は
ホテルへ1人は自宅へ向かった。後日シティ・アイシャは、嘔吐
などの中毒症状と見られる症状を起こしていたことが判明してい
る。

【作戦後】
 それぞれ逃亡している。
・9:50。2人の女の犯行を確認していたとみられるリ・ジェ
ナムら北朝鮮籍の4人の容疑者は、金正男襲撃直後、トイレで服
を着かえ、9:50発の国際便でマレーシア出国しインドネシア・
ジャカルタへ移動。

・22:20。リ・ジェナム、ホン・ソンハク、リ・ジョヒョン
の三容疑者は、インドネシアを出国し、ドバイへ移動。ただし、
オ・ジョンギル容疑者のインドネシア出国記録はなくその後の足
取りは不明。

・2月15日
ドアン・ティ・フォンは、指示を受けていたとされる男たちと連
絡が取れなくなった。男たちが15日までクアラルンプール国際
空港で撮影をしているという話を聞いていたため、出演料を受け
取ろうと空港へ男たちを探しに出かけたところ検挙された。

・2月16日。シティ・アイシャ逮捕

・2月17日。リ・ジヒョン(32)、ホン・ソンハク(32)、
リ・ジェナム(57)は、ドバイからウラジオストックを経由し
て平壌に帰国したことが判明した。

・3月30日。重要参考人のリ・ジウと逮捕されていたキム・ウ
キルは、金正男の遺体とともに30日にマレーシアを出国し、3
1日に北朝鮮へ送還された。

▼なぜマレーシアのしかも空港で暗殺が行なわれたか?

 金正男氏は、香港、マカオを拠点としつつ頻繁に海外で過ごし
ていた。中国内では金正男氏も当局の保護を受けていたとみられ
るし、中国との関係もあるため暗殺場所は必然的に海外が選ばれ
たのであろう。

 マレーシアは、シンガポール、カンボジアと並んで北朝鮮への
警戒がゆるく、東南アジアでは、北朝鮮人がビザなしで訪問でき
る数少ない国である。3カ国はそこを経由して他国へも移動しや
すいため、以前から北朝鮮偵察総局の工作員が活動する拠点とな
ってきた。

 これらの国々には、北朝鮮レストランがあり、海外労働者も多
数派遣されている。工作員は、さまざまな職業になりすまして、
日本、韓国欧米などの外交官や企業家の情報収集任務も行なって
いる。

 そのため、暗殺が行なわれる国としては、シンガポール、カン
ボジア、マレーシアが候補となる。


 しかし、シンガポールは2016年に国連安保理決議第227
0号(北朝鮮制裁決議)を受けて北朝鮮に対するビザ免除措置を
取り消した。残るはカンボジアかマレーシアである。実際、1月
における実行犯たちの行動を見ればカンボジアでの殺害の可能性
もあったのではないかと考えられる。

 毎年、英コンサルティング会社ヘンリー&パートナーズが、そ
れぞれの国のパスポートでビザなしで渡航できる国の数などをパ
スポート指数としてまとめている。

 2018年(10月アクセス)のパスポート指数によれば、北
朝鮮のパスポートランキングは99位で、北朝鮮パスポート保有
者がビザなしで渡航できる国は42カ国である。今回の事件を受
けてマレーシアがビザなし渡航を禁止したため、東南アジアでは、
カンボジアとラオスしか残っていない。なお、ランキング1位の
日本は190カ国である。

 また、国際空港で殺害されたのは、金正男氏の行動がわかって
いれば待ち伏せする時間と場所が特定できること、作戦関係者た
ちの犯行後の逃走が容易であること、犯行が取り上げられること
により、ほかの北朝鮮からの逃亡者にアピールできること、など
が考える。

▼殺害手段のVX

 今回殺害に使われたのはVXだとマレーシア警察は断言した。
VXは神経剤の一種で、サリンなどと同様、コリンエステラーゼ
阻害剤として作用し、人類が作った化学物質の中で非常に毒性の
強い物質の一つといわれる。(第1回のメルマガで紹介したノビ
チョクは、この5~8倍の毒性があるとされている)

 我が国においても1994年のオウム真理教のテロ事件で使わ
れた。その時の事件の犠牲者は数ミリリットル程度のVX溶液で
死に至った。

 VXは、副交感神経系や運動神経終末などにあるコリンエステ
ラーゼ(神経伝達物質のアセチルコリンを加水分解する酵素)の
エステル部をリン酸化する。これにより酵素活性が失われ、アセ
チルコリンが分解されなくなる。すると、神経終末にアセチルコ
リンが充溢、ムスカリン受容体やニコチン受容体が持続的に刺激
される。結果として、縮瞳、頭痛、流涙、嘔吐、腹痛、下痢、視
覚障害、呼吸困難、徐脈、失禁、意識障害、全身痙攣などの症状
を呈し、死に至る。

 VXは、1950年代初期にイギリスで合成された琥珀色をし
た油状の液体で、揮発性は低く、無味無臭である。兵器としては、
霧状にして毒ガスとして使用する。呼吸器からだけでなく、皮膚
からも吸収されて毒性を発揮する。揮発性が低いため残留性が高
く、そのうえサリンなどと異なり化学的安定性も高い。そのため、
条件が整えば散布から1週間程度は効果が残留するとされる。

 このように、強力な毒性を要するVXであるが、今回の事案で
は素手で金正男氏の顔に塗り付けたとされているが、実行犯は死
亡していない。

 最初に背後からオイル状のものを塗ったドアン・ティ・フォン
には、その後VXによる中毒の症状は見られない。しかし2番目
に液を塗り付けたと見られるアイシャは、肌に違和感を覚えすぐ
に手を洗ったものの中毒症状の状況を呈している。このことから
は、今回のVXは、毒性の少ない2つの前駆物質を金正男氏の顔
の上で混ぜて合成してVXへと化学変化させたいわゆるバイナリ
ーと考えるのが妥当である。

【化学兵器禁止条約(CWC)について】 
 ところで化学兵器禁止条約(Chemical Weapon Convention:
CWC)は、サリンやVXなどの化学兵器の開発、生産、保有などを
包括的に禁止し、同時に、米国やロシア等が保有している化学兵
器を一定期間内に全廃することを定めたものである。
 
 2017年11月現在の締約国数は192カ国であるが、北朝
鮮は数少ない未締結国の一つである。その他はイスラエル(署名
国)、エジプトおよび南スーダンがそうである。

 化学兵器に関しては、1925年のジュネーブ議定書により
「窒息性ガス、毒性ガス等の戦争における使用」が禁止されてい
たものの、その開発、生産および貯蔵までは禁止されていなかっ
た。そこで、1980年から軍縮委員会(その後の軍縮会議)に
おいて化学兵器禁止特別委員会が設立され、化学兵器禁止のため
の交渉作業が本格的に開始された。
 
 しかし、東西対立などのため交渉は長期化した。1992年に
条約案が軍縮会議において採択され、1993年パリで署名式が
開催された。発効は1997年4月29日である。同年5月には
条約の履行を見守る国際機関として化学兵器禁止機関(OPCW)
がハーグに設立された。

▼北朝鮮による国家ぐるみのテロや暗殺

 さて、北朝鮮は国家ぐるみでテロや暗殺の実行(未遂)などを
過去にも実行している。以下はそれらの例である。
 
【青瓦台襲撃事件】
 1968年1月北朝鮮は、青瓦台を襲撃して朴正煕(パク・チ
ョンヒ)大統領と閣僚の暗殺を企図し、特殊部隊31人を韓国軍
人に偽装させて同国に潜入させた。

 1月21日、部隊は青瓦台800メートル手前のところまで侵
入した。しかし、市民の通報により警戒中だった韓国当局に検問
を受けた。そのため、特殊部隊はその場で自動小銃を乱射して逃
亡、突入は阻止された。

 韓国軍と警察による2週間の掃討作戦により、1人が逮捕、2
9人が射殺され、1人が自爆した。2週間の銃撃戦で韓国側は軍
人・警察官と巻き添えの民間人の計68人が死亡した。

【ビルマ・ラングーン事件】
 1983年10月、ビルマ(現ミャンマー)に潜入した北朝鮮
の偵察局の隊員3人が、同国を親善訪問中の全斗煥(チョン・ド
ファン)韓国大統領らの暗殺を企図し、訪問先である「アウンサ
ン廟(びょう)」において遠隔操作式のクレイモア地雷を仕掛け、
爆弾テロを引き起こした。副首相、韓国外務部長官ら21人が死
亡し、負傷者は40人を超えた。

 ビルマ警察の調査と追跡により、北朝鮮工作員3人は追い詰め
られ、銃撃戦の末に逮捕された。1人は射殺され、2人は重傷を
負った。重症の2人は警察に対して作戦の全貌を自供し、11月
4日にビルマ政府は、犯行を北朝鮮によるものと断定して3人の
朝鮮人民軍軍人を実行犯として告発した。

 非同盟中立を標榜していたビルマは、北朝鮮との関係は、事件
前はかなり友好的なものであった。しかし、「建国の父」である
アウンサンの墓所を爆破し、要人の暗殺に利用するという行為に、
ビルマ政府は憤慨し、北朝鮮との国交を断絶するのみならず、国
家承認の取り消しという厳しい措置を行なった。その後2007
年両国の国交は回復している。

【大韓航空機爆破事件】
 1987年11月、日本人名義の偽造旅券を所持した北朝鮮工
作員の金勝一(キム・スンイル)と金賢姫(キム・ヒョンヒ)が、
バグダッド発アブダビ、バンコク経由ソウル行きの大韓航空機8
58便に時限爆弾を仕掛け、アブダビからバンコクへ向かう途中
のビルマ南方アンダマン海域上空で爆破させた。


 その結果乗員乗客115人全員が死亡した。金賢姫の供述など
から、同人らは、朝鮮労働党対外情報調査部に所属し、北朝鮮に
おいて、「ソウル・オリンピック(1988年9月)を妨害する
ため大韓航空機を爆破せよ」との指令を受け、犯行に及んだこと
が判明した。

【イ・ハンヨン暗殺事件】
 1997年2月、金正日の元妻の姉の息子である李韓永(イ・
ハンヨン)が亡命先のソウル郊外で北朝鮮工作員により射殺され
た。

 イ・ハンヨンは1978年にモスクワ言語大学文学部に入学。
卒業後、フランス語を学ぶためにジュネーブの大学に留学してい
たが、1982年に韓国へ亡命した。その後1987年12月に
KBS国際局に入社してロシア語の放送プロデューサーとなった。
1996年頃、韓国や日本のメディアのインタビューに応じ、金
一族について話したことや暴露本『平壌「十五号官邸」の抜け穴』
を出版した。そのことが殺害理由の原因の一つと考えられる。

 1997年2月15日、身を寄せていた友人宅前で北朝鮮の工
作員2人により頭部に銃撃を受けて脳死状態に陥り、10日後に
死亡した。その後、同年10月27日に北朝鮮の工作員夫婦が逮
捕され(妻は自殺)、夫を取り調べた結果、韓永の暗殺は朝鮮労
働党社会文化部の特殊工作組のメンバーによる犯行と断定され、
それは金正日の指示によるとされた。

【中国吉林省における韓国人牧師の拉致】
 2000年1月、北朝鮮の国境に隣接する中国吉林省延辺朝鮮
族自治州で北朝鮮を脱出した住民の亡命を手助けしていた韓国人
牧師(57)が2000年1月行方不明になった。この牧師が北
朝鮮で工作員教育を受けた朝鮮族男性らに拉致されていたことが
2004年12月になって明らかになった。

【韓国軍の哨戒艇天安沈没事件】
 2010年3月26日午後9時45分頃、天安は朝鮮半島西方
黄海上の北方限界線(NLL)付近(白翎島西南方)で、船体後
方が爆発し、船体が2つに切断され沈没、乗組員104人のうち
46人が行方不明になった。

 韓国政府は国外の専門家を交えて爆発原因の本格的な調査を開
始し、5月20日、軍と民間の合同調査団(韓・英・米・豪・瑞)
は、天安は北朝鮮による魚雷の攻撃を受けて沈没したと断定する
調査結果を発表した。また、この事件には偵察総局が関わってい
るとされている。

【黄長燁(ファン・ジャン・ヨプ)元党書記の殺害計画】
 2010年4月韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャン・ヨプ)
元党書記の殺害を企図したとして偵察総局工作員2人が逮捕され
た。10月にも同様の計画をした工作員1人が逮捕された。

▼北朝鮮の情報機関

 以上のように、各種工作活動にはいろいろな情報機関が関わっ
てきた。北朝鮮の情報機関は、現在朝鮮人民軍に属する情報機関、
秘密警察に属する情報機関、朝鮮労働党に属する情報機関の3つ
に大別される。

【朝鮮人民軍の情報機関】
・朝鮮人民軍偵察総局
 金正男暗殺においては、この偵察総局の19課が中心的役割を
果たしたと見られている。偵察総局は2009年に、朝鮮人民軍
総参謀部偵察局、朝鮮労働党作戦部、朝鮮労働党対外情報調査部
が統合して発足した。初代の総局長は金英哲である。

 偵察総局は人民武力省傘下の対外情報・特殊工作機関である。
韓国や第三国に対するスパイや工作員の浸透、情報収集、世論工
作、暗殺、各種破壊工作、密輸・密売による外貨獲得、サイバー
攻撃などを所掌する。

・朝鮮人民軍保衛司令部
 朝鮮人民軍のカウンターインテリジェンス機関である。共産圏
では、一般に政治将校が軍内部の監視任務を担当しているが、北
朝鮮では、これとは別に軍人を監視する保衛司令部を設置してお
り、将軍やそれ以下の将校が使用する電話の盗聴なども行なって
いる。

・朝鮮人民軍政治局敵工部
 朝鮮人民軍総政治局は朝鮮人民軍の政治査察機関である。朝鮮
人民軍将兵に対する宣伝、扇動に重点を置き、日常的な統制、忠
誠心評価、思想的動向を監視する。「反革命分子」を摘発する機
関である朝鮮人民軍保衛司令部とともに人民軍内将兵の思想統制
を管轄する。また心理戦も司る。

 なかでも敵工部は、韓国軍兵士との接触工作、拉致、越北の工
作、非武装地帯での拡声器放送、出版物配布などを平時の任務と
する。戦時には、占領地域で住民対策事業を行ない、反動分子の
摘発と韓国側の戦力測定を任務とする。

【秘密警察の情報機関】
・国家保衛省
 北朝鮮の秘密警察で、主任務はスパイや反体制派の摘発である。
中国東北地方、香港、マカオといった国外でも活動しており、脱
北者の摘発なども行なっている。国家保衛省は5~7万人ともい
われる正規要員と数十万人の協力者がいると推定されているが、
詳細は不明である。

 2008年に韓国で摘発された国家保衛省の女性工作員、元正
花(ウォンジョンファ)は、脱北者に偽装して韓国に潜入したあ
と、協力者獲得工作とともに、黄長燁元書記の所在確認も命令さ
れていたとされる。また、金正男暗殺事件発生後、元正花は、
「北から派遣される工作員の数は限られ、現地の人を雇う」と証
言した。今回のように外国人を抱き込むのは、近年の北朝鮮工作
員の手口の一つである。

・人民保安省
 北朝鮮の警察を管轄する官庁で、列国の内務省に相当する。組
織は、日本や韓国の警察署に該当する部署があり、各行政区域単
位に道人民保安局、市・郡人民保安部、区域保安部として設置さ
れており、日本や韓国の交番に該当する部署には分駐所がある。

【朝鮮労働党の情報機関】
 2009年まで、朝鮮労働党の情報機関は、作戦部、対外情報
調査部、統一戦線部、対外連絡部で構成されていた。平壌特別市
牡丹峰区域戦勝洞朝鮮労働党3号庁舎に作戦部、統一戦線部、対
外連絡部の管理部門3つが集まっているため、通称「3号庁舎」
と呼ばれていた。 

 しかし前述したように、2009年、作戦部と対外情報調査部
は朝鮮人民軍総参謀部偵察局と統合され、朝鮮人民軍偵察総局と
して拡大再編されている。

・朝鮮労働党統一戦線部
 したがって、党の情報機関は朝鮮労働党統一戦線部である。そ
もそも同機関は1977年、金日成の直接命令により新設され、
韓国内の民間団体や在日韓国・朝鮮人を含む海外同胞の包摂を担
当する機関であり、南北対話と交流も指導している。ほかの機関
と比較して、公然の宣伝工作を行なうことが特徴である。外交問
題にも直接・間接に関与している。


 また、日本など海外の親北朝鮮派の結集と組織の構築、反北朝
鮮派の孤立化工作と情報宣伝も専門に行なっている。また朝鮮総
連の指導もしていた対外連絡部は、2013年に第225室とし
て、統一戦線部の傘下機関に再編されている。

▼おわりに
 
 今回の金正男暗殺事件に関わったと見られる北朝鮮人たちは、
犯行後すぐに逃走した。また、北朝鮮人で唯一逮捕された現地在
住のコーディネーター役のリ・ジョンチョルも、北朝鮮の巧みな
外交術により釈放され帰国した。北朝鮮の情報機関から見れば、
金正男暗殺は成功裏に終わった。

 本事件の実行犯として殺人罪で起訴されたインドネシア人とベ
トナム人の2人は11月から弁護側の立証作業が本格的に始まる
という。審理は長引くかもしれないが、真相はほぼ永久に闇に葬
られたままになるのであろう。計画に関与した北朝鮮人は誰も捕
まっておらず責任も問われないからである。

 結局残されたのは、1回100ドル程度の出演料でリクルート
され、北朝鮮の情報機関の要員に裏切られて殺人犯に仕立て上げ
られた悲しき女優志望の2人だけである。

 しかし、実行犯を裏切りまんまと北朝鮮へ帰国した4人だが、
実は帰国後に真相を隠すためすでに金正恩に抹殺されたとの噂も
ある。それが本当なら工作員たちもまた、上層部に裏切られたの
である。

 これらの裏切りも本メルマガのテーマ「裏切りのスパイ戦」の
一コマと言えるであろう。


(やまなか・しょうぞう)

 


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