配信日時 2018/10/08 20:00

【戦う組織のリーダーシップ ─今に生きる海軍先輩の教え─(8)】「リーダーに求められる3つの顔『象徴』『決裁者』『先輩』(4)」 堂下哲郎(元海将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
した即応予備自衛官でもあります。
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こんにちは、エンリケです。

私も予約した
『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
が先週水曜日に届いて、さっそく読んでいます。

しっかり内容が詰まっているのに、
ペロペロ読める、という感じです。
あっという間にページが進みます。
今は3回目を読んでいます。
あらためて、読みやすさに感嘆しているところです。

忙しくて、本を読む気力なんてないよ、
という方にこそ、読んでいただきたいですね。

『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/


さて今日の記事。

鮫島大佐と板倉少尉のエピソード
山梨大将と中山海将のエピソード

こういう具体的で身近な話は、
じつに心に沁みますね。

こういう逸話を自分の中に
いっぱい貯えた引き出しの多い人ほど、
魅力的な人物のような気がします。

もっともっと魅力的になりたいですね。


さっそくどうぞ


エンリケ



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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(8)】

「リーダーに求められる3つの顔『象徴』『決裁者』『先輩』(4)」
 ─人生の一先輩として後輩を育てる─

堂下哲郎(元海将)
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はじめに

 新著『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利
する─』は、すでにアマゾンで販売が始まり、書店にも並び始め
ました。

 この本は、海上自衛隊在職中に作戦運用に関わる配置を多く経
験させていただきましたので、その総まとめのような気持ちで書
き綴ったものです。後輩自衛官たちの役に少しでも立てばと思っ
ています。

『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」で勝利する─』
http://okigunnji.com/url/352/


 さて、前回は、リーダーの第二の役割で最も重要な「決裁者」
としての顔について「太平洋海戦最大の奇跡」といわれたキスカ
撤退作戦での木村司令官のエピソードを紹介しました。

 今回は、リーダーの三つの役割の最後、「先輩」としての顔に
ついてです。これは決裁者とか上司という立場を離れ、人生の一
先輩として後輩を育てるということですが、さっそく海軍での出
来事を見てみたいと思います。

▼巡洋艦「最上」:艦長を殴った少尉

突っ込んできた敵機に向かい捨て身の「帽振れ」で騙して危機を
脱した「伊41潜」という潜水艦がありました。その艦長の板倉光
馬(みつま)少佐(海兵61期)が少尉として巡洋艦「最上」に乗
っていた時の「事件」です。

 「最上」といえば当時の最新鋭巡洋艦であり、艦長は鮫島具重
(さめじまともしげ)大佐(海兵37期)という男爵家を継いだ人
物能力ともに抜群で、のちに侍従武官を務めた人物。昭和10年、
海軍大演習のあと東京湾に投錨したある日、板倉少尉は朝から上
陸して飲酒、いつもどおりに相当酩酊して芝浦桟橋で艦へ戻る定
期便を待っていましたが、なかなか来ない。

平素から下士官、兵にはうるさいのに、上級士官が帰艦時刻にル
ーズで定期便を平気で遅らせたりすることに腹を立てていた正義
感の強い板倉少尉は、やっと来た定期便から最初に上陸してきた
士官に思わず殴りかかったのです。当日は多数の華族御夫妻が艦
長の招待で「最上」の見学に訪れており、この定期便はその送り
便であり、最初に上陸したのは艦長その人でした。
 
帰艦後、副長からは「艦長を殴るとは帝国海軍始まって以来の不
祥事だ。身の回りを整理しておけ」と厳しく叱責されたのは当然
です。酔いが醒めた本人も上官暴行罪で軍法会議に回され、良く
て懲戒免職であろうと覚悟し、真っ赤に顔の腫れた艦長に詫びに
行きました。

「板倉少尉は、酒をやめることはできないかね」
「はっ、ただ今禁酒の決意でおりますが、不可能と思います」
「では、酒の量を減らすわけにはいかんか」
「はっ、酒をやめるより難しいと思います」
「では聞くが、私を殴ったからには、それなりの理由があろう。
理由を言いたまえ」
「いえ、理由はありません。そこに書きましたとおり、前後不覚
の酩酊のうえのことであります」
「そうか、もうよろしい」

横を向いてしまった艦長に「もう駄目だ」と思い自室で謹慎する
ほかなかったといいます。翌日、再度呼び出され「何か理由があ
るはずだ」との艦長の問いに、言い訳はするなという兵学校の教
えを守って黙っていたものの、ついに根負けしてどうせ海軍をや
めるのなら帰艦時刻のでたらめだけは何とか改めてもらいたいと
考え、こういう不満を持っていたと白状したところ、艦長は「よ
しわかった」との返事。数日後、板倉少尉は何のお咎めもないま
ま同じ一等巡洋艦である「青葉」乗組みが発令されたのです。

のちに分かったことは、鮫島艦長は自分を殴った一少尉の命乞い
にわざわざ海軍次官を訪ね、お咎めなきよう切に陳情され、軍令
部に対しては士官の綱紀に関する意見書を上申していました。そ
して、しばらくして全海軍に対し高級将校も帰艦時刻を厳守すべ
き旨の指示が出されたのです。板倉少尉は「青葉」で約1年間、
謹慎の意味もあり自ら上陸を断って一生懸命勉強したということ
です。

これは佐藤和正著『艦長たちの太平洋戦争』に収められた板倉氏
の回想の一部です。「正しいことの通る海軍、血も涙もある海軍」
という話ですが、板倉少尉の平素の勤務ぶりや性格を熟知したう
えで将来を嘱望していた鮫島艦長が、私憤を抑え同じ海軍士官の
先輩として「正しいこと」をなしたということでしょう。この時
の縁で二人が強い絆で結ばれたことはいうまでもありません。

▼植木を育てるのに

 戦後の海上自衛隊に関係するエピソードもあります。中山定義
元海上幕僚長(海兵54期)が『山梨勝之進先生伝記資料(その二)』
の中で次のように回想しています。
 
昭和29年9月に初代幹部学校長を命ぜられ、その創設事務に取り
組んだが、内外の諸問題を含んで「すこぶる厄介なこと」と思わ
れた。そこで、海兵では29期も先輩の山梨勝之進大将を自宅訪問
をタブーとする海軍の伝統は百も承知ながら、背に腹は代えられ
ず繰り返し訪問し懇切丁寧に教えていただいたものである。その
頃の私は、山梨さんの眼にはむやみと焦っているように映ってい
たらしく、「植木を育てるのに、水と太陽の熱が要るからといっ
て、お湯をやればすぐ枯れてしまうではないか」と静かに諭され
た。私は、三斗の冷水をかぶせられるような思いをした。

 ちなみに、山梨大将といえば学習院院長も務めた人物ですが、
戦後「人間宣言」をされた昭和天皇に対して漫談家の徳川夢声ら
が不躾に「陛下は数多くの陸海軍将星をご存じでしょうが、誰が
一番好きでしたか?」と尋ねたところ「山梨だ」と言下に答えら
れたという話があります。山梨さんとはそんな方だったと伝えら
れています。

▼先輩としての顔の見せ方
 
さてこれら二つのエピソード、直接比較できるようなものではあ
りませんが、「最上」艦長は何よりも決裁者、上司としての顔が
ありましたから「事件」の処理にあたっては先輩としての顔との
使い分け、バランスのとりかたには葛藤があったはずです。決裁
者としていかようにも処置できるときに単に後輩可愛さだけで判
断したのでは情に流されたということになり規律は守れません。
艦長は寛大な処置を願い出るとともに、彼の言い分を認めて軍令
部に掛け合ういっぽうで、当の板倉少尉は1年もの間謹慎してい
ます。このように先輩は後輩の汲むべきところは汲み真の愛情を
示す、そしてその思いに後輩も応える、甘えてばかりでないから
こそ光るエピソードだと言えると思います。

一方の山梨大将は現役を離れて久しいこともあり大先輩ではある
けれども、あくまでも外部の人間として後輩に対して親切に助言
し、必要な時には喩え話で遠回しに諭される。現役にあって難事
に取り組む後輩に対する敬意や礼譲、人柄の奥ゆかしさが伺える
と思います。

このように先輩としての顔の見せ方とは深慮が求められるもので
難しいものだと思います。後輩が本当に困って相談に行ったとき
に決裁者の顔をされたのでは、とりつくしまがなくなるでしょう
し、求められてもいない場合は、押付け、お節介になってしまい
ます。結局のところこれらのエピソードから教えられるのは、さ
まざまな立場で後輩に接する場合には先輩としての「分」をわき
まえることが肝要なのだということだと思います。


(つづく)

(どうした・てつろう)


 
【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。

 
 
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