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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊
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こんにちは、エンリケです。
「理と情」
についてはリーダーシップを語る際、ひんぱんに
取り上げられることですが、
理と情の何がどう違い、どこをどう大切にしなきゃいけないか?
に言及した論が見当たらないとの印象をこれまで持っていました。
でも、きょうの文中にあった
<そこに敵を欺くような発想を盛り込むには「感性」の力もとき
に必要です。>
のひとことで、パッと目の前が開けました。
さっそくどうぞ
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【戦う組織のリーダーシップ─今に生きる海軍先輩の教え─】
「感性のリーダー『山本五十六』と理性のリーダー『井上成美』」(第4回)
勝利の要諦:「理性」にもとづく指揮をとりつつ「感性」を発揮して勝機をつかむ
堂下哲郎(元海将)
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□はじめに
前回は、海軍の「考課表」における「個性」のとらえ方を見て、
「感性」と「理性」がリーダーの個性とリーダーシップのスタイ
ルを規定する基本的な軸であるということを述べました。もちろ
ん「感性のリーダー」と「理性のリーダー」がはっきり2つに分
類できるわけではなく、その間に無数の中間型が存在するわけで
す。
今回は、海軍の代表的なリーダーの中から「感性のリーダー」
として山本五十六を、「理性のリーダー」として井上成美(しげ
よし)を取り上げて、それぞれ作戦面、部下の統率面について比
べてみたいと思います。
▼戦略、作戦にみる「感性」と「理性」
山本五十六は、開戦を前に海軍大臣への手紙の中で次のように
述べています。
「大勢に押されて立ち上がらざるを得ずとすれば、艦隊担当者と
しては到底尋常一様の作戦には見込み立たず、結局桶狭間とひよ
どり越と川中島とを併せ行うの已(や)むを得ざる羽目に追込ま
れる次第に御座候(略)」(阿川弘之『山本五十六』)
このような状況で「理外の理(普通の道理や常識では説明のでき
ない道理)」として山本が発想したのが真珠湾の奇襲でした。こ
れはそれまでの日本海軍の対米作戦の考え方とはまったく異なる
奇抜なもので、事実、関係者のほとんどから強い反対を受け、
「この作戦が認められない場合には、長官の職を辞する」との
「脅し文句」まで使って軍令部(海軍の作戦を統括する)に認め
させたほどでした。
この作戦は周到な準備もあり、6隻の空母と350余機の艦載機
で開戦初日に大戦果を挙げました。この作戦により「リメンバー・
パールハーバー」との合言葉で米国を総力戦に立ち上がらせ敗戦
の一因となったなどの批判はありますが、空母機動部隊の効果的
な用法により世界の海上作戦に大きな革新をもたらしたのは間違
いありません。
一方、井上成美は、作戦関係の勤務は少なかったのですが、大
佐時代に海軍大学校の戦略教官となりました。当時の「戦略教授
方針」には「あらゆる予断と希望的観測を排して数理と情報を大
切にせよ。旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)はやめて新時代に即
した独創をはかれ」とあります。
そのような方針に基づく井上の戦略論は徹底的に理論的で、同
僚の教官からは「戦訓を基礎におかない兵術は机上の空論になる」
との批判がありましたし、校長からは「戦略を講ずる際、精神力
も術力も除外していたずらに数理をもてあそぶことは士気に悪影
響を及ぼす」と注意すら受けました。正確な情報の裏づけのない
作戦計画は、希望的な観測で動く神頼みになるとして、戦略を徹
底して科学的に追究した点において、それまでの研究とはまった
く異なっていました。(千早正隆『日本海軍の驕りの始まり』)
また、井上は航空本部長の時に「海軍の空軍化」を唱える「新軍
備計画論」を大臣に提出しました。これは極めて先見性のある提
言と評価する向きもありますが、一方では開戦を控え切迫した時
期において肝心の航空本部長としての重責をどう果たすかについ
てはほとんど触れられていないという点で批判もされています。
さらに、井上が第四艦隊司令長官の時、井上の部隊がツラギを占
領した翌日に敵の艦載機の攻撃を受けたことがありました。この
時、宇垣連合艦隊参謀長は「敵は相当にわが情況を偵知した後の
攻撃と認められる」とすぐ反応しているのに対して、「情報を大
切にせよ」といったはずの現場の最高指揮官の井上がいかに反応
したか何も記録が残っていません。千早は、「(井上が)敵が
“偵知”する手段を徹底的に追求したならば、敵が日本海軍の暗
号を解読している可能性に突き当たったかもしれない。」と指摘
しています。
このように「理外の理」を生み出した山本の発想は、理詰めの思
考というより「感性」から生み出された作戦構想といえます。対
する井上の思考が「理」に基づくものであることは明らかです。
千早は、作戦現場での振る舞いについても、「『機を見るに敏』
とか『機先を制する』という言葉がある。ここでいう『機』とは、
人の五感では捉まえ得ない気配のことである。それは理性では感
応できない、鋭い感性によってのみ感じることができるのである」
と述べ、「戦場における感性」の重要性を指摘しています。
▼部下統率にみる「感性」と「理性」
山本五十六は、元来「情の人」であり、それを「理性の衣」で包
んでいたといわれています。空母「赤城」艦長時代、オーバーラ
ンしようとする航空機に対し、真っ先に飛び出してその尾翼にし
がみついたり、帰還しない航空機を心配して待つ姿、無事帰還し
た時の喜びようなど多くの逸話があります。司令長官になっても
戦死者の名前を書いたノートを肌身離さず持っていたことなども
知られています。
支那事変(1937年)の際には、日本海軍初めての渡洋攻撃のため
連合航空隊が編成され前進基地(台北および済州島)から出撃す
ることになりましたが、訓練も十分にできておらず連日大きな損
害が出ていました。このため、現場の航空隊司令は士気が落ちな
いよう自ら陣頭に立って攻撃に出るなど奮戦していました。指揮
官の一人である戸塚道太郎大佐(のち中将)が、作戦が一段落し
て上京し、海軍省で大臣以下主要職員に任務報告をした際、大佐
自身、報告の途中で現場の苦闘を思い出して自然に涙が出たとい
います。
報告の席上、米内光政大臣が平然と報告を聞いていた一方で、山
本五十六次官は時々ハンカチを目に当てる姿がみられました。も
ともと船乗りであった戸塚を航空隊司令に抜擢したのは山本であ
り、渡洋攻撃中その安否を毎日心配していたのです。山本は、報
告後戸塚大佐を招き入れた次官室で感極まって「貴様よくやって
くれた!」と抱きついたのですが、戸塚大佐も「こんな嬉しい事
はなかった」と山本の真情に触れた当時の感激を回想しています。
(小柳資料)
これはほんの一例に過ぎないのですが、このような山本のほと
ばしるような部下を思う真心は直接接したものはもちろん、伝え
聞く者たちの中にも、「この指揮官のためならば」という気持ち
を起こさせたことは想像に難くありません。
一方の井上の部下統率ですが、作戦面でみられたと同じような
感性の薄さがうかがえます。第四艦隊長官の旗艦は巡洋艦「鹿島」
でしたが、彼はトラック基地の夏島にある長官宿舎から「鹿島」
に通っていました。宿舎には従兵長ら4人の他にカナカ族のボー
イ2人を入れて6人が井上の世話をしており、長官は実質的に南
洋群島の王様のようなものでしたから、平時にはそれほど不自然
ではなかったにせよ、戦時には奇異に映るようになったといわれ
ています。
そのような背景もあり、ある「事件」が起きました。第二次ソ
ロモン海戦を終わってトラックに帰ってきた空母「翔鶴」と「瑞
鶴」の搭乗員士官60名余を、井上長官が新装した料亭「小松」に
慰労のために招待した時のことです。呼ばれた士官たちは、宿敵
の米空母「エンタープライズ」に直撃弾3発をぶち込みましたが、
その息の根を断つことができなかったばかりか、僚艦の空母「龍
驤」が沈められ気が荒立っていました。なかには防暑服もなく硝
煙の匂いとガソリンの匂いが染み付いたような飛行服姿も何人か
いました。
招待主の井上は麻の白絣、薄鼠の袴に白足袋という装いで、命
をかけて戦ってきた空の戦士を迎える雰囲気とはかなりかけ離れ
ていました。少し酒が回ったところで、飛行隊のトップメンバー
たちが井上の前に出て挨拶しました。阿川弘之著『井上成美』で
はこうです。
少々酒の気の廻った高橋大尉は、グラスを片手に立ち上がった。
「長官、頂きます」
井上の前へ坐ってコップを突き出し、幕僚のついでくれたビール
をわッと、夏袴の上からひっかけた。
村田重治少佐、関衛少佐、「ショッペイ」こと山田昌平大尉ら荒
武者どもも出てきて、井上の前へ並んだ。
「頂戴します」
「長官頂戴します」
と、中の一人二人が高橋と同じことをやった。
井上は姿勢も変へず、顔色も変へなかった。僅かに唇を歪めて
ひと言も口をきこうとしなかった。航空参謀が何か制止するよう
なことを言い、副官があわててハンカチを出し、女どもがタオル
を取りに走った。騒ぎが収まり、暫く元通り酒宴が続いたあと、
「長官お立ちになります」
と副官が告げた。
千早は次のように結んでいます。
「明日の運命さえ分からない戦士を、平安朝の公卿のような態度
で接せられては堪らない気持ちにさせられたであろう。事実、そ
の後にトラックを出撃した彼等は、十月二十六日の南太平洋海戦
で、村田と関は戦死し、高橋は不時着したが幸いにして救助され
た。そのような運命をもつ戦士をねぎらうにしては、井上はいさ
さか配慮が欠けていた。もし彼が防暑服を着て、オールド・ブラ
ック・ジョーなどを歌ったならば、(戦後に彼は村の子供らに歌
って聞かせていた)雰囲気はずいぶんと変わっていたであろう、
と惜しまれる」
理性的な思考によらない作戦は作戦とはいえませんが、そこに敵
を欺くような発想を盛り込むには「感性」の力もときに必要です。
これは、作戦実行の現場においても同じことで、「理性」にもと
づく指揮をとりつつ「感性」を発揮して勝機をつかまなければ勝
利はおぼつかないといえます。
そして、「作戦は人なり」という言葉があるように硝煙の中で作
戦を成り立たせているのは人そのものであり、その力を最大限に
発揮させるのもまた「感性」、すなわち指揮官なりの「情の統率」
がなければならないといえるでしょう。
(つづく)
(どうした・てつろう)
【著者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共政策論修士、
防衛研究所一般課程修了。護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等として海上勤務。陸
上勤務として内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)出向、米中
央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長(初代)、幹部候
補生学校長、防衛監察本部監察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴
地方総監、横須賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。
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