配信日時 2018/10/04 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(6)】「江戸時代初期の外交・防衛を考える」(1) 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
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こんにちは、エンリケです。

「八重洲」の語源、

しられざる豊臣秀頼の一面、

などがわかる、今日も面白い内容です。


さっそくどうぞ。


エンリケ

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我が国の歴史を振り返る
 ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(6)

「江戸時代初期の外交・防衛を考える」(1)

宗像久男(元陸将)
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▼「大航海時代」の“主役”交代

 「大航海時代」が始まってからしばらく過ぎた16世紀前半、欧州
では「宗教改革」が起こり、カトリックとプロテスタントの新旧
両派がキリスト教世界を二分する激しい宗教戦争へ転化・拡大し、
17世紀まで続きました。
日本に最初にたどり着いた「イエズス会」は、1534年にフラ
ンシスコ・ザビエルらによって創設された急進的なカトリックの
一派でした。カトリック国・スペインは、支配していたネーデル
ランドのプロテスタント勢力を迫害しておりましたが、1581
年、ネーデルランドの北部7州はオランダとして独立しました。
そしてプロテスタントの牙城・イギリスと手を握り、有名な「ア
ルマダの海戦」(1588年)においてスペインの“無敵艦隊”
を撃破してしまいました。その後、スペインは艦隊を再建して制
海権を守り通しましたが、オランダとイギリスは、新大陸から銀
などを持ち帰るスペイン船団を掠奪するなどして、次第に海外へ
目を向け始めました。
こうして、“太陽の沈まない国”スペインが衰退し始め、ポルト
ガルもスペインの属国になるなど、16世紀末以降、「大航海時代」
の“主役”がカトリック国のスペイン・ポルトガルからプロテス
タント国のオランダ・イギリスへ交代したのでした。

▼オランダ・イギリスに貿易を許可した家康

日本は、1600年の「関ヶ原の戦い」に勝利した徳川家康が天
下人になっておりました。家康は、秀吉が存命中に発布した禁教
令を取り消すことも、キリスト教を受け入れる意向もなかったよ
うですが、貿易には熱心で、引き続き、「朱印船貿易」を許可し
ておりました。
この結果、東南アジアや中国南部などとの交易はますます盛んに
なり、各地に“日本人町”も誕生しました。主に中国産の生糸や
絹を輸入し、日本から銀、銅、刀剣、硫黄、銅銭などが輸出され
たようです。

 1598年、オランダのロッテルダムから5隻の船団が極東に
向かって出発、約2年の歳月を経てそのうち1隻だけが豊後(ぶ
んご)(今の大分県)に漂着しました。そこにイギリス人航海士
ウイリアム・アダムスやオランダ人航海士ヤン・ヨーステンらが乗
船しておりました。
家康は2人を引見(いんけん)し、2人から「キリスト教の布教
には関心がなく、貿易の利益のみを求めている」との航海目的を
聞き出し、欧州の宗教戦争の状況や「スペインやポルトガルがキ
リスト教を広めて日本を征服しようとしている」ことも知りまし
た。

 家康は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンを信頼し、
顧問として処遇します。ウイリアム・アダムスは250石取りの旗
本に取り立てられ、帯刀まで許されて三浦按針と名乗り、ヤン・
ヨーステンも江戸に屋敷を構えることを許可されました。屋敷は
現在の東京駅あたりで、「八重洲」という地名の由来となってい
ます。

 彼らの働きもあって、オランダやイギリスは「朱印船貿易」を
許可され、長崎や平戸で商館を開設、貿易を開始したのでした。

▼キリスト教禁止・弾圧へ

江戸時代初期、家康のキリスト教への姿勢はあくまで“黙認”だ
ったようですが、新旧入り交じって布教活動が活発になるにつれ、
幕府は次第に態度を硬化させていきました。そして、神仏勢力か
らの暗躍もあり、1609年に発生したキリスタン大名が絡む収
賄事件をきっかけにキリスト教徒の弾圧に傾斜し始めました。背
景に、当時まだ健在していた豊臣秀頼が大のキリスタン贔屓(ひ
いき)だったことへの警戒心があったと言われます。なかでもい
ちばんの危惧は、秀頼がスペインの支援を受けることでした。
ついに、「大坂の陣」に先立つタイミングの1612年、2代将
軍秀忠は、江戸、京都、駿府など直轄地に対して教会の破壊と布
教の禁止を命じた「キリシタン禁止令」を発令、翌13年には
「伴天連追放之文」(バテレン追放令)を起草するなど、キリス
ト教禁止を全国に広めました。
そのような矢先、家康没4年後の1620年、ポルトガル・スペ
イン人2人の宣教師を乗せた平山常陳(じょうちん)の朱印船を
イギリス・オランダの船隊が拿捕し、日本への密航が摘発すると
いう事件が発生しました(「平山常陳事件」)。
本事件は、幕府のキリシタンに対する不信感を決定づけるものと
なり、2人の宣教師をはじめ、長崎の牢獄に捕らえられていた宣
教師や信者など教会関係者55人が一斉に処刑されました(「元
和(げんな)の大殉教」(1622年))。日本のキリスタン迫
害の歴史の中で最も多くの信者らが同時に処刑された本事件後、
各地でキリシタンに対する迫害がさらに強化徹底されたのでした。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)

 
【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
 
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。

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