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配信日時
2018/08/30 22:00
【号外版】第22話 聖帝の御子たちの骨肉の争い!!
〇〇〇〇さん
こんばんは、坂佐井です。
古事記は素敵なファンタジー
仁徳天皇は83歳で死ぬまでに、五男一女を
もうけ、なんと三人の男子が天皇となって
いる。
聖帝として称えられた仁徳天皇の跡を
継いだのは長兄のイザホワケ(履中天皇)
である。
そして、その後に三男、四男が続いた。
あれ、次男はどうしたんだろう!?
そうこの次男こそ、長男、履中天皇の強力な
ライバルだったのである。
ここで仁徳天皇家を下記にまとめておく。
父:仁徳天皇
長兄:イザホワケ(履中天皇)
次兄:スミノエノナカツミコ
三男:ミズハワケ(反正天皇)
四男:ヲアサヅマワクゴノスクネ
(允恭天皇)
長兄履中天皇が、即位の祝いの席で、多くの
酒を飲まされ、すっかり酔ってしまい、深い
眠りについてしまった。
このとき、次男のスミノエノナカツミコが、
宮に火を放ったのである。
兄を殺してしまおうなんて、なんて恐ろしい
ことをと、お思いになるだろうが、これまで
古事記を読んできた皆さんには、もう当たり
前の行動に感じるだろう(笑)
そう、現代の感覚で、古事記を読んでは、
理解に苦しんでしまう。
古代の日本では、たとえ兄弟であっても、
死ぬか生きるかの強力なライバルなのだ!!
さて、お話しを古事記に戻そう。
履中天皇は、酔いが覚めないまま、火に包ま
れ、命が尽きるかというところで、
アチノアタエという家臣によって救われる。
アチノアタエは、天皇を馬に乗せて、大和へ
向けて走った。
多遅比野(たじひの)まで逃げてきた時、
ようやく天皇は目を覚まし、弟の裏切りを
知る。
やがて、大和に無事到着すると、石上神宮
に落ち着いた。
そこへ、三男のミズハワケの命がやって
来た。
「弟よ、お前もスミノエノナカツミコと
同じ裏切り者か」
「いえ、私は違います」
「それならば、スミノエノナカツミコを
討って来い」
「わかりました」
履中天皇には、人を信じる心は失われて
たんでしょうね。
まあ、弟に殺されそうになれば、
そうなりますね(笑)
さて、三男ミズハワケは、大変な事を頼まれ
てしまったと思った。
ミズハワケにしてみれば、兄から兄を殺せと
言われたわけです。なんかややこしい・・・
さすがに、自分の手で殺すことは出来ないの
で、考えた挙句に、スミノエノナカツミコの
近くに仕えているソバカリという
隼人(はやと)を身方に引き込む。
「私の命令に従ってくれれば、私が天皇に
なったときに、大臣にする用意があるが、
どうだ」
「ご命令のままに」
ソバカリにたくさんの品々を与えた上で、
「私の命令は、お前の主人である
スミノエノナカツミコを殺すんだ」
「はい」
ソバカリは、スミノエノナカツミコが厠に
入るのをうかがい矛で刺し殺した。
三男ミズハワケは、約束どおりソバカリを
大臣にするが、簡単に主人を裏切るような
男は、まったく信用にならない。
そこで、宴席を開いて、杯に酒を注いで、
まずミズハワケが飲んだ。
続いて、ソバカリが酒を飲んだときだった。
杯で顔が隠れた瞬間に、その首を切り落とし
たのである。
仁義なき戦いとは、このことだろう!!
殺さなければ、自分がやられる。恐ろしい
時代です!!
とにもかくにも、履中天皇との約束を
果たしたミズハワケは、穢れ払いの祈りを
済ませてから、天皇の元に参じたのである。
ミズハワケは、天皇の身辺に召され、天皇を
火中から救ったアチノアタエを始め、
忠臣たちが報奨を受けた。
その後、大和の若桜宮に移って、政を行い、
64歳で息を引き取った。
仁徳天皇の治世が長かった為、在位は
短かった。5年ぐらいだろうか・・・
その後を継いだのが、あの三男ミズハワケで
ある。
彼は反正(はんぜい)天皇となり、第18代の
天皇となるが、残念ながら、この天皇に
ついては多くは語られていない。
180センチを超える大男だったことが、
伝えられている(笑)・・・つづく
=次回予告=
「第23回 禁じられた恋」
兄弟が愛し合う悲劇な末路をお伝えします
お楽しみに~
~マメ知識~ 中国の史書に久々に登場した
天皇から分かること!!
今の古代史は、ほとんどが中国の史書に
頼っているのが現状である。
日本で書かれた日本書紀や古事記よりも、
中国の史書の方が信頼されているのである。
そしてこの時代の天皇たちは、久しぶりに
その中国の歴史書に登場している。
3世紀半ばの「魏志倭人伝」での記述以降、
久々の登場です(笑)
その史書「宋書」には、讃(さん)
珍(ちん)済(せい)興(こう)武(ぶ)と
いう倭の五王が、宋に使者を送ったと
記されている。
日本とは異なる名称で記載があり、誰が
どの天皇なのかは、はっきりとはしないが、
推測は可能だ。
まず、425年に宋に入貢したという讃は、
15代応神天皇、16代仁徳天皇、そして今回の
話しの主役である17代履中天皇などの説で
ある。
珍は、今回履中天皇と並んで主役となる18代
反正天皇とされている。
この反正天皇といわれる珍は、古事記では
記述が少ないのに、「宋書」では、南朝鮮
までを支配しようと、5国の軍事統督への
任官を求めてたとの記述が記載されている。
443年に安東将軍・倭国王の称号を受けた
済は19代允恭天皇。
また同じ称号を受けた興は、安康天皇と
されている。
そして興の弟である武には、21代雄略天皇
とされている。
ここで、問題とされるのは、この讃・珍・
済・興・武という名は、宋が付けた当て字
であり、日本書紀にも古事記にも、その名
は記載がない。
記紀に記載がないから、いないのではなく、
ここでは、該当するであろう天皇が、
前述のようにいる。
では、卑弥呼の場合はどうか!!
彼女も、日本の記紀には、卑弥呼という
名は記載されていない。
だからといって、記紀に登場しないのかと
いったら、違うのではないかと思っている。
日本書紀、古事記では、卑弥呼は別の名で
登場しているのではないかということである
卑弥呼に該当する古事記・日本書紀の人物は
だれなのか??
今のところ、断定はできないが、色々と噂の
ある人物でいえば、新羅まで遠征したという
勇ましい、神功皇后。
または、神懸りという卑弥呼と同じ占いを
するヤマトトトビモモソヒメ。
また欠史8代の時代の、記述が不明な時代に、
実は邪馬台国は存在し、卑弥呼が大和に
吸収される形で、統合されたとする説まで
ある。
どれが本当なのか!!なんにしても、全てに
おいて中国の史書だけを頼るのではなく、
日本書紀・古事記という日本最古の書物を、
もっと研究することも、必要だと思うが・・
それにしても、卑弥呼にまつわる謎は
尽きないですね!!
来週もお楽しみに~
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