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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官
でもあります。お仕事の依頼など、問い合わせは以下よりお気
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こんにちは、エンリケです。
馴染みのある名前がたくさん出てきますよ。
今日も面白いです。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(3)
「大航海時代」:欧州人と初めての関わり(2)
宗像久男(元陸将)
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□「ここに地終わり海始まる」
ユーラシア大陸の最西端はポルトガルの「ロカ岬」です。ここ
に、ポルトガル史上最大の詩人といわれるルイス・デ・カモンイ
ス作の「ここに地終わり海始まる」との石碑が建っています。
私は、どうしても「ロカ岬」に行ってみたくなり、昨年2月、
この地を訪れました。写真で紹介できないのは残念ですが、
「ロカ岬」に立つと、カモンイスの詩のように、広い海原に大き
な夢を抱き、命を賭して立ち向かって行った当時の人々の息吹を
感じることができました。
また、首都リスボン市の航海の出港地・テージョ川河口には、
大航海のシンボル「ベレンの塔」や大航海時代に活躍した偉人た
ちを称える「発見のモニュメント」など、在りし日の栄華を彷彿
させる歴史遺産がたくさんありました。
ちなみに、ロカ岬と姉妹岬になっている犬吠埼(千葉県)には
ロカ岬の碑文とは逆の「海終わり地始まる」の碑があります。ポ
ルトガル人が種子島に到来した1543年から数えて「日葡(ポ)
友好450年」にあたる1993年に建立されたものです。
▼ついに欧州人が我が国に来日
もう少し「大航海時代」を続けましょう。当時の欧州人の日本
に対する知識や関心は、15世紀前半に出版されたマルコ・ポー
ロの『東方見聞録』によってもたらされたものでした。マルコ・ポ
ーロ自身は、13世紀後半、17年間も中国に滞在したとの記録
が残っていますが、当然ながら日本に渡航した経験はありません。
しかし、中国で見聞したことをもとに、日本を「黄金の国ジパン
グ」として「中国大陸から約2500kmに王を擁(いだ)いた白
い肌の人々が住む巨大な島がある」と紹介しました。
同時に、「黄金の宮殿や宝石・赤い真珠類も豊富」などとも紹
介しましたので、当時の欧州人の好奇心を刺激し、ポルトガル・
スペイン両国は、地球の反対側の「分界線」上にある未開(未所
属というべきか)の地・日本に我れ先に行き着くことを目指した
のでした。
我が国が本格的に西洋列国と関わりを持つきっかけともなった
ポルトガル人による「鉄砲の伝来」や「フランシスコ・ザビエル
(スペイン北部に住むバスク人)の鹿児島上陸」(1549年)に
はこのような背景がありました。
しかし、本メルマガの冒頭にも紹介しましたように、我が国は
まさに「FAR EAST」、その道のりははるか遠く、欧州人
が初来日したのは「大航海時代」が始まって以来、約1世紀弱の
歳月が流れた16世紀半ばでした。ちょうど戦国時代の末期、織
田信長が国土の約半分を統一しようとしていた頃でした。全国的
にみれば総武力量も相当なもので、この武力を駆使する経験も豊
富な「武士全盛の時代」だったのです。
その後、相次いで来日した宣教師や商人などの欧州人たちは、
キリスト教の布教に加え、究極的には日本の植民地化を企図した
ことは明白ですが、果たせませんでした。わが国は「地の利」
「時の利」「人の利」を得たのでした。
我が国と対比されるフィリピンは、1565年、300人ばか
りのスペインの騎馬軍団に占領され、以来約300年間、スペイ
ンの植民地になりました。フィリピンという国名さえも当時のス
ペイン皇太子フェリペ(のちの国王フェリピ2世)の名に因んで
つけられてしまいました。
フィリピンの名誉のために付け加えますが、最初に制圧しよう
としたマゼラン一行に対しては、セブ島近くの小島マクタン島の
ラプラプ酋長は徹底抗戦し、この戦いで1本の毒矢がマゼランの
右足を貫きました。これが致命傷になって、マゼランは最期を遂
げ、ラプラプに首を切り落とされました(1519年)。フィリ
ピンの教科書には、「マクタンの戦いは、外国の侵略者から島の
独立を守ることに最初に成功した重要な記録」と書かれているよ
うです。
当時、なぜ我が国が欧州の植民地にならず独立を維持できたか、
などの細部については次回以降に取り上げましょう。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、陸
上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇宙工学修士
課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕僚副長、第1
高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副
長、東北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』などに投稿
多数。
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