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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
軽にどうぞ
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こんにちは、エンリケです。
「裏切りのスパイ戦」第三話をお届けします。
最初のテーマ「GRU元大佐の暗殺未遂事件」は
今回で完結します。
情報戦は平戦時問わず展開されており、
そのキモを掴むにあたっては、
バランスの取れた形で平戦時双方を把握しておく必要が
あります。
このように、戦史のみならず、平時の情報史も忘れず
研究・探求する意義の大きさは、
情報のプロ・上田篤盛さんも
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
のなかで指摘されていることです。
そのケーススタディといってもよい
本連載の内容は、情報への意識が高い人ほど、
意味の大きいものといえましょう。
不肖エンリケもその一人です。
今後が楽しみです
きょうの記事、
さっそくご覧ください。
エンリケ
山中さんへの感想や疑問・質問やご意見など、
いつでもどうぞ。
⇒
http://okigunnji.com/url/169/
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裏切りのスパイ戦(3)
「イギリスにおける亡命ロシア人の不審死」
山中祥三(インテリジェンス研究家)
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□はじめに
先回までのメルマガでは、2018年3月4日ロンドンから南
西約130kmにあるソールズベリーでロシア連邦軍情報総局
(GRU)の元大佐セルゲイ・スクリパリとその長女ユリアの神
経剤(ノビチョク)による暗殺未遂の事件と7月に同じ神経剤で
男女2人が犠牲になり、うち女性1人が亡くなった事件を取り上
げた。
実は、それらの事件ほど日本では話題にはならなかったが、ス
クリパリの事件からわずか8日後の3月12日、イギリスに亡命
していたアエロフロート・ロシア航空の元副社長ニコライ・グル
シコフ氏(68)が、ロンドンの自宅で首を吊った状態で発見さ
れた。
英警察当局は、死因は首を圧迫されての絞殺死と断定、殺人事
件として本格捜査を始めた。英メディアによると警察は何者かが
殺害後、首つり自殺を偽装した「不審死」とみている。これまで
の調べでは、遺体から毒物などは検出されていない。
▼アエロフロートの元副社長ニコライ・グルシコフの不審死
ニコライ・グルシコフは1990年代にロシアの国営航空会社
アエロフロートとベレゾフスキー所有の自動車会社ロゴワズの幹
部を務めていた。しかし1999年にプーチン大統領と不仲にな
り、マネーロンダリングと詐欺の罪で5年間投獄された。200
4年に釈放されたあと、イギリスに逃げたが、2006年に再び
詐欺罪で執行猶予2年の判決が下った際、政治亡命者としてイギ
リス政府に保護された。
だが亡命後も、ロシア政府はグルシコフを追い続けた。201
7年にはロシアの裁判所が1990年代にアエロフロートから1
億2200万ドルを横領した罪で有罪判決を下し、懲役8年と
100万ルーブル(1万7590ドル)の罰金刑を宣告した。
イギリスはロシア人政治亡命者を多数受け入れており、イギリ
ス在住のロシア人亡命者の中にはプーチン政権と真っ向から対立
している人物も少なくない。グルシコフの「不審死」とスクリパ
ルに対する殺人未遂事件に接点は見られないが、イギリス国内で
は以前からロシア人亡命者らの「不審死」が相次いでいる。
このような状況を受けて3月6日ラッド内相は、イギリス国内
における14件の不審死にロシア政府の関与があったのかを再調
査するよう、警察と保安局に命じたことを内務委員会委員長への
書簡で明らかにしている。
その細部は明確にされていないが、昨年(2017)公開され
たバズフィード(Buzzfeed)の調査で亡命ロシア人の不審死が明
らかにされている。
▼イギリスにおける「14人の不審死」の概要
実はバズフィードの調査では、15名の名が記載されているが、
再調査の対象は、すでにロシアの関与が明らかにされているアレ
クサンドル・リトビネンコを除く残りの14名だと考えられる。
やや長くなるが15名の死亡の概要を時系列的に述べると次のよ
うになる。
(1)2003年9月22日:ステファン・モス(Stephen Moss)氏
(46)、心臓発作で死亡。ボリス・ベレゾフスキーを含む何人か
の追放されたロシアの新興財閥(オリガルヒ)の弁護士を務めた。
(2)2004年3月3日:ステファン・カーティス(Stephen Curtis)氏
(47)はボーンマス空港において着陸する際にヘリコプターが
墜落し死亡。検死官は事故死と判断。彼も、ロシアのオリガルヒ
と関係がある弁護士だった。
(3)2006年10月30日:ロシア外交官のイゴール・ポノマレ
フ(Igor Ponomarev)氏は、ロンドンでオペラを鑑賞したあとに
死亡。リトビネンコが毒殺される2日前に、さらにいうならばイ
タリアにおけるロシアの諜報機関による腐敗行為を調査していた
亡命者のマリオ・スカラメラ(Mario Scaramella)氏との会合の
前夜に死亡した。
死亡した夜には異常な喉の渇きを訴え、3リットルもの水を飲
んでいるとされ毒殺の疑いが高まっている。この異常な喉の渇き
は「タリウム」中毒の典型的な症状と類似しているとされる。タ
リウムは、ソ連時代にKGBが亡命情報機関員の暗殺に多用した
毒物である。
(4)2006年11月23日:アレクサンドル・リトビネンコ
(Alexander Litvinenko)氏(44)、元ロシア連邦保安局
(FSB)の中佐で、放射性物質ポロニウムにより毒殺された。
リトビネンコは1998年にロシア国内で同僚数名と記者会見を
開き、FSBの上司から元ロシアのオリガルヒの代表的人物であっ
たボリス・ベレゾフスキー氏の暗殺を指示されたと告白していた。
この事件は、英国に亡命したロシア人に関係する事件の中でも
最も際立っており、英露間の外交にも深い亀裂をもたらした。当
該事件をめぐり英捜査当局は、10年にわたる調査の結果、リト
ビネンコ暗殺をプーチン大統領が「おそらく承認した」との結論
を下している。
(5)2007年1月7目:ユーリ・ゴルベフ(Yuri Golubev)氏、
自宅で死亡した。ロンドン警視庁はその死に不審な点はないとし
たが、不思議なことに、ロシアの検察官は、すべての証拠は彼が
殺されたことを示しているとしているが、これが意味するところ
は不明である。
ロシアのユコス石油会社を当時ロシアで最も金持ちだったミハ
エル・コドルフスキーとともに設立した。ベレゾフスキーやパタ
ルカツィシビリとも友人。
ゴドルフスキーはプーチン政権に反対する政治的な動きを取っ
たために、所得税、法人税等の脱税および横領容疑により、20
03年にロシア政府に逮捕された。その後、ゴルベフはロンドン
に住みユコスを救済すべく戦っていたが、2006年8月に会社
は破綻した。
その5カ月後、自宅のアームチェアーに座って死んでいた。
ただし、死の直前にはひざの手術のため中国に行き、思わしくな
いとして予定より早くモスクワ経由でロンドンへ帰ってきている。
(6)2007年2月20日:ダニエル・マクグロリー(Daniel
Mcgrory)氏、タイムズ(The Times)のレポーターだった。(4)の
アレクサンドル・リトビネンコの毒殺に関するレポートについて
インタビューを受けたNBCのドキュメンタリーが放送される5日前
に突然出血し死亡した。
放送直後にはドキュメンタリーでインタビューを受けた別のア
メリカの治安専門家が高速道路で襲撃を受けて重傷を負った。NBC
は、2つの事件は不可解だしているが、マクグロリーの家族は、
大量出血は心臓肥大が原因だと信じているとしている。
(7)2008年2月12日:バドリ・パタルカツィシビリ
(Badri Patarkatsishvili)氏(52)は、グルジア(現ジョージ
ア)のオリガルヒで、ベレゾフスキーのビジネスパートナーだった。
自宅で家族と食事した直後、寝室で死んでいるのが見つかった。
死因は心臓発作とされたが、プーチン大統領と敵対していたこと、
グルジアでの政治キャリアが物議を醸してきたことなどから殺害
されたとの疑いが浮上した。
(8)2010年8月16日:ガレス・ウイリアムズ(Gareth Williams)
氏(31)の死亡状況は、なかでも最も不可解である。
彼は、政府通信本部(GCHQ)で「傍受」を行なう通信担当
官だったが、MI6に配置換えになっていた。彼の遺体は、自宅
のバスタブに置かれたノースフェイスのバックの中に裸で入った
状態で発見された。しかも、外から鍵がかかっており一流のマジ
シャンでも脱出困難との報道もある。それでも警察は、ウイリア
ムズの性癖により自らバックに入って窒息死した事故死と発表し
た。
しかし、インディペンデント紙の記事によれば、GCHQ内の
ロシア側のモグラがウイリアムズを二重スパイのターゲットとし
て情報提供した。それを受けてロシアのSVRは、ウイリアムズ
にハニートラップを仕掛けてリクルートしようと脅迫していたが、
うまくいかなかった。そこで今度はGCHQ内のモグラの存在を
隠すためにウイリアムズは殺害されたのだとしている。この情報
は元KGB少佐で、現在イギリスに亡命しているボリス・カルピ
コフ(Boris Karpichkov)氏が、ロシアの情報源から得たものだ
としている。
(9)2010年11月17日:ポール・キャッスル(Paul Castle)
氏(54)は、チャールズ皇太子のポロ仲間でもあり、ボリス・
ベレゾフスキーらとも定期的に食事をしていたが、ビジネスが不
況に襲われ破綻したあと、ロシアマフィアとつながっているイギ
リスの犯罪組織とトラブルを抱えていたとされ、地下鉄に投身自
殺したとされる。
(10)2012年11月10日:ロシアの実業家アレキサンダー・
ペレピリチニー(Alexander Perepilichny)氏(44)は、ロン
ドンの自宅付近でジョギング中に倒れ自宅前で発見された。当初
は心臓発作による自然死だと考えられたが、警察には徹底的な捜
査を求める1通の手紙が届いた。送り主はロシアとの関係が深い
ヘッジファンド「エルミタージュ・キャピタル(Hermitage Capital)」
で、その内容はベレピリチニーが大きな国際犯罪に関与していた
とするものだった。
ペレピリチニーの死から2年後、同氏の保険会社が指示した検
査で、胃の中から有毒植物ゲルセミウムの毒素が検出されたが、
死因は現在も確定されていない。
しかし、米情報当局は2017年にペレピリチニーは「プーチ
ン氏か、彼の側近からの直接の命令によって暗殺された」との見
解を表明した。
(11)2012年12月1日:ロビー・カーティス(Robbie Curtis)
氏は、不動産業者でボリス・ベレゾフスキーらの友人だった。し
かし事業は破綻し、その後ロシアのマフィアにつながっている犯
罪組織とトラブルを起こし、組織に殺害されたとされている。
(12)2013年3月23日:ボリス・ベレゾフスキー(Boris
Berezovsky)氏(67)の死については、義理の息子のエゴー
ル・シュッペ(Egor Schuppe)氏がフェイスブック上で公表した。
その後、顧問弁護士も死亡の事実を認め、自殺であったと述べた。
かつては実業家として巨万の富を得たベレゾフスキーであった
が、死亡前の生活は妻との離婚訴訟に関わる費用や慰謝料、さら
にはその他の訴訟も抱えるなど多額の出費を強いられていた。
そのため、アンディ・ウォーホルの「赤いレーニン」などの美
術品や、1927年型ロールス・ロイスなどのクラシック・カー
といった所蔵するコレクションを次々と売却するなど、資金繰り
に窮していたとされる。
当然日頃から、私的に元モサド出身などのボディーガードを付
けていたが、なぜか死亡した時には近くにいなかった。
(13)2014年11月1日:ジョニー・エリクオフ(Johnny
Elichoff)氏(55)は、ボリス・ベレゾフスキーの友人だった。
石油取引で財産をすべて失ったあと、ロンドンのショッピングセ
ンターの屋根から落ちて死亡した。
(14)2014年12月8日:スコット・ヤング(Scot Young)氏
(52)は、大富豪であり、イギリスヘ亡命したあとのボリス・ベ
レゾフスキーの資金洗浄を支援するなどネットワークの中心人物
だった。プロジェクト・モスクワという不動産開発を含む一連の
取引でロシア政府の怒りをかうとともに、ロシアマフィアとの確
執があった。
4階のバルコニーから転落し、建物の周りに設置してあった鋼
鉄製のフェンスが胸を貫いて死亡。警察は自殺と判断。その後の
ニュース映像では、その部分のフェンスごと部分的に撤去されて
いた。
(15)2016年5月4日:マシュー・パンチャー(Matthew Puncher)
博士は、アレクサンドル・リトビネンコを毒殺するために使用され
たポロニウムの致死量を測定した科学者である。自殺と認定され
たものの、2本のナイフによる腕、首、胸、腹部などに刺し傷が
あり、その死亡状況は真に不可解である。
▼ロシアの最新の「ウエット・アフェアーズ(濡れ仕事)」
また、アメリカの元インテリジェンスオフィサー協会(AFIO)
の機関誌『インテリジェンサー』2016年11月号の「スター
リンの弟子─ウラジーミル・プーチンとロシアの最新のウエット・
アフェアーズ(濡れ仕事:暗殺のこと)─」では、1998年プ
ーチン氏がFSB長官に就任して以降、2016年7月までの間
に、ロシア当局により暗殺または攻撃された可能性がある主要な
被害者として40人ものリストが公表されている。
それらの中には、ジャーナリスト、経済界関係者、政治活動家、
情報関係者が含まれている。イギリスで殺害された代表的な事件
としては、次の5件が挙げられているが、そのうち4件は、前述
のバズフィードの調査に含まれている。前述のリストと番号を合
わせると、(4)2006年11月、元FSBのアレクサンドル・リ
トビネンコ中佐の毒殺。(8)2008年、富豪のバドリ・パタルカ
ツィシビリの死亡。(10)2012年、ロシア人実業家のアレクサ
ンドル・ペレピリチニーのロンドン自宅前で心臓麻痺による死亡。
(12)2013年、ベレゾフスキーの、自宅のバスルームでの首つ
り自殺である。
5件目として2007年11月、英国に亡命した元KGB諜報
員オレグ・ゴルディエフスキー(Oleg Gordievsky)(69)氏
が、毒殺未遂事件に巻き込まれた可能性が記述してある。
ゴルディエフスキー本人の供述では「自宅で34時間、人事不
省に陥った。救急車で個人診療所に運び込まれ2週間にわたって
入院治療を余儀なくされた。現在(2008年4月)も身体の一部が
麻痺する後遺症に悩んでいる」
オレグ・ゴルディエフスキーは米ソ冷戦の末期、1985年英
国に政治亡命を求めその後、英情報機関の監視保護下で身分を隠
しながら英国本土で生活していた。ゴルディエフスキーのもたら
した数多くの旧ソ連諜報機関の内部情報は、その後、欧米でソ連
スパイ網の摘発に重要な役割を果たしたという。
そのためエリザベス女王から「英国の安全保障確保においてか
けがえのない貢献をした」として、事件の1か月前にCMG(聖
マイケル・聖ジョージ)勲章を授与された。
英捜査機関の調べでは体内から有害物質は検出されなかったが、
本人はソ連時代にKGBが亡命情報機関員などの暗殺に多用した
「タリウムの種」の可能性が否定できないと語っている。
▼不審死の特徴
バズフィードおよびインテリジェンサーのリストにある不審死
(未遂含む)は、ボリス・ベレゾフスキーに関係のある人物が多
く、見かけ上は自殺、事故が多い。また、ロシアを裏切ったスパ
イは、毒物を使用して殺害(未遂含む)されている。
ベレゾフスキーを中心に亡命ロシア人のコミュニティーがあっ
たと思われ、その仲間が次々と不審な死を遂げている。ベレゾフ
スキーとの関係がとくに深かったのは、元オリガルヒで、その食
事仲間、高級レストランの名前をとった「シピリアニ(Cipriani)・
ダイニング・クラブ」別名「自殺クラブ」とも揶揄されていたが、
その5人のメンバーだった。
メンバーは、ベレゾフスキーのほか、ジョニー・エリクオフ、
スコット・ヤング、ポール・キャッスル、ロビー・カーチスだっ
た。その名のとおり、5人のメンバーが自殺と見なされている。
元スパイは、毒殺により殺害されている。元スパイの場合、英
当局の保護下にあり、ロシア側による暗殺に対する警戒をより高
めていることが考えられる。そのため、簡単に殺害できないこと
が予想され、自殺に見せかける選択肢が最初から放棄されている
可能性がある。また、元スパイのせいで自分たちの同僚が捕らえ
られたり、危険な状況に陥ったりした恨みをはらす報復やほかの
亡命スパイへの見せしめのため、目立つような殺害方法を使用し
た可能性が考えられる。
▼ベレゾフスキー自殺説への疑惑
一連の不審死の中心人物ともいえるボリス・ベレゾフスキーは、
自殺したとされているが、その点に疑間の声が挙がっている。
ボリス・ベレゾフスキーは、応用数学の博士号を有し、当初は
数学者としてアカデミズムの世界に進んだが、のちに実業家に転
身し、オリガルヒ(新興財閥)の一角、ロゴヴァズグループの総
帥として成功を収めた。エリツィン時代に台頭した政商であるロ
シアのオリガルヒの代表的存在で、その影響力から「政界の黒幕」
とも称された。
2000年3月の大統領選挙では、プーチンを支持するが、プ
ーチンは逆にオリガルヒの影響力を削ぎにかかる。ベレゾフスキ
ーは、プーチンに対抗して反対勢力を糾合しようとするが、一般
市民の間で国賊扱いされ、敵の多かったベレゾフスキーは賛同者
を得られず、逆に同年7月下院議員を辞職、さらに2001年保
有していたORT(ロシア公共放送)の株式49%を、ロマン・
アブラモビッチ氏に売却する形で放棄せざるを得なかった。
ロシア最高検察庁は、アエロフロート資金の横領疑惑などでベ
レゾフスキーヘの追及を強め、逮捕を恐れたベレゾフスキーは国
外に脱出した。
2002年10月、ロシアの最高検察庁は、本人不在のまま、
詐欺の罪でベレゾフスキーを起訴した。亡命先のイギリスではベ
レゾフスキーは定期的にプーチン氏を批判し、2005年のBB
Cの取材では「プーチンが2008年の選挙で生き延びるチャン
スはないと確信している。私はプーチン政権の継続を阻止するた
めに、全力を尽くしている。そしてプーチン退陣後、ロシアに帰
ることを考えている」と語っていた。
また、2007年4月13日付けのガーディアン紙のインタビ
ューでは「プーチン政権を武力によって転覆しなければならない」
と発言し、さらにロシア政府の反発を招いた。
そのような一連の反プーチン活動のため2003年、2007
年には政府筋の暗殺のターゲットになったとされている。
そして、2013年ベレゾフスキーはイギリスの元妻の家で首
を吊って死亡した。争った形跡はみられず、警察は自殺として処
理した。しかし、ベレゾフスキーの娘は、彼は肋骨を骨折してお
り後頭部には新しい傷があったと証言している。それら矛盾した
証言のため検死官は死因不明と記録した。
ベレゾフスキーの友人やロシア人亡命者は自殺説には懐疑的だ
った。たとえば、冒頭に述べたように今年(2018)3月死亡
したニコライ・グルシコフは、ベレゾフスキー死亡直後、ガーデ
ィアン紙に対して、「ボリス(ベレゾフスキー)は殺されたと確
信している。私はマスコミの報道とはかなり違う情報を知ってい
る」「ボリスは窒息死した。自分でやったか。誰かがやったか。
でも自殺だったとは思わない」と説明していた。
▼ロシアインテリジェンス機関による暗殺の歴史
ロシアのインテリジェンス機関には、古くからの特徴があり、
それが現在まで継承されている。その特徴というのは、政権維持
のために政敵を取り締まること、そして暴力的作戦を躊躇なく遂
行することである。
現在のロシアの主要なインテリジェンス機関は、KGBから分
離・発展した主にロシア国内を担当する秘密警察であり特殊部隊
も有する連邦保安庁(FSB)、海外でのインテリジェンス活動
を行なう対外諜報庁(SVR)、および軍の情報機関である参謀
本部情報総局(GRU)がある。KGBは、ソ連国家保安委員会
の公式名称だが、実質的にはソ連共産主義国家を恐怖によって維
持していた秘密警察であった。
1917年の「10月革命」から生まれた秘密警察は、体制が
十分に整っていない弱い革命政府を守るために結成された「チェ
カ」に始まる。革命当初の設置目的は、反革命分子を監視するこ
とであり、革命政権が安定するまでの一時的なものだった。した
がって、当時のチェカの行動は内政の保全が主であり、対外情報
活動はあまり行なっていない。
しかし、当初のレーニンの思惑とは逆に、スターリン時代には
秘密警察の権力は拡大され、秘密警察はスターリンの大粛清の要
となっていった。それとともに対外情報活動の先兵となり資本主
義社会に深く浸透していった。たとえばロシア革命におけるリー
ダー的存在の1人で、ソ連誕生後も共産党政治局のメンバーとし
て絶大な影響力を誇っていたレオン・トロツキーは、党内部の権
力闘争に敗れ、亡命者として数か国を転々とする流浪生活を強い
られたが、1940年にメキシコシティーの自宅でソ連の工作員
によって暗殺されている。
スターリン没後も秘密警察はKGBとしてソ連崩壊まで存続し
た。KGBの役割は、いわばソ連共産党を守る「盾」であり、マ
ルクス共産主義をもとに、世界革命を起こす「剣」でもあった。
そのため、連邦内の反共産主義者は、反政府分子として排除さ
れ、国外では共産主義革命の敵となる資本主義の代名詞でもある
米国を最大の敵として数多くの破壊工作を行なってきた。
前回のメルマガでは、ロシアの主要なインテリジェンス機関の
内FSBとGRUについて説明したので、今回はSVRについて
説明する。
▼対外諜報庁(SVR)の活動
KGB時代に対外情報収集を担当した第一総局(FCD)は、
ロシア連邦では対外情報庁(SVR)に継承された。KGB時代
との大きな違いは、SVRの活動がより対外活動に集中して活動
していることであろう。SVRは大統領直属の対外情報機関とし
て、大統領に対して毎日、海外情勢についての報告書を作成する
ようになった。さらに、外交政策決定に際して大統領に選択肢を
提供し、助言を行なっている。その目的はロシアの現状をより向
上させることにある。
このことは、インテリジェンスの政治化を懸念する西側の情報
機関にとっては見られない情報機関の役割である。
それ以外に、海外におけるエージェントの勧誘、カウンターイ
ンテリジェンス活動、情報操作、破壊・秘密工作を行なっている。
冷戦終結を機に、西側諸国から経済と科学技術に関する情報を収
集することが優先事項となっているようである。また、冷戦時よ
り変わらず、多国間との軍事兵器の売買契約を取り付けることも
SVRの役割に含まれる。
ロシア連邦の対外政策は、ソ連時代ほどの世界的規模と激しさ
は持たないが、特定の諸国に対するインテリジェンス活動は、
廃(すた)れることなく継続している。KGBの時から引き続い
てロシアのために米国で活動したエージェントとしてCIAのカ
ウンターインテリジェンス担当だったオルドリッチ・エイムズ
(1994年逮捕)、FBIのカウンターインテリジェンス担当
だったロバート・ハンセン(2001年逮捕)が有名である。
しかし、その後もロシアのスパイ活動が継続しているのは、
2010年6月、SVRに所属するロシアのスパイで「美しすぎ
るスパイ」と称されたアンナ・チャップマンほか9名がFBIに
逮捕される事件により公になったことからも明らかであろう。
▼おわりに
以上のように、イギリスにおける亡命ロシア人が次々と不審死
を遂げている。今後、英内務省で再調査が行なわれるとのことだ
が、調査には、かなり時間を要するであろう。2006年のリト
ビネンコの調査は10年の歳月がかかっている。さらに、政治的
な事情が絡めば事件の事実が判明するかまた公表されるかどうか
も分からない。
プーチン大統領が自分の取り巻きに富と権力を与え、楯突く者
を破滅させながら、ロシアの大統領として支配力を強めるにつれ、
イギリスさらにはイギリス以外に逃れて暮らす反プーチン派ロシ
ア人は増えていき、それにつれてロシア国内はもちろん、ロシア
国外での暗殺も増えていると考えられる。
たとえば、ロシア人ジャーナリスト、アルカジー・バブチェン
コ氏(41)は、プーチン大統領の統治体制やウクライナ侵攻な
どに対し、最も大胆な批判を繰り広げる人物の1人であった。し
かし、多くの殺害脅迫を受けたため2017年にロシアを出国し
た。そして今年(2018)5月には、自身の暗殺計画を阻止す
るため、自身が殺害されるという偽装工作をウクライナ当局とと
もに実行し、容疑者を拘束してもらったのである。このように、
ロシア政府を強烈に批判する者には安全な場所はないということ
である。
ロシアの情報機関の役割分担を見れば、反プーチン派に対する
暗殺は、主にFSBの要員が絡んでいると見られる。しかし、イ
ギリスにおける亡命ロシア人の不審死の原因がすべてFSBの仕
業と考えられるかというと、必ずしもそうとは言えない。
スクリパリの例のように、GRUを裏切ったものにはGRUの
実行部隊の手が伸びている。ベレゾフスキーら旧オリガルヒは、
ロシアのマフィアやイギリスの犯罪組織との金銭的なトラブルも
あり、その線からの暗殺も考えられる。
FSBやマフィアによる殺害を恐れるあまり精神的に追い詰め
られ、自殺した可能性も十分に考えられる。
さらに、ベレゾフスキーが、死亡する前にはプーチン大統領
と和解し、帰国を望んでいたとする報道もある。そのため、ロシ
アにイギリスの情報組織に関する情報が漏れることを恐れて、
イギリスの情報組織がロシアの仕業と見せかけて殺害した可能性
すら考えられるのである。
このように情報機関による「裏切りのスパイ戦」とともに「暗
殺の歴史」は現在も続いているのである。
「GRU元大佐の暗殺未遂事件」に関連するテーマをひとまず終
え、今後も、インテリジェンス関連について筆者の興味のあると
ころを不定期でお届けしたい。
(やまなか・しょうぞう)
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