配信日時 2018/09/19 09:00

【日本陸軍の兵站戦(107)】 陸軍経理部(37) 中世前期の騎兵・弓箭のこと──軍馬の話(23)

こんにちは。エンリケです。

「陸軍経理部」第三十七話は、

軍馬をめぐるはなしの二十三回目です。

冒頭では今話題の二つの話題が取り上げられています。

とくに後者の話題は、SNSでも結構拡散されましたが、

・現場を知らない
・現実を知らない
・「我が国は外国より劣っている」との根拠なき思い込みに囚わ
れている。

我が国の「高学歴w」評論家はしょせんそのレベルにしかない、
と改めて感じさせられる出来事でした。(少数の例外はもちろ
んあります)

我が国では、現実・現場意識、感覚のない人は国民から相手にさ
れません。

<組織の中での人の評価は、わが国の場合、いかにそのポストにふ
さわしい能力を発揮するかで決まります。>とのご指摘も新鮮で
真実ですね。

さっそくお読みください。


エンリケ


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 陸軍経理部(37)
 
  中世前期の騎兵・弓箭のこと──軍馬の話(23)
  
 荒木 肇
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□ご挨拶

 当地では、先日までの猛暑から一転、肌寒い雨模様の空が続い
ています。大きな自然災害が相次いで起こり、なんとも不安な日
々です。

 それにつけても大阪での台風被害、北海道の胆振(いぶり)
東部地震、次々と自衛隊には災害派遣が続き、隊員の皆さんもお
疲れ様です。なかにはご家族やご自身も被災者という例もありま
しょう。そうしたなかでも、懸命に一般の国民のために尽くされ
ている姿には感謝という言葉だけでは伝えきれない思いがありま
す。

 かたや、いまだに自衛隊を改編して災害救助専門組織を作るべ
しなどという妄言も聞かれます。また、自民党総裁選でも「9条
2項」の問題にこだわる石破さん。どうしちゃっているのでしょ
う。正直もいいのですが、「とにかく隊員の皆さんが誇りをもっ
て働けるように」という現首相の言葉にわたしは軍配をあげてし
まいます。

 また、先日は自衛隊についての「心ない」論説に出会いました。
多くの読者はご存じかと思いますが、K大学の某研究所上席所員と
いう肩書の方の「自衛隊幹部低学歴論」です。一読して、こうい
う記事に納得する、あるいは快感を得る方々がまだいるのかとい
うことに驚きをもちました。自衛隊に不案内な読者の中には、そ
うした人が少なからずいるのかという思いです。わたしなどは経
済界のことなど何も知らず、世間に疎い方ですが、有名なネット
記事であると聞いてほんとうに驚いています。

 自衛隊の幹部(国際的には将校)の半数以上が高校卒でしかな
い、中には中卒の1佐(大佐)までいるという「事実」の指摘が
ありました。その通りです。しかし、それは自衛隊という組織が
内部教育を重視し、あわせていわゆる学歴(学校歴)にこだわら
ない人事を行っている証と思います。

自衛隊は高卒の方でも、あるいは中卒の方でも1佐になれるので
す。1佐といえば数百人から千人をこえる隊員を指揮するポスト。
上席所員の方の感想とは異なり、わたしは武装組織での指揮・統
率は学歴のおかげばかりでは育たないことを実感しています。

将校たる者、修士をもっていればまずまず合格、博士課程ならな
おいい、米軍に比べてひどく劣っていると筆者はいわれます。し
かし、それは日米両国の「社会のありかたや歴史」をいっさい考
慮しないただの数字比べでしかありません。自衛隊は多層で、多
重な現場社会を背負っています。それは日米両国どちらも同じで
すが、わが国社会は個人の特性や能力を重視する「個人社会」の
米国と異なり、それぞれが自分の役割を果たすことを重視する
「役割社会」の伝統をもっているのです。

組織の中での人の評価は、わが国の場合、いかにそのポストにふ
さわしい能力を発揮するかで決まります。将校(幹部)の仕事も
多様です。役割期待もまた様々です。そのランクやポストによっ
て果たすべく要求される能力も異なります。それにふさわしい力
が上席所員の方がいわれるように大学卒や修士課程、博士課程修
了という学校歴だけで養われるとは思えませんが。

また自衛隊幹部の「能力の低さ」の例として、「機動」の解釈を
語られていますが、どこで、誰がどうしたということも明示せず
に、風評にしか過ぎないことを大げさに言いたてる書き方はわた
しの好みではありません。上席所員の方は有名私立大卒、同私立
大学院の安全保障講座の博士課程を修了されています。いわば、
学歴的には専門家のはず。そうであるのに、自衛隊の組織を語る
にはあまりに大ざっぱな学歴重視論をいわれているような気がし
ます。

一点、同意できる提言は、現職幹部には公費で大学に行かせろ、
というのはなかなかの指摘です。ただ、その財源を正面装備を減
らせばいいというのは、あまりに素人くさい発想です。人事・制
度は簡単に動かせるものではありません。社会の中でのその改変
の効果や、見積もりを明らかにしなくてはなりません。たださえ、
人手不足、課題が山積する自衛隊の中のことです。

 一見、結論は自衛隊幹部の低学歴を憂え、その対策を自衛官の
見方側に立っておられるような書き方です。しかし、「高学歴の
安全保障専門家」にしては、いささか陳腐な主張であられると申
し上げておきます。

▼弓箭(ゆみや・きゅうせん)と装具

 ただの自然木を使っての弓から、苦竹(まだけ・にがたけ)を
使った合せ弓(あわせゆみ・伏竹弓ともいう)への進化はすでに
説明した。源平争乱時代にはその転換期ではなかったか。それで
は矢(箭)はどうだったのか。今回は詳しく説明してみよう。

 まず、矢の各部の名称から。構成は矢羽、鏃(やじり)、簳
(たけかんむりに幹 やがら)である。種類がある。軍陣で使う
戦闘用の征矢(そや)、狩猟に使う野矢(のや)あるいは狩矢
(かりや)、歩射(ぶしゃ)競技用の的矢(まとや)と用途別
があった。どこが違うかといえば、鏃の種類と矢羽の矧ぎ方
(はぎかた)である。

 簳(たけかんむりに幹 やがら)は中世では篠竹(しのだけ)
をよく用いた。篠竹は根笹の仲間の総称であり、細い。武家の
庭にはよく植えられていたという。司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』
では、少年期の土方歳三が実家の庭に植えていたとのエピソード
を書いている。矢竹を箆(の)ということから篠竹製の簳(たけ
かんむりに幹 やがら)を箆ということから、簳(たけかんむり
に幹)を箆をほぼ同意義とする。

 征矢には「かたの」という堅い三年竹の箆を最上とした。表面
に黒漆(くろうるし)を塗った塗箆(ぬりの)や、箆にある節の
部分に黒漆を入れて補強して、その上下をぼかした節影(ふしか
げ・あるいは節黒)などを用いる。この箆の堅さといったら相当
なもので、絵巻や画像で、しばしば武士が背負った箆が折れてい
るものもあるが、戦場での動きのすごさを表現しているものだろう。

 『今昔物語(こんじゃくものがたり・11世紀に成立したとさ
れる)』の中に、兄である荘園領主のために箆を整えている「大
力(だいりき)の女性」の話がある。盗賊に人質に取られて胸元
に腰刀を突き付けられ、泣きながら手元の箆を指2本で潰す淡々
とした描写がかえって恐ろしい。それを見た盗賊はすっかり怯え
てしまい、素直に女性を離して縛につくという話だが、箆はそれ
ほど堅いのである。

 有名な毛利元就が3人の息子に諭した逸話もある。3本も束ね
れば壮年の武者でも折ることは難しかったという。

▼矢の長さと矢羽

 矢の長さはいささか曖昧である。矢の長さを矢束(やつか)と
いう。成人男子の握りこぶし(上から見て指4本)を一束(いっ
そく)として、それ以上は指1本を一伏(ひとふせ)として数え
た。もちろん標準はあった。十二束(つか)である。古代の遺品
では鏃を入れておおよそ80センチ弱だが、中世では90センチ
あまりの長さになっている。おそらく、合せ弓になったことから
弓の弾力性が増し、矢束も長くなっていったのだろう。

 箆の端には彫(えり)という切りこみをつけて弦(つる)をか
ける矢筈(やはず)とした。箆に直接切りこみを入れた莆(たけ
かんむりに甫)筈(よはず)が主流で、別の竹の節や、木、角な
どで筈だけを作り、箆に差し込む継筈(つぐはず)があった。戦
闘用の征矢は、たいてい直に切りこみをいれた莆(たけかんむり
に甫)筈だった。

 矢を回転させ、安定した軌道を生むのが矢羽(やばね)である。
大型の鳥の翼や尾羽(おばね)を使う。これらを保呂羽(ほろば)
といったらしい。鷲(わし)、鷹(たか)、鴇(とき)が愛され
た。とりわけ鷹は真鳥羽(まとりば)といわれて珍重されたとい
う。鷲はオオワシである。この14枚の尾羽の斑文(ふもん)に
は個性がある。白と黒褐色の混ざり具合が斑になるが、切斑(き
りふ)、中黒(なかぐろ)など斑文ごとに区別し、黒保呂(くろ
ほろ)などと部位の名称で名を付けていた。これが所有者を、つ
まり戦場では、誰が射たものかを明らかにすることになる。「元
寇」の重要資料である「竹崎季長蒙古合戦絵詞(えことば)」で
は、それが明らかに描き分けられている。

 矢羽はこうした羽を羽茎(はぐき)から半分に裁って使われる。
この羽の枚数で、二立羽(ふたてば)、四立羽(よたてば)、三
立羽(みたてば)に分けられた。二立羽は上下2枚が貼られた儀
式用のもの。四立羽は二立羽の左右に、幅がより狭い小羽(こば)
をつけて軌道を安定させためのものだが、矢は旋回しない。その
ため、鏃には扁平なもの、狩猟用の野矢に使われた。

 戦闘用の征矢や競技用の的矢には旋回する三立羽が用いられた。
羽3枚を半裁して、羽の表裏をそろえて矧(は)ぐ。ところで、
「矧ぐ」というのは矢竹に羽をつけて矢にするといった意味をも
つ動詞である。

 興味深いのは、矢には左旋回と右旋回があった。左旋回を甲矢
(はや)といい、右のそれを乙矢(おとや)という。これで2隻
(せき)を組んで諸矢(もろや)といった。なお、隻とは矢を数
える単位である。この諸矢という風習のため、征矢と的矢は装備
する時、何隻を用意するかといえば必ず偶数になった。

▼鏃(やじり)のこと

 鏃の機能は、「射通す」、「射切る」、「射砕く」に大別でき
た。旋回する征矢の場合は、火箸(ひばし)の形状のような丸根
(まるね)系統があった。この系統という言葉は、近藤好和氏が
採用されている。また、鍛えられ、刃をつけた鎬(しのぎ)があ
る柳葉(やないば)や槇葉(まきのは)系統もあった。これらは
鎧や敵の肉体を射通すためのものである。

 回転させない四立羽の野矢の鏃には、狩俣(かりまた)と尖根
(とがりね)があった。狩俣は二股に分かれたものでU字型であ
る。この内側の刃で射切ることを目的とした。手首などに当たれ
ば、すっぱりと落とされてしまうだろう。この狩俣にはふつう鏑
(かぶら)を付ける。鏑は内部が空洞になっている蕪(かぶ)の
ような木や動物の角(つの)などの先端に数個の穴を開けた。飛
翔すると大きな音をたてた。笛のようなもので、もとは獲物を威
嚇し、その動きを封じるものだった。

 中世になると、「鏑矢(かぶらや)」という言い方が広まり、
狩俣の矢に鏑が付けられたものを指すようになった。これを戦時
では、征矢の表差(うわざし)として2隻を必ず加えていた。こ
れは開戦の最初に、互いに射合うためのものだった。そうして朝
廷の儀式である五月の騎射(うまゆみ)のとき、また武士の流鏑
馬(やぶさめ)にも使われる。

 おそらく蒙古襲来でも、開戦にあたっては敵勢に向かって射ら
れただろう。それを蒙古軍が嘲笑ったという記録もあるが、後世
の創作、たとえば鎌倉武士に悪意をもった『八幡愚童訓(はちま
んぐどうくん)』などの影響だろう。京都の朝廷に関わりが深い
寺社の書き手は鎌倉武士を卑怯で、だらしなく描いた。蒙古軍は
強かった、先進的だった、それに比べてわが武士どもは・・・と
いう気分が全編をおおっているのが、『八幡愚童訓』である。

 異文化の敵の厳粛な行為は、笑えば相手の戦意を削ぐことがで
きる。言葉の通じない敵と最前線で戦う不安は、そこにいる兵士
だけのものである。数十年後の机上のアイデアからのウソと解釈
を信じる必要はない。近代の歴史学会はこの資料を唯一の正確な
資料として「元寇」を研究してきた。

 また武士の戦技を向上するために行われた笠懸(かさがけ)や
犬追物(いぬおうもの)には鏃をつけない大型の鏑を付けた矢が
使われた。これを響目(ひきめ)といい、命中率を高めるために
三立羽である。

 尖根(とがりね)は腸抉(わたくり)と平根(ひらね)に分け
られる。腸をえぐる、という意味が恐ろしい。鎬(しのぎ)と逆
刺(かえり)がついている。逆刺は抜けにくくする工夫である。
平根は腸抉から鎬を取り、逆刺を小さくして扁平にしたものをい
う。加工が楽であり、大量生産には向いていただろう。これらは
古い城等の資料館に展示されていることが多い。比べてみると、
よく分かる。

 これらに対して的矢(まとや)は鏃をつけない。中世では金属
で箆の先端を包んで、先端を扁平にする。平題(いたつき)とい
ったようだが、軍陣で使われると甲(かぶと)や楯(たて)を射
砕くために使われたらしい。

▼矢の容器、その携帯方法

 つづいて矢の入れものを調べてみよう。近藤好和氏の研究のお
世話になる。矢の容器は刀と鞘(さや)の関係と同じく、弓と一
体化して不可分のものである。古代からさまざまものがあり、靫
(ゆき)、胡簶(たけかんむりに禄)(やなぐい)、箙(えび
ら)、空穂(うつぼ)に大きく分けられる。靫と胡簶(たけかん
むりに禄)は古代で使われ、10世紀以降は儀仗に使われるよう
になった。

 中世の軍陣で使われたのは箙と空穂である。ところで、こうし
た矢の入れものは背中に負うと誤解されている。とくに遺跡から
出土する埴輪(はにわ)の武人像では靫を背中に負っているが、
実際に背負うと矢は抜き出せないことがわかる。実際は、右腰に
矢が斜め後方に突き出る形で負うことが正しい。

 箙(えびら)は方立(ほうだて)と端手(はたて)から出来て
いる。方立には筬(おさ)という竹製のすのこが組み込まれ、こ
こに鏃を差し込んで固定した。端手には、矢を乱れないように束
ねたり、箙自体を負うための数種類の緒(お)が付く。箙の材質
には各種あったそうだが武士に人気があったのはイノシシの毛皮
で張り包んだものだった。その名称を逆頬箙(さかつらのえびら)
という。

 その起こりというのが、摂関家などの高級貴族に朝廷から与え
られた護衛官である随身(ずいしん)の装備品だった。これも格
好いいからと都の正規武官の風俗を武士達が真似したものといっ
ていいだろう。

 次回は最近の研究動向などから「蒙古襲来」での武士の戦闘の
様子を調べたい。



(以下次号)


(あらき・はじめ)
 
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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士
課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、
大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関
係の研究を行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育セン
ター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役
員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師
(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に
勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年
には陸上幕僚長感謝状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行
なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに
語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか
―安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわ
かる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、
『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌わ
れる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教
えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなた
の習った日本史はもう古い!―昭和と平成の教科書読み比べ』
『東日本大震災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚
気と軍隊─陸海軍医団の対立』(並木書房)がある。
 
 
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