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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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こんにちは、エンリケです。
信長・秀吉・家康
この三者の政治的研究はまったく足りないと感じます。
とくに「外交・防衛」に関するものは皆無に近いですね。
彼らが他の英雄たちを凌いで天下を取れたのは
この両者の力が卓越していたからではないでしょうか?
きょうの記事のような、
現実感覚に基づく史談を
もっといろいろ聞きたいですよね。
今日も面白いです。
さっそくどうぞ。
エンリケ
追伸
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(4)
「信長・秀吉時代の外交と防衛を考える」(1)
宗像久男(元陸将)
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▼信長――存在そのものが防波堤に!
信長・秀吉そして家康の3人は、天下統一を成し遂げた偉業の
みが歴史上の話題になっていますが、外交・防衛上も歴史的偉業
を残したと考えております。まさに「人の利」です。まず、欧州
人と最初に接した戦国時代末期、信長・秀吉時代の外交・防衛を
振り返ってみましょう。
戦国時代は、「応仁の乱」(1467~1477年)をきっかけ
に始まりました。守護大名たちが戦乱に明け暮れている間に、戦
国大名など地方の実力者が力をつけ、身分の低い者が実力で上の
者を倒す“下克上”という風潮が現れたのです。その結果、室町
幕府の権威が衰え、各戦国大名や宗教勢力などは、競って領土の
拡大を企図して武力(軍事力)の増強に努め、争いを繰り返しま
した。そして、なんと約100年もの長きにわたり、戦乱の世が
続いたのでした。我が国の歴史上、極めて異常な時代でした。
前回も紹介しましたように、欧州人が初来日したのは、その戦国
時代の末期、信長が国土の約半分を統一しようとしていた頃でし
た。全国至る所に刀や槍や弓矢などの“兵器”が溢れていました。
そこに鉄砲が伝わりました。刀鍛冶がすぐにその複製を製造し、
鉄砲鍛冶が火縄銃を改良発展させました。こうして、鉄砲は当時
の戦場を支配する主力兵器として活用され、戦術や築城術に大き
な変化をもたらすなど、いわゆる“軍事革命”を引き起こしまし
た。
なかでも、鉄砲伝来からわずか30年余りの1575年、「長篠
(ながしの)の戦い」において信長が採用した鉄砲の“三段撃ち”
は画期的かつ近代的なものでした。最近、この信憑性について異
論がありますが、大量の鉄砲の一斉射撃によって武田の騎馬軍団
を撃破したことは間違いなく、欧州で同様の戦術を採用したのは、
それから1世紀以上も後の1691年、ハプスブルク家がオスマ
ントルコ軍を破った時の戦いが最初だったと言われますので、信
長はまさに先見の明がある“軍事的天才”だったのです。
その信長は、仏教など既存の宗教勢力をけん制するため、キリス
ト教の布教を認めたといわれます。そして、イエズス会宣教師ル
イス・フロイス(当時の日本を書き記した『日本史』の著者)を
はじめ多くの宣教師たちと快く謁見しました。来日当初の宣教師
たちは布教のみに専念し、植民地支配の意図などみじんにも出さ
なかったことから、信長自身、彼らを“脅威”とは認識しなかっ
たものと推測されます。
逆に、宣教師たちにとって、当時の我が国はどのように映ったの
でしょうか。日本は遠い国(FAR EAST)、相当の武力量、
その上、すでに天皇や幕府を超えた権力を保持し、イエズス会の
ヴァリニャーノ宣教師をして「最大の君主」と言わしめた信長の
存在がありました。ペルーやフィリピンなどと違い、力づくで植
民地化するのは難しいと感じたのではないでしょうか。信長その
ものが、宣教師たちの横暴を阻止する防波堤になっていたと言っ
て過言でないと思うのです。
当然ながら信長は、宣教師たちから欧州やアジアに関するさまざ
まな知識を得たものと考えられますが、国外に目を向け、行動を
起こす前に「本能寺の変」(1582年)で自刃してしまい、信長
の外交・防衛政策は少し形を変えて秀吉に受け継がれます。
▼秀吉――キリスト教保護から追放へ政策転換
信長のあとを継いだ秀吉の時代になると、国外との貿易が盛んに
なってきました。秀吉は、朱印状を与えた商人だけに対外貿易を
許可した「朱印船貿易」を行ないました。
秀吉は、当初は信長の“キリスト教保護方針”を受け継いでおり
ましたので、急速な勢いでキリスト教が広まり、高山右近、小西
行長、黒田官兵衛などのキリスタン大名も現れました。
しかしこの頃から、権力のお墨付きを得たイエズス会やキリスタ
ン大名などは、我が国の天皇制や自然信仰まで否定し、独善的な
布教や破壊活動を開始するなど“一神教”の本性を暴露し始めま
した。そして日本人を奴隷として国外に連れ出していることも判
明したのです。
このような事実を知り、突然、秀吉は方針を転換、キリスト教の
布教を禁じ、宣教師らの国外退去を命じました。有名な「伴天連
(バテレン)追放令」(1587年)です。ただし、「朱印船貿
易」については引き続き許可したこともあって、追放令は不徹底
なものになりました。また秀吉は庶民の信仰までは禁じなかった
ので、キリスタン信徒はその後も増え続けたのでした。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。
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