〇〇〇〇さん
こんばんは、坂佐井です。
古事記は素敵なファンタジー
仁義なき戦いは、古代日本のためにある言葉だ。
特に雄略天皇が登場するまでの争いには、凄まじい殺し合いが行われた。
前回、允恭天皇の長男、キナシノカルが妹のカルノオオイラツメと恋に陥ってしまったことに、三男のアナホの命が、二人を追い出し、安康天皇になった。
そこまで、話した。
允恭天皇を継いで第20代安康天皇となったアナホから、物語を進めよう。
改めて系図を出す。
父 允恭天皇(いんぎょうてんのう)
長男 キナシノカル
次男 クロヒコ
三男 安康(あんこう)天皇(アナホ)。
妹 カルノオオイラツメ
四男 シロヒコ
五男 オオハツセ(雄略天皇)
安康天皇に即位したアナホは、五男のオオハツセのために妻を世話しようと、仁徳天皇の子オホクサカのもとに、家臣のネノオミを送った。
オホクサカは快く娘との結婚を認め、その証として、玉飾りを差し出したのである。
ところが、何を血迷ったのか、ネノオミはその玉飾りが、欲しくなり、ついには、ネコババした上に、
「大変です。オオクサカの王は、命令に従いませんでした。天皇を侮辱し、刀の柄を握って、怒っていました!!」
そんなことを聞いたら、安康天皇はオオクサカの王を許さない。
すぐに天皇は、オオクサカの王を攻めて殺し、その正妻を自分の后としてしまったのだ。(ムチャクチャな)
オオクサカの王に同情してしまう。
こういう誠実な人が、殺されてしまう世の中なんて・・・
さて、オオクサカの王の妻は、夫を殺した安康天皇の后にされてしまうが、実はオオクサカの王との間に、マヨワという子がいた。
当然、天皇もこのマヨワが、成長して、父親を殺した相手が自分だと気づかれることを、恐れていた。
しかしまだ7歳ということもあって、今すぐ処分することはなかった・・・
マヨワはあるとき、偶然にも母と天皇の会話を聞いてしまう。
そして実父が殺された事実を知ってしまった
天皇の心配は当たってしまう。
マヨワはまだ7歳でありながら、勇敢にも天皇を殺害し、ツブラノオホミのもとに、逃げ込んだのである。(実際には、母親の力を借りたのかもしれない)
安康天皇56歳の死であった・・・まあ自業自得かな。
さて、安康天皇が殺されて、穏やかではないのは、兄に嫁さんを世話してもらうはずだった五男オオハツセである。
彼は、兄の仇を取る為に、次男のクロヒコのもとに相談に行くが、クロヒコは仇を討つわけでもなく、煮えきらない・・・
そんな態度にイライラしたオオハツセは、クロヒコの襟をつかんで引きずり出し、刀を抜いて殺してしまった。
なんとも、血の気の多いというか、短気というか!!
さらに四男シロヒコのもとにも相談に行くが彼もまた、煮え切らないので、オオハツセは同じように襟をつかんで引きずり出し、穴を掘って体を立てたまま生き埋めにした。
土が腰ぐらいまで盛られたとき、シロヒコの両目が飛び出しそのまま死んでしまった。
なんと救いようのない話しのオンパレードなんだろうか!!
タイトルの意味も、充分理解していただけるだろう・・・
結局残ったのは五男のオオハツセだけであり彼は軍勢を率いて、マヨワを匿っているツブラノオホミの館を包囲した。
ツブラノオホミは、マヨワを引き渡すよう命じるオオハツセのところへ行き、礼をつくす。
しかし、「自分を頼ってきたわずか7歳のマヨワを見捨てることはできない」と言った。
そして館へと戻っていった・・・
古事記には時折、義理がたい人が登場するがツブラノオホミもその一人だろう・・・
戦いは明白だった。ツブラノオホミの館には戦う武器はすぐになくなり、マヨワは、決断する。
「ツブラノオホミよ、仕方ない。私を殺してください」
まだ7歳の吐くセリフとは思えないが、ツブラノオホミは、マヨワを刺し殺し、そのあと自分も自らの命を絶ったのである。
オオクサカの妻であり、マヨワの母は、こんな運命をどう受け止めたのだろうか・・
残念ながら古事記には、彼女の心の内は、記されていない・・・
これだけの事があっても、まだオオハツセにまつわる惨劇は終わらなかった!!
オオハツセが従兄のオシハと狩に出掛けた時家臣からオシハに気を付けるよう、忠告を与えられると、オオハツセは有無をいわす暇も与えずに、オシハを殺してしまう。
このオシハにはオケとヲケという二人の息子がいたが、この惨事を聞いて、いち早く山城へ逃れ、馬飼い、牛飼いに姿を変えて、生き長らえるのであった・・・
このオケとヲケは覚えておいて下さい。この後、再び古事記の舞台に鮮やかに舞い戻るからです・・・つづく
=次回予告=
「第25話歌を詠う、雄略天皇の、のどかな治世」
実の兄弟の含め、皆殺しにした天皇に訪れた平穏な日々を情緒豊かにお伝えしたいと思います。お楽しみに~
~マメ知識~記紀が正しいことが、証明された!?
今まで、古事記や日本書紀については、疑わしい部分が多く、歴史としては、改竄が多すぎて、真実性に乏しいと、指摘してきたが、今回はその反対のお話しをする。
昭和43年に埼玉県にある稲荷山古墳から、鉄剣が出土した。出土してから、十数年後に、銘文が刻まれていたことが、X線投影で分かったのだ。
そこには、辛亥年七月中紀という7文字と幼武(わかたける)という名前が刻まれていた。
ワカタケルとは、雄略天皇のことであり、中国の歴史書でいう「倭の五王」の最後に登場する倭王武とみなされている大王でもある。
とすると、辛亥年とは西暦471年にあたる。
日本の国家体制は、6世紀以降に国家は統一されていたと、戦後の学界では主張し、日本書紀や古事記を無視してきたが、少なくても雄略天皇の時代には、すでに埼玉県までは、大和の勢力が及んでいたことがわかった
また、九州でも船山古墳で、ワカタケル大王の名が記された銘文が発見されており、九州から関東まで、大和の勢力は及んでいたことがわかった。
ということは、考古学的にみても、記紀の記述の方が、正しいといえる。
稲荷山古墳の鉄剣には、他にも雄略天皇の側近の系図などが記されており、結論を述べるなら、記紀は捏造された正史という前提をくつがえし、実は記紀の記述の方こそ正しいということを、鉄剣は証明してくれているのである。
そこまで、結論づけるのは早計かもしれないが、記紀が捏造されたデタラメなものと、決めつけることも早計なのではないだろうか!?
古事記・日本書紀に関しては、今一度歴史として、考えることも必要かもしれませんね・・・
今回で、「マメ知識」は最終回となります。
みなさん、今までありがとうございました!
「古事記は素敵なファンタジー」はあと、少し続きます(笑)
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