〇〇〇〇さん
こんばんは、坂佐井です。
古事記は素敵なファンタジー
仁徳天皇は83歳で死ぬまでに、五男一女をもうけ、なんと三人の男子が天皇となっている。
聖帝として称えられた仁徳天皇の跡を継いだのは長兄のイザホワケ(履中天皇)である。
そして、その後に三男、四男が続いた。
あれ、次男はどうしたんだろう!?
そうこの次男こそ、長男、履中天皇の強力なライバルだったのである。
ここで仁徳天皇家を下記にまとめておく。
父:仁徳天皇
長兄:イザホワケ(履中天皇)
次兄:スミノエノナカツミコ
三男:ミズハワケ(反正天皇)
四男:ヲアサヅマワクゴノスクネ(允恭天皇)
長兄履中天皇が、即位の祝いの席で、多くの酒を飲まされ、すっかり酔ってしまい、深い眠りについてしまった。
このとき、次男のスミノエノナカツミコが、宮に火を放ったのである。
兄を殺してしまおうなんて、なんて恐ろしいことをと、お思いになるだろうが、これまで古事記を読んできた皆さんには、もう当たり前の行動に感じるだろう(笑)
そう、現代の感覚で、古事記を読んでは、理解に苦しんでしまう。
古代の日本では、たとえ兄弟であっても、死ぬか生きるかの強力なライバルなのだ!!
さて、お話しを古事記に戻そう。
履中天皇は、酔いが覚めないまま、火に包まれ、命が尽きるかというところで、アチノアタエという家臣によって救われる。
アチノアタエは、天皇を馬に乗せて、大和へ向けて走った。
多遅比野(たじひの)まで逃げてきた時、ようやく天皇は目を覚まし、弟の裏切りを知る。
やがて、大和に無事到着すると、石上神宮に落ち着いた。
そこへ、三男のミズハワケの命がやって来た。
「弟よ、お前もスミノエノナカツミコと同じ裏切り者か」
「いえ、私は違います」
「それならば、スミノエノナカツミコを討って来い」
「わかりました」
履中天皇には、人を信じる心は失われてたんでしょうね。
まあ、弟に殺されそうになれば、そうなりますね(笑)
さて、三男ミズハワケは、大変な事を頼まれてしまったと思った。
ミズハワケにしてみれば、兄から兄を殺せと言われたわけです。なんかややこしい・・・
さすがに、自分の手で殺すことは出来ないので、考えた挙句に、スミノエノナカツミコの近くに仕えているソバカリという隼人(はやと)を身方に引き込む。
「私の命令に従ってくれれば、私が天皇になったときに、大臣にする用意があるが、どうだ」
「ご命令のままに」
ソバカリにたくさんの品々を与えた上で、「私の命令は、お前の主人であるスミノエノナカツミコを殺すんだ」
「はい」
ソバカリは、スミノエノナカツミコが厠に入るのをうかがい矛で刺し殺した。
三男ミズハワケは、約束どおりソバカリを大臣にするが、簡単に主人を裏切るような男は、まったく信用にならない。
そこで、宴席を開いて、杯に酒を注いで、まずミズハワケが飲んだ。
続いて、ソバカリが酒を飲んだときだった。
杯で顔が隠れた瞬間に、その首を切り落としたのである。
仁義なき戦いとは、このことだろう!!
殺さなければ、自分がやられる。恐ろしい時代です!!
とにもかくにも、履中天皇との約束を果たしたミズハワケは、穢れ払いの祈りを済ませてから、天皇の元に参じたのである。
ミズハワケは、天皇の身辺に召され、天皇を火中から救ったアチノアタエを始め、忠臣たちが報奨を受けた。
その後、大和の若桜宮に移って、政を行い、64歳で息を引き取った。
仁徳天皇の治世が長かった為、在位は短かった。5年ぐらいだろうか・・・
その後を継いだのが、あの三男ミズハワケである。
彼は反正(はんぜい)天皇となり、第18代の天皇となるが、残念ながら、この天皇については多くは語られていない。
180センチを超える大男だったことが、伝えられている(笑)・・・つづく
=次回予告=
「第23回 禁じられた恋」
兄弟が愛し合う悲劇な末路をお伝えします
お楽しみに~
~マメ知識~ 中国の史書に久々に登場した天皇から分かること!!
今の古代史は、ほとんどが中国の史書に頼っているのが現状である。
日本で書かれた日本書紀や古事記よりも、中国の史書の方が信頼されているのである。
そしてこの時代の天皇たちは、久しぶりにその中国の歴史書に登場している。
3世紀半ばの「魏志倭人伝」での記述以降、久々の登場です(笑)
その史書「宋書」には、讃(さん)珍(ちん)済(せい)興(こう)武(ぶ)という倭の五王が、宋に使者を送ったと記されている。
日本とは異なる名称で記載があり、誰がどの天皇なのかは、はっきりとはしないが、推測は可能だ。
まず、425年に宋に入貢したという讃は、15代応神天皇、16代仁徳天皇、そして今回の話しの主役である17代履中天皇などの説である。
珍は、今回履中天皇と並んで主役となる18代反正天皇とされている。
この反正天皇といわれる珍は、古事記では記述が少ないのに、「宋書」では、南朝鮮までを支配しようと、5国の軍事統督への任官を求めてたとの記述が記載されている。
443年に安東将軍・倭国王の称号を受けた済は19代允恭天皇。
また同じ称号を受けた興は、安康天皇とされている。
そして興の弟である武には、21代雄略天皇とされている。
ここで、問題とされるのは、この讃・珍・済・興・武という名は、宋が付けた当て字であり、日本書紀にも古事記にも、その名は記載がない。
記紀に記載がないから、いないのではなく、ここでは、該当するであろう天皇が、前述のようにいる。
では、卑弥呼の場合はどうか!!
彼女も、日本の記紀には、卑弥呼という名は記載されていない。
だからといって、記紀に登場しないのかといったら、違うのではないかと思っている。
日本書紀、古事記では、卑弥呼は別の名で登場しているのではないかということである
卑弥呼に該当する古事記・日本書紀の人物はだれなのか??
今のところ、断定はできないが、色々と噂のある人物でいえば、新羅まで遠征したという勇ましい、神功皇后。
または、神懸りという卑弥呼と同じ占いをするヤマトトトビモモソヒメ。
また欠史8代の時代の、記述が不明な時代に、実は邪馬台国は存在し、卑弥呼が大和に吸収される形で、統合されたとする説まである。
どれが本当なのか!!なんにしても、全てにおいて中国の史書だけを頼るのではなく、日本書紀・古事記という日本最古の書物を、もっと研究することも、必要だと思うが・・
それにしても、卑弥呼にまつわる謎は尽きないですね!!
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