〇〇〇〇さん
こんばんは、坂佐井です。
☆西欧の神話・歴史・宗教まとめ読み
「ローマ帝国とキリスト教編」~最終話~ キリスト教徒となった初めてのローマ皇帝
西暦284年 ディオクレティアヌス帝が即位し、専制政治を始める。
西暦293年 二人の正帝、二人の副帝による四分割統治が始まる。
西暦303年 ディオクレティアヌス帝、キリスト教を大迫害。
西暦305年 ディオクレティアヌス帝、健康を害し、皇帝を退位。
=マクセンティウス、ローマで隆起=
ディオクレティアヌスが退位すると、東の副帝ガレリウスと、西の正帝マクシミアヌスと、副帝コンスタンティウスの3人となってしまう。
ここで微妙な力の差のバランスが少しずつ、ゆがみ始める・・・
その空気を察したのか、西の正帝マクシミアヌスも退位してしまう・・・
そうなると、東西の副帝が統治することになるが、才能、軍事力、性格とすべての面から見て、コンスタンティウスが上位となった。
当然、おもしろくないのは東の副帝ガレリウスですよね。でもなんと、彼以上に面白くなかったのは、西の正帝マクシミアヌスの息子、マクセンティウスだった!!名前がややこしいですな(笑)
なぜマクセンティウスが面白くなかったのか?
彼はてっきり副帝になれるもんだと思っていたのだが、その資質はないという理由で、選から漏れてしまったからである。
彼は怒りをたぎらせ、親衛隊を率いてローマで隆起。自ら皇帝を名乗り、イタリア、ヒスパニア、そしてアフリカまでも手中に収めたのである。
そんな勝手は許されない。
このとき、ブリタニアの首都エブラクムで、西の正帝となったコンスタンティウスが、亡くなってしまい、コンスタンティヌスが跡を継いでいた。
そのコンスタンティヌスがローマへ進撃し、マクセンティウスと激突した。
そこでマクセンティウスは、大敗北を喫し、2000人の部下とともに、テヴェレ川に落下して、死んでしまったのである。
悪いことはできないもんですなあ~
=ミラノ勅令、そしてキリスト教を公認に=
西暦312年、マクセンティウスを打ち破り、ローマへ入城したコンスタンティヌスは、元老院と市民から拍手をもって迎えられた!!
ここで彼は名実ともに、西ローマ帝国の皇帝となり、第一正帝を表明した。
因みにこのとき東の正帝にはリキニウスがなっていた。
翌313年、コンスタンティヌス帝は、ミラノで東のリキニウス帝と会談した。
その内容は、分割統治の確認と、キリスト教の問題であった。
そもそも東と西では、キリスト教に対して考え方が違っていた。
東は、ローマの神を祀らないキリスト教には、断固として迫害していく方向を示しているのに対し、西の正帝コンスタンティヌスは肯定的だった。
キリスト教の拡大を迫害するよりも、味方につけた方が得策と、考えたのである。
コンスタンティヌス帝は、東のリキニウス帝に、キリスト教をローマの神々とともに受け入れることを提案し、迫害したとき没収した教会の財産を、返すことも提案した。
リキニウスは、今や力の差を感じていたのか、これを素直に受け入れた。
これが、キリスト教をローマ帝国が公認したとして、人々を驚かせた「ミラノ勅令」である。
キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝は、ローマ市内と近郊に数々の聖堂や教会を建設し、多額の寄付を贈った。
そしてこの頃に、今の新約聖書の形が整ったと言われている・・・
それにしてもキリスト教の戦いも長かったですなあ・・・イエスが磔刑となってから、300年が経ったのだから・・・
=コンスタンティヌスのローマ再統一=
コンスタンティヌスはリキニウスを邪魔者と考えていた。
西暦316年、リキニウスが、キリスト教を迫害したという情報を得て、リキニウスの討伐に向った。
しかしリキニウスが立てこもるビザンティウムの守りは堅く、しかも彼には強力な海軍もあったが、コンスタンティヌスの息子クリスプスがわずか二日間で、330隻の軍艦と5000名もの敵兵を海に沈めてしまった。
こうなると、リキニウスもやばいと思ったのか、ここから逃げ出し、ハンニバルが自殺したことで有名なビテュニアに、5万を超える兵を集めた。
そしてクリソブリス高地で両軍が激突した!!
いかに5万人とはいえ、急造のリキニウス軍は、コンスタンティヌス軍にメタメタにやられ、25000人以上の死者を出して、敗退したのである!!
もはやリキニウスが生きるには、コンスタンティヌスにすがるしかなかった。
ビザンティウムに残る副帝マルティニアヌスの命を奪うなら身の安全を保証してもらえることとなり、安心して投降した。
だが、その約束は守られることはなく、リキニウスは捕えられ、まもなく処刑されてしまったのである。
これで長く続いた内乱に終止符を打ち、ローマ帝国を再統一することに成功したのである。
コンスタンティヌスは、行政や法律の制度や人材を整備し、軍の指揮権と行政権を、完全に分離した。
そしてディオクレティアヌスが始めた専制君主制をさらに強化し、皇帝の権力を絶対的なものとしたのである。
=新都コンスタンティノポリスの建設=
ディオクレティアヌスが帝国を分割し、西ローマの首都をローマからミラノへ移してからというもの、ローマの衰退は激しく、辺境の一都市と、かわりないほど寂れてしまった。
しかしコンスタンティヌスはローマにも、ディオクレティアヌスの作ったニコメディアにも、入城しなかった。彼は自分の名前を冠とした、新しい都を作りたかったのである。
新都市建設の場所として選んだのは、ビザンティウムであった。
彼はリキニウスとの戦いで、ビザンティウムが天然の要害であることを痛感していたのである。
また巨大な交易船が、何十隻でも接岸できるすばらしい港が、備わっていて、コンスタンティヌスが目をつけるはるか以前から、商業と交易の中心地として、栄えていた。
コンスタンティヌスはビザンティウムの街を、それまでの四倍にまで拡大し、堅牢な城壁で囲った。
建設途中ではあったが、西暦330年5月11日に開都式を行い、コンスタンティノポリスと命名したのである。
このコンスタンティノポリスは、現在トルコ最大の都市、イスタンブールとして、ローマ帝国時代の面影を残している・・・
=コンスタンティヌスとキリスト教=
コンスタンティヌスがニコメディアを首都としなかったのには、ここが、キリスト教徒を迫害したディオクレティアヌスがつくった都というのが理由だろう。
コンスタンティヌスがキリスト教に帰依したのは、彼がマクセンティウスとの戦いの直前、空にキリストの頭文字と、「汝、これにて勝て」という文字を見たからである。
本当かどうかはともかくね(笑)
コンスタンティヌスの思いが本当にキリスト教にあったのか、その真偽は定かではないだろう。
政治に利用したのではという見方もある。
確かにディオクレティアヌスのキリスト教徒迫害を嫌ってはいたが、同時に彼の行った専制君主制をより、強固にしようと考えていたのも事実だ。
政治的に利用したのか、本当にキリスト教徒になりたかったのかは、今となっては、分かりようがないが、歴史的事実として、コンスタンティヌスは、キリスト教を受け入れたのだ。
では突然キリスト教を公認した、ローマの皇帝に対して、キリスト教徒たちは、どう思ったのだろう!?
キリスト教徒たちは、コンスタンティヌス帝のことを、「自分たちの神のご加護を一身に受け、神の代理人としてローマ帝国を統治する君主」と位置づけて、つじつまを合わせたようである(笑)
内心はホッとしたんじゃないでしょうかね。
西暦337年、コンスタンティヌスは死の直前に洗礼を受け、正式なキリスト教徒となった・・・
彼の遺体は、自分で用意していたコンスタンティノポリスの聖12使徒教会堂へと埋葬された・・・
またローマの元老院は、コンスタンティヌスが洗礼を受けたのを知っても彼を神格化し、ローマの神々の一員に加えたのである・・・
コンスタンティヌス帝を通じて、ローマ帝国とキリスト教は、関係を結んだのであった・・・完
「ローマ帝国とキリスト教編」・・・いかがでしたでしょうか!?
前半と後半こそ、ローマ帝国とキリスト教の融合された話がありましたが、中盤は、ほとんどローマ帝国史でしたね(笑)
しかしこの時代、つまりはネロ帝による虐殺に始まり、ディオクレティアヌス帝の大迫害まで、約250年にわたって迫害を受けていたんですね。
それを乗り越え、ようやくローマ帝国の公認の宗教となるわけです。
それが少しでも伝えられたかなと、勝手に思っております(笑)
次回はいよいよ最後になります「ローマ帝国滅亡編」です。
長かった「西欧の神話・歴史・宗教まとめ読み!!」もいよいよ最後の編になります。
どうしてローマ帝国は崩壊の一途を辿っていったのか!!
それを探っていきます。是非、お楽しみに~
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