配信日時 2018/07/05 22:00

【号外版】第14話 神武天皇の後継者争い!

〇〇〇〇さん
こんばんは、坂佐井です。



古事記は素敵なファンタジー



橿原の宮で、天下を治めることになった
神武天皇は、天皇にふさわしい皇后を、
もらわなければならなかった。



しかし、神武天皇には、東征の旅に出発する
前に、妻も子供もいた。しかし、残念ながら
この妻とは離縁し、国を治めるにふさわしい
妻を求めなければならない。
(せつないですなあ)



前妻には、タギシミミの命とキスミミの命
という子供がいたが、新しい妻を皇后に
するのであれば、皇位継承権はなくなって
しまう。そこに争いの原因があった。



神武天皇の重臣にオオクメの命がいた。



彼がいうには、神様の御子という娘が、
いるという。



その神様は出雲神・オオモノヌシの命の娘
だという。



オオモノヌシとは、国譲りで敗れた
オオクニヌシと同一人物だとされている。



なぜ今更、国譲りで、敗れ去った出雲の神の
娘を、皇后にしなくてはならないのか?
ちょっと不思議に感じる。



普通に考えて、なぜ征服し、追い出した
神様の娘を、天皇の皇后にするのか、
おかしいと思わないだろうか。



しかし、古事記には何も触れられていない。



まあ、古事記には様々な矛盾点があり、
いちいち気にもとめていたら、前には
進まないので、先へ急ごう。
(次回の話しで、また触れたいと思う)




オオクメの命の勧めにより、神武天皇は、
オオモノヌシの娘、
ヒメタタライスケヨリヒメを皇后とした。



神武もイスケヨリヒメも、オオクメの命の
勧めではあったが、お互い惹かれていた
ことは間違いないでしょう。



それは、神武が初めての夜の思い出を
歌ったりする記述もあるからである。



「葦の繁った小屋で、畳を敷いて、二人で
寝たなあ」



というような内容の歌である。



こうしてイスケヨリヒメによって生まれた
子は、ヒコヤイの命、カムヤイミミの命、
カムヌナカワミミの命の三人の子供を
もうけたのである。



しかし、神武天皇は137歳という長い人生
に終わりを告げ、亡くなってしまう。



137歳は長いけど、この時代の天皇の寿命
はみんな長い。



今と数え方が違うのかな!?と思って
しまうが、多分、137歳というのは、
事実ではない。



それについては、マメ知識のところで
触れたいと思う。


さて、神武天皇が崩御されると、前妻の子
タギシミミの命が後妻のイスケヨリヒメを
娶るという手段をとる。



理由は簡単、自分が神武天皇のあとを
継ぐためである。



そして、神武とイスケヨリヒメの
3人の子を、殺そうと画策した。



これを知ったイスケヨリヒメは、夫よりも
子供の心配を優先し、そのことをすぐに
歌で伝えた。



それにしてもイスケヨリヒメはなぜ、
タギシミミの命を夫にしたのか、分からない
・・・恐らく自分が選んでした行為ではない
だろうと思う・・・そう思いたい(笑)



知らせを受けた兄弟たちのうち、
次男カムヤイミミの命と
三男カムヌナカワミミの命は、先手を打ち、
逆にタギシミミの命の殺害を企てた。



スキを狙って襲い、次男のカムヤイミミの
命が、武器を手にして、タギシミミを
殺そうとするが、体が震えて、とても
殺せるような状態ではなかった。



一刻の猶予もない情況である。
そこで三男のカムヌナカワミミの命が、
兄の武器を取り、タギシミミの命を見事、
殺したのである。



次男のカムヤイミミの命は、自分が果たせ
なかったことを、果たした弟に、父のあとを
継いで天下を治めるように、言った。



そして自分は、祭事を司る忌人として、
補佐する立場になることを、約束した。



このタケヌカワミミの命が、
第2代綏靖(すいぜい)天皇である。
・・・つづく



=次回予告=

「第15話  祟りを恐れた祟神天皇」

今回の話の中でも、オオモノヌシが登場
したが、次回はこのオオモノヌシ
(オオクニヌシ)に関係するお話しです。
本文にも記載しました疑問についても、
少し考えたいと思います。お楽しみに~




~マメ知識~ 欠史8代の謎

初代神武天皇については、どのようにして
生まれて、どのように生きて、そして最期を
迎えるまで、細かく詳細が綴られているが、
「古事記」では2代綏靖(すいぜい)天皇
から9代開化(かいか)天皇に到るまでは、
系譜のみで、楽しい物語は、ほとんど記され
ていない。



そのため、この8代はタイトルのとおり、
欠史8代と呼ばれており、実在性が
疑われている。



もともと、古事記を編纂するときに、参考と
する資料というものはあった。それが本辞と
帝紀である。



本辞は伝説や歌謡などの逸話が記載されて
おり、帝紀は、天皇の系譜を記してあった
らしい。



この欠史8代は帝紀のみといえるだろう。


つまり名前だけの記載であって、2代から
9代までは、存在したか分からない、
現在の歴史学においては、存在しなかった
という見方が、有力である。



ではなぜ、実在しない天皇の記録を
残したのだろうか?



これについては、天皇家の歴史を長くする
ことで、より権威が高まると考えられたと
思われる。



歴史を長くするために、昔の天皇の年齢は
みな、長寿になってしまった。



初代神武天皇が137歳、6代考安天皇123歳、
7代の考霊天皇106歳といった具合である
(笑)



つまり、天皇家の歴史を長くするために、
無理して作った結果だと、考えられている
のだ。


だが、実在説もあって、それが天皇の宮
と陵の多くが、葛城地方に集中している
ことから、この地域を中心に、葛城王朝が
あったとする説である。



初代神武天皇から9代開化天皇までの王朝は
大和政権以前の勢力で、古墳時代の幕開け
とともに、10代崇神天皇の勢力によって
滅ぼされたという説を、提唱している
歴史学者もいる。



そうなると、天皇家は、万世一系では
なくなってしまうが、どちらが正しいのか
・・・古事記は何も語ってはくれず、
多くの謎を秘めている。



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