配信日時 2018/09/18 20:00

【わが国の情報史(17)】日清戦争のインテリジェンス 上田篤盛

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官で
もあります。
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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上田さんの最新刊
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
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は、女性という切り口からインテリジェンスの歴史
(情報戦史)を描き出した作品です。

本編はもちろん、充実したインテリジェンスをめぐる
資料集がすごく面白いです



こんにちは、エンリケです。


さっそくどうぞ

日清戦争をめぐるインテリジェンスを見ると、
明治のインテリジェンスの力強さを覚えますね。

間違いなくこれは江戸以前から受け継がれてきた
武家・兵法の伝統を受け継ぐものと思います。

明治以降の教育を受けた人々が国家のかじ取りをするように
なってから、この種の力強さが薄まってゆく印象をもちます。
そして今です。何とかしたいですね。

話は変わりますが、
上田さんの「インテリジェンスの匠」には、
「わが国の情報史」の過去ログと、時宜にかなった
上田さんのインテリジェンスコラムが掲載されています。

私も日々回覧していますが、

インテリジェンスの目から各種事象を眺めるとこうなるのか?
自分の見方とどこがどう違うのか?

を知るだけでもインテリジェンス教養が高まるはずです。
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エンリケ


■上田さんのホームページ

 「インテリジェンスの匠」
  ⇒ http://Atsumori.shop

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わが国の情報史(17)

日清戦争のインテリジェンス

     インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)
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□はじめに

 前回、念願のホームページを開設した旨報告をしました。タイ
トルは「インテリジェンスの匠」であり、ドメインは、
http://Atsumori.shop
です。

 お蔭で、ようやくグーグルの検索エンジンで探知できるようにな
りました。ここでは、このわが国の情報史の過去記事を逐次掲載す
るとともに、インテリジェンス雑感として、現在3本の記事を掲載
しました。体操界の対立、北海道大震災についてもインテリジェン
スの視点からコメントしています。

 さて、今回は日清戦争に焦点を当てます。日露戦争に比べて、
完全アウェーでの情報活動になったので、日本は清国に比べて不
利でした。しかし、それでも川上参謀次長のもとで、清国におけ
る情報活動は頑張っていました。

 さらには、下関条約における無線傍受、戦争のどさくさでの条
約改正など、明治のインテリジェンス・リテラシーには目を見張
るものがあります。

▼日清両国の対立化の経緯

 明治政府は清国からの朝鮮の独立と近代化を狙っていた。この
背景には、ロシアが南下を続け、朝鮮国境まで領土を広げていた
ことがあった。もし半島が、ロシアに領有されるか、列強に分割
されるかすれば、日本の国土防衛が不可能になる、との情勢判断
だった。これが、明治期の征韓論の背景でもあった。

 1873年、大院君(だいいんくん,1820~98)が失脚
し、改革派官僚に支えられた王妃の閔(みん)氏一族が、政治の
実権を握り、日本と国交を開く許可が清国から降りた。

 1876年、日本は日朝修好条規により朝鮮を開国させた。以
来、朝鮮国内では、親日派が台頭してきた。しかし、1882年、
日本への接近を進める閔氏一族に対し、大院君を支持する軍隊が
反乱を起こした。これに呼応して、民衆が日本公使館を包囲した
(壬午事変)。

 これ以後、閔氏一族は日本から離れて清国に依存し始めた。

 これに対し、金玉均(きんぎょくきん、1851~94)の親
日改革派(独立派)は、1884年、日本公使館の援助を受けて
クーデターを起こしたが、清国軍の来援で失敗した(庚申事変)。

 この関係で悪化した日清関係を打破するため、1885年、政
府は伊藤博文を派遣し、清国全権・李鴻章(1823~1901)
との間に天津条約を結んだ。これにより、日清両国は朝鮮から撤
兵し、今後同国に出兵する場合には、互いに事前通告することに
なり、当面の両国衝突は回避された。

▼日清戦争の勃発とインテリジェンスの活躍

 1885年、福沢諭吉は『脱亜論』を発表し、アジアを脱して
欧米列強の一員となるべきこと、清国・朝鮮に対して武力をもっ
て対処すべきことを主張した。日本と清国との間は次第に緊張が
高まることになる。

 1894年、朝鮮で東学の信徒を中心に減税と排日を要求する
農民の反乱(甲午農民戦争)が起きると、清国は朝鮮政府の要請
を受けて出兵した。わが国も天津条約に従って朝鮮に出兵した。

 1894年8月、日本が清国に宣戦し日清戦争が勃発した。戦
局は、軍隊の規律・訓練、兵器の統一性に勝る日本側の圧倒的優
勢のうちに進んだ。戦争指導のため、明治天皇と大本営が広島に
移った。

 日本軍は清国軍を朝鮮半島から駆逐し、遼東半島を占領し、清
国の北洋艦隊を黄海海戦で撃破し、根拠地の威海衛を占領とした。
かくして、わずか9か月で日本が戦争に勝利した。

 こうした大勝利の陰には、軍民一体の情報活動が陸軍の作戦活
動を支えていた。ジャーナリストの先駆けといわれる岸田吟香
(きしだぎんこう、1833~1905)をはじめとする民間有志が商取
引などを通じて大陸深くに情報基盤を展開した。これに応じる荒
尾精、根津一らの参謀本部の若手参謀が現役を退き、その基盤を
拡充し、活動要員の養成に捨身の努力を払った
(わが国の情報史(16))。

 また、ドイツ式の近代化した陸軍を創設した川上操六の貢献が
大であった。日清戦争前の1893年、川上(参謀次長)は、参謀本
部を改編し、国外に派遣されている公使館附武官を参謀本部の所
管として、公使館附武官は情報網の先端になった。

 また1893年、川上は田村怡与造(中佐)および情報参謀の柴五
郎大尉(のちに大将)を帯同して清国と朝鮮を視察し、「先制奇
襲すれば清国への勝利は間違いない」と確信を得て帰国した。

 このように、作戦とインテリジェンスが調和され、わが国は勝
つべくして勝ったのである。

▼条約改正で貢献した陸奥宗光

 こうした日清戦争のさなか、インテリジェンスのもう一つの局
面として条約改正を無視できない。この最大の立役者が陸奥宗光
である。

 明治政府にとって、江戸幕府が結んだ不平等条約、特に関税自
主権なしと領事裁判権なしの撤廃は重大な課題であった。

 条約改正交渉は紆余曲折を経たが、最大の難関であったイギリ
スは、シベリア鉄道を計画して東アジア進出を図るロシアを警戒
して日本に対して好意的になっていた。

 陸奥宗光は、日清戦争の前年、ついに領事裁判権なしと、関税
の引き上げ、および相互対等の最恵国待遇を内容とする日英通商
航海条約の調印に成功した。

 この背後には陸奥の戦局眼と脅しともいえる外交交渉が功を奏
した。陸奥は、「日本は清国と戦争するにあたって文明国として
国際法を守り、イギリス人の生命・財産を守るつもりでいる。だ
から条約を改正してほしい。もし日本が文明国でないというなら
ば、日本は文明国が定めている国際法を守る義務はない」と発言
したのであった。
 
▼下関条約に背後でインテリジェンス戦が展開 

 1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻
章とのあいだで下関条約が結ばれた(条約5月8日発行)。

 その内容は、(1)清国は朝鮮の独立を認め、(2)遼東半島お
よび台湾・澎湖諸島を日本にゆずり、3)賠償金2億両(テール)
を支払い、(4)新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開くこと
などであった。

 わが国は、日本側に有利な条約を結ぶことができた。ただし、
ここでもインテリジェンスが貢献した。

 というのは、下関で行なわれたため、李鴻章は清国と暗号電報
をしながら、本国の意向を確かめながら条約交渉を行なわなけれ
ばならなかった。

 日本は、この暗号電報を完全に傍受して交渉に臨んだ。たとえば、
わが国は賠償金は当初3億両を要求していたが、清国から李鴻章
のもとに1億両ならば良いとなどの通信連絡が届いていることを
承知し、2億両というぎりぎりの駆け引きに出た。

 また、日本の提示した講和条件の一部が、清国から都合のよい
ように全世界に伝えられる状況を事前探知し、日本は自ら英米仏
露独伊に講和条件の全文を通告した。これにより、イギリスの支
持を得ることになり、交渉を有利に進めることができたのであっ
た。

 次回から日露戦争に入ることとする。


(以下次号)


(うえだあつもり)

 
【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防衛大学校(国際関
係論)卒業後、1984年に陸上自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調
査学校の語学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年から95年
にかけて在バングラデシュ日本国大使館において警備官として勤
務し、危機管理、邦人安全対策などを担当。帰国後、調査学校教
官をへて戦略情報課程および総合情報課程を履修。その後、防衛
省情報分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。
2015年定年退官。現在、インテリジェンス研究家としてメルマガ
「軍事情報」に連載中。
 
著書に
『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、2006年11月)、
『中国の軍事力 2020年の将来予測(共著)』
(蒼蒼社、2008年9月)、
『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引き』
(並木書房、2016年1月)、
『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争―国家戦略に基づく分析』
(並木書房、2016年4月)、
『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
(並木書房、2018年4月)など。
 
 
『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
http://okigunnji.com/url/312/ 
※女性という斬り口から描き出す世界情報史

『中国戦略“悪”の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
http://okigunnji.com/url/161/
※兵法をインテリジェンスに活かす
 
『中国が仕掛けるインテリジェンス戦争』
http://okigunnji.com/url/93/
※インテリジェンス戦争に負けない心構えを築く
 
『戦略的インテリジェンス入門』
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※キーワードは「成果を出す、一般国民、教科書」
 

■上田さんのホームページ

 「インテリジェンスの匠」
  ⇒ http://Atsumori.shop


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