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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
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こんにちは、エンリケです。
今日の主役は、
「あの」
木村昌福海軍少将です。
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エンリケ
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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─(7)】
「リーダーに求められる3つの顔『象徴』『決裁者』『先輩』(3)」
─危機に際して試される「決裁者」の能力、そして器量─
堂下哲郎(元海将)
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□はじめに
私の初めての著作となる『作戦司令部の意思決定』に多数の注
文をいただきありがとうございました。米軍は陸海空・海兵隊の
軍種を超えた「統合作戦」を何度も経験し、そのノウハウを蓄積
しています。軍隊に限らず、組織が大きくなるほど「統合運用」
の手法が必要となります。その意味で本書の果たす役割は大きい
と信じています。どうぞ本書を読まれた方は、その感想をお寄せ
いただければと思います。
『作戦司令部の意思決定』
http://okigunnji.com/url/352/
さて、前回までリーダーの第一の役割である「象徴」というこ
とについて「風貌」「挙措」「言葉」を取り上げて、それぞれの
面から考えてみました。今回は第二の役割である「決裁者」とし
ての顔についてです。これはリーダーの役割の中でも最も重要で
本質的なものだと思います。決断し、命令を与え、勇気をもって
実行することは組織の中でリーダー以外にはできないかけがえの
ない役割であり、いくら「象徴」として立派だったとしても、
「戦う組織」においては「決裁者」としての中身が伴わなければ
見かけ倒しということでリーダー失格となるからです。
▼第二の役割:決裁者
「戦う組織」のリーダーは、敵との関係から生じる不確実性や限
られた情報をもとに極めて短時間に決心、決断を下さなければな
らない場合があります。このような困難な状況でリーダー自身が
適切な意思決定を下すことができたとしても、それを組織の方針
として徹底するにはなお難しさが残ります。
それは、組織の内外からの異論、反論にさらされた場合に、そ
れらを説得し組織の結束を保ちつつ勇気をもって実行することの
困難さです。さらには、なんとか実行に移したとしても、状況に
より中止しなければならない場合や方針を変更しなければならな
い場合がありえますが、その「やめる勇気」「変える勇気」が持
てるかどうか、そしてそれをすでに動き出した組織に徹底できる
か、決裁者としてのリーダーの能力、器量が試されることになり
ます。
異論、反論を予想して、それらに対抗しやすくするために結論
をまげることは迎合であり、あってはならないことです。また、
困難な状況であったり、変化が予想される場合には、あらかじめ
独断専行への備えをする必要がありますし、そのための上司との
十分な意思疎通は不可欠といえます。ここでは、このような困難
な状況を克服した例として「キスカ撤退作戦」のエピソードを見
てみます。
▼キスカ:延期続きの撤退作戦
1943年、アリューシャン列島のアッツ島日本軍守備隊約2,700名が
米軍の逆上陸を受け玉砕しました。これを受けて隣接するキスカ島
の守備隊約6,000名の撤収作戦が行なわれることになりました。同
島はアッツ島よりアラスカ寄りに位置し周辺は米艦隊により完全
に包囲されていたため、当初は潜水艦により収容しましたが、800
名余を撤収したところで潜水艦の輸送能力が限られることと戦闘
が激化したため打ち切らざるを得ませんでした。
その後、水上艦艇による一挙撤収作戦が計画され、第1水雷戦隊
(1水戦)司令官木村昌福(まさとみ)少将(海兵41期)が指揮官
に命じられました。この撤収作戦は濃霧に隠れて行動することが
成功の絶対条件でした。このため電波探知機を装備した最新の駆
逐艦を増強したり、気象予察のため九州帝大理学部出身の橋本少
尉を配員するなど十分な準備がなされました。
作戦では当初の突入予定日を7月11日と計画しましたが、海霧は
薄く米軍の活動も活発だったため延期されました。同様の理由か
ら13日、14日と延期し、燃料も尽きかけた15日、各艦長からの作
戦断行の強い意見具申もあるなか、木村司令官は熟慮の末、最終
的に「帰ればもう一度来ることができる」と「作戦中止、反転再
興」を決断したのです。
この作戦中止の決断に対しては、キスカ島守備隊を深く落胆させ
たたばかりか、上級司令部から「戦争に危険は当然」「燃料の逼
迫が判らないのか」「1水戦には肝がない」などの厳しい批判が
浴びせられたのでした。
▼運命の再出撃─太平洋海戦最大の奇跡
濃霧を期待できるのは7月いっぱいであること、撤収作戦に充て
られる燃料はあと1回分しかないことなどから、「次はない、
1水戦だけに任せておけない」との切迫した状況となり、連合艦
隊司令部などからの強い要求も受け、再出撃時には直属の上級指
揮官である第5艦隊司令長官河瀬四郎中将(海兵38期)が現場の
直接指揮を執ることとなりました。
再出撃前の打ち合わせでは、「第5艦隊司令長官の現地での直接
指揮は1水戦に対する不信任ではないか。1水戦の行動の自由を
奪うものではないか」などの激論が延々と交わされました。最後
は頃合いをみて発せられた木村司令官の「わかりました」のひと
言で、艦長らの思いやすべての困難を呑み込んで「人の和」を維
持し、作戦の成功に必要な「艦隊一丸」の団結をうち立てたので
す。
出撃後に起きた衝突事故も乗り越え、警戒厳重な米艦隊のわずか
な間隙をぬって、最終的に7月29日にキスカ守備隊5,183名全員を
撤収させるという完璧な成功を収めました。戦後、この作戦は
「太平洋海戦最大の奇跡」として知られるようになりました。
▼奇跡を起こさせたものとは?
この作戦を成功に導いたものとして、まず第一に木村司令官の周
到な準備と合理的な判断があげられます。木村は叩き上げの船乗
りで熟練の用兵者であったことはもちろんですが、電波探知機な
どの最新装備の能力を正しく評価し、弱冠25歳の橋本少尉の気象
予察を全面的に信頼して、重圧のもと気象の変化と敵の状況を勘
案して繰り返し延期の決断をするなど、決裁者として合理的思考
のできる人物でした。
第二は、最も重要なことですが、合理的に判断した作戦方針を
さまざまな圧力や批判のあるなかで部隊をまとめ上げ実行に移す
器量を持っていたことです。森田松太郎・杉之尾宜生著『撤退の
研究』によると、当時の部下たちに共通した彼の人物像は、「堂
々とした体躯にトレードマークの八字髭を蓄え、一見厳めしく見
えるものの、よく見れば毬栗頭の片田舎の村長さんのような悠々
たる長者の風格があり、初対面の者にもホッとした安堵感を与え
ていた」というものでした。
また先任参謀の有近中佐は「温厚沈着、不言実行型の長者で、十
数年辱知の私も未だかつて木村少将の怒声を聞いたことがない。
全く人徳を以て部下を御し、しかも三十年来の長い駆逐艦生活の
体験は金玉の如く光り、要するところは必ず掴み、不言のなかに
権威ある指揮ぶりだった」と回想しています。
再出撃前の打ち合わせでは、激論を交わす部下たちに言いたい
ことをすべて言わせて「人の和」を生み出し、最終的に部下たち
は「木村司令官のために戦おう!」と誓い合ったほどでした。出
撃後の霧中訓練中には衝突事故も起きましたが、報告を受けて
「これほどの事故が起こるほどだから、霧の具合は申し分ないと
いうことだ。結構なことではないか。なぁ艦長!」と語りかけ、
皆の重圧を和らげました。
▼試される上司
最後に上司のあり方にも触れておきます。
この作戦で現場の直接指揮を執ることになった第5艦隊司令長官
の河瀬中将は、木村少将を信頼して任せていただけに苦衷の選択
だったと思います。その指揮は1水戦の突入時期の判断までで、
そのあとは避退して後方に下がり突入部隊の収容に備えるという
変則的なものだったのでなおさらです。
実は河瀬中将と木村少将とは水雷(魚雷や機雷など)を専門とす
る先輩後輩の関係であり、同じ鳥取出身で縁戚関係にもある熟知
の仲でした。相互の深い信頼関係があったからこそ、連合艦隊司
令部などの指示で変則的な直接指揮を執らなければならなくなっ
た河瀬中将の苦しい心中を木村少将も理解し淡々と受け入れられ
たのではないかと思います。
上司として部下の指揮官を信頼して任せきることができるか、手
出しや口出しをしたくなる誘惑に勝てるか、そのうえで必要な時
には支援の手を差し伸べられるか、なかなか難しいことではない
でしょうか。困難な状況であったり、現場の情報が少ない場合な
ど特にそうだと思います。このような場合には上司もまた部下指
揮官と同様に能力、器量が試されるということだと思います。
平易な状況で合理的判断を下すのは可能でしょう。しかし、
「戦う組織」のリーダーのたるもの、キスカ撤退作戦のような薄
氷を踏むような状況で当初の作戦方針を堅持して、内外の圧力・
非難に屈することなく部隊の団結を維持し、状況の変化を合理的
に判断し続けて最終的に作戦を成功させた木村司令官のエピソー
ドを銘記すべきだと思います。
(つづく)
(どうした・てつろう)
【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。
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