配信日時 2021/03/11 09:36

10年目の311

松原です。

今日はメルマガ書くか、迷ったんですけどね。

書いたものの、
送信するか迷ったんですが、ま、送ります。

10年経つんで、
区切りかな。


もう10年が経つんですね・・・

数年ぐらい経ったのは分かるんだけど
どう考えても10年も建ってるとは思えないんですよね。

時間って怖いですねぇ。


自分に何も影響が無かった人にとって
この311って単なる歴史上の出来事ですよね。

そう、ワシもそうなんです。

ぶっちゃけて言うと
遙か遠くの東北で起きた震災であり
被災した知人に物資を送るぐらいはしたけれども、
知った人が亡くなったわけではないし、
ほんと、単なるニュース、単なる昔話、って感じ。

1月の阪神大震災なんかもそうです、
もっと言えば戦争なんかもそうですね。


大変な事が起きたんだなぁ、とは思ったけど
別に誰を可哀想と思うわけでもないし、
どこまで行っても「ワシには関係の無い話」です。

ただ、大半の読者さんはご存知でしょうが
ワシ、あの日が娘の葬式だったんですよね。

亡くなったのは7日だったんですが
焼き場の都合で11日に葬式を出したんです。

だから、ほんと311なんて単なる人ごとなんだけど
偶然同じ日だったから、どうしてもあの震災を思い出すというか
実際には、毎年この日は震災の話が出て来るから
娘の事を思い出してしまう、というか。


覚えてます?

あの日、葬式を午前中に終えた後、
ワシ、帰って支度して大阪へ出張に行ったんですね。

ほんと、今でも思います、
あの時、出張が入っていて良かった。

仕事のおかげで少しでも気が紛れたし
あんな女房をそばで見ているのも辛かったんで。

自分で酷い人間だと思いますが、
ワシは、仕事を放棄しない、という言い訳を使って
目の前の辛さから逃げました。

一人になった女房はさぞ辛かっただろうに。

事情を話せば
誰もが「仕事なんていいから休んで下さい」って言っただろうけど
娘が亡くなった事は誰にも言わず仕事に向かいました。

とにかく現実から逃げたかったので。


そして、新幹線に乗ろうと思って広島駅へ行ったら
何やら、地震の影響でダイヤが乱れています、と。

やべぇ、待ち合わせに間に合うかな・・・

とか思いながら
何とか間に合う便に乗る事が出来たんですが
この時点ではまだ東北の様子なんて何も分かりませんでした。


そして大阪に着き、待ち合わせのホテルの部屋に入りました。

翌日のミーティング用に
難波のスイスホテルでスイートルームを借りてたんです。

そこでみんなが見ていたTVのニュースで
津波で大変な事になってる事をようやく知りました。

ほぼ全部を昨日の事のように思い出せます。

なのに10年も経ってるんですよね。

時間って何なんでしょうね。


ワシは、
恐らく人間的な優しさとか感情が欠けてる人間で、
例えば、親の命日さえ覚えていません。

日付どころか何年前の事なのかもよく分からないです。

娘の命日だって、
たまたま311だったから
毎年嫌でも思い出してしまうけれども
ハッキリ言って忘れたいです。

もしこれが311じゃなかったら
恐らく忘れてしまっています。


もう女房も全然立ち直ってはいるけど
ワシはほんとこの日が嫌いです。

毎年女房が、もう●年になるね・・・
って言い始めてから、ああそうか、と思い出す自分も嫌です。

よくも自分の娘の命日を忘れられるもんだなと。

そして、
そうか311だもんな、という事で
これがニュースとして扱われる限り
ワシは延々とこの気分を味わうんだろうと思います。


あの日、原因は違うけど
もの凄い数の子供が死んでるわけですよね。

親だけ生き残っちゃったなんて人だって
何百人とか、何千人っているんだと思います。

あの人達も
絶対に10年とか経ってないですよね。

ワシなんかよりも遙かに、
昨日の事のように、だと思います。


親が亡くなって
小さい子供が生き残る事も悲惨だけど
親だけ生き残る事に比べたら遙かにマシだと思います。

子供は絶対に親より先に死んではならんのです。


何事も過ぎれば一瞬だとは思うけど
本当に、こんなに一瞬に過ぎる時間もあるんだなと。

もう3年経つのか、
5年なんて嘘みたいだな、とか言いながら
今度はとうとう10年経っちゃった。


そんな事を考えてたら、
ちょっと前に、息子がワシのスマホの中の写真を見ていて
偶然、自分が産まれた瞬間の動画を見つけたんですね。

まさに、お腹から出て来て、
オギャーと産声を上げる様子の動画です。

誰この赤ちゃん?

おお、懐かしい!お前じゃ!
これ、お前が産まれた瞬間じゃわ!

って言いながらその動画を何度も再生してたんですが
産み出た瞬間の息子を見て女房が言ってるのは、
「生きとる!生きとるね!」という泣きながらの言葉なんですよ。

なんて幸せな瞬間のはずなのに、
辛い言葉です。

他人が聞けばなんて事のない言葉かも知れないけど
ワシはあの動画を見るのが今でも辛いです。

お腹の中で10ヶ月間育てる間、
どれだけ不安だったんだろうかと思いました。

聞きたくないし本人も何も言った事はないけど、
生まれるその瞬間まで
「もしこの子まで死んだら・・・」
とばかり考えていたはずです。

ワシもそうでした。


ほんと、あの瞬間の表情さえ覚えてます。

娘が亡くなった後、
再び妊娠が分かった事を報告して来たあの女房の顔を。

ワシも女房も全然嬉しい顔なんて出来なかったんですよ。

ただただ、
無事に産まれてほしい、産まれてくれるんだろうか、
そんな心配ばかりで、全く、喜びなんて感じませんでした。

そしてそれが10ヶ月続いたわけです。


多分あの時、息子が生まれた喜びというよりも
死んでない、良かった、それだけだったんだろうと思います。

ワシもそうでした。


息子が将来、
どんな人間になろうと、何があろうと、
そんなのどうでも良いです。

今、ややこしい病気と戦っておりますが
こんなもん、屁でもないです。

生きてるんだから。

ほんと、それだけで十分なんです。

無事に生まれて、
この年齢まで元気で、ワシと女房を
いっちょ前の親にしてくれただけで
もうこれ以上望む事なんて何も無いです。


土曜日に墓参りに行って来たんですが、
女房が言ってました。

なつとが直後に生まれたくれたから
10年があっという間に過ぎたけど
もしなつとが生まれて来なかったら
私はまともな生活が出来てたかな・・・

って。

そして、そのお墓は災害で流されたままで
ただの地べたに線香を置いてお参りしたわけで
これも、娘と女房に申し訳無いな、と。


ワシは、息子が学校へ出かける時、
習い事に出かける時、公園へ遊びに出かける時、
常に、こいつを見るのはこれが最後かも知れない、
と思って送り出してます。

そんな事考えても仕方無いし
不吉な事を考えちゃいけないんだけど、
こいつが産まれから8年間、
毎日毎日「もしこいつまで死んだら・・・」って
どうしても考えちゃうんですよね。

逆に、息子が帰って来るまでに自分が死ぬかも知れないし。


そして、それって
もの凄く低い確率だとしても
決してゼロではないんです。

10年前の今日、
その、まさかのまさかが、ワシには一度訪れたんですから。

東北でも、
一気に、何万とか何十万人もの人に訪れたんですから。


ワシがいつも、
早く死にたいって言ってるのは
これも1つの理由なんですよ。

絶対にワシが先に死ななければならんのです。

間違っても、
また先に子供が亡くなるなんて目に遭いたくないし
ワシは大丈夫でも女房が無理だと思うし
そんな女房を見るのがワシには無理です。

二度とゴメンです。

だからワシは早く死にたいんです。


こんな日に、
人が死ぬ話なんかしちゃダメだと思うけど
でもワシは、みんな死生観を持たずに生活しているから
人生が豊かにならないんだと思ってるんですよね。

ワシは、若い頃に苦労出来た事も原因だろうけど、
でも「明日死んでも良い」「明日家族が死ぬかも」
と思えている事が、日々幸せに生きられている理由だと思います。

明日自分が死ぬなら
誰だって奥さんとキスをして、感謝を伝え、
子供を目一杯抱きしめるはずなんです。

無念だけど
この人達のおかげで
なんと幸せな人生だっただろうか、と
最後の一日を過ごせると思うんですね。

ワシはそうして、
毎日、幸せな最後の一日を繰り返しているわけです。


お金だって
考え方が丸っきり変わるはずです。

自分は死ぬ、自分の周りの人だって死ぬ、
しかもそれはそう遠くないかもしれない、
ひょっとしたら明日かもしれない、って思ったら、
全ての判断基準が変わると思うんですよ。

お金が稼げないだの
なんとなくお金がほしいだの、贅沢したいだの、
漠然とした不安だの、そんなの全部消えますよね。


もしこの家族の中の誰かが明日死ぬとしたら?

細かい事に腹なんか立ちゃしませんよね?

もしせめて1年ぐらい生きられるなら?

何をしておかなければならないか、
何をしておきたいと思うか、
それは人それぞれだと思うけど
間違い無くその準備を始めるはずなんです。


たまたま病気になって
余命宣告を受けて死期を知る事が出来る人がいますが、
みんな自分が知らないとか考えていないだけで
間違い無く、そう遠くない日に全員が死ぬんですよ。

命として生きているとしても
社会生活の維持が出来なくなる日は
そんなに遠くはないはずです。

それはある意味で死と言っても良いですよね。

そこを含めると
これは、もの凄い確率で、
明日にでも起こるかも知れません。

自分ではなく、家族かも知れません。


人間の寿命って
そんなに大きな差が無く、ほぼ決まっていますよね。

長くても大体100歳ぐらいでは死ぬわけです。

終わりが決まってるんだから、
1日過ぎるごとに
どんどん死ぬ確率が上がっているわけでしょ。

今日よりも、
明日の方が死ぬ確率が100%高いんです。

だから、明日も元気に!
なんて、呑気な事言ってる場合じゃないんですよ。

明日こそ死ぬかも!
っていう確率が毎日毎日上がるだけで
確実に、どんどん死に向かってるわけですよ。


うちのメルマガ読者さんの年齢層や人数を考えると
311でご本人や家族などが被災したり
亡くなった方だっておられると思います。

他人に言われるような事じゃないと思いますが
お互い頑張りましょうね。

人生って大変ですが、
ま、ワシらもどうせそのうち死ぬんだと思えば、
先に死んだ人達を思えば、絶好調に楽しんで
満足して死ななきゃならんと思いますよ。

悲しんで生きても誰も喜びやしませんもんね。

苦しいとか、しんどいとか
そんな事を言ったり感じながら生きる必要無いでしょ。

そんな物からはサッサと離れて、
ただひたすらに幸せな人生をまっとうしないと。


ワシらは、目一杯楽しんで、
思い残す事無く、満足して、
笑いながら死ななければならない。

それが義務だと思います。


みんな思うんでしょうし
そりゃワシも思いますよ、
あの日、変われるんだったらワシが代わりに死にたかったです。

その場で比べたら、
自分の命なんか屁でもないですよね。


ただ、でも思うんです。

もし娘が生きていて
あの時ワシが代わりに死んでたら
女房は一体どれほどの苦労をしたんだろうか。

命を天秤になんてかけられないけど
もし女房に、今からどっちか選べたらどっちを選ぶ?
って聞いたら、どうなんだろうかとか。

とにかく、命の事を考えると
答えなんかあるはずがなくて、
考え方によっては人間として恥ずかしい思考さえよぎる事もある。

嫌だ、考えたくないですね。

だからもう誰かが先に死ぬのとか嫌だし
なのでワシは本気でサッサと死にたいんです。

それが本音です。


ワシは本当に運が良くて、
もう十分に、とびきり幸せな人生を歩ませてもらったと思ってます。

これは、全く冗談ではなくて
今、本当に人生で最高に幸せで、
もし今死ぬ事になったら、なんて恵まれた人生だったかと
ニコニコしながら死ねる自信があります。

そして、運も良かったけれども、
自分で自分の人生を幸せな物にして来たという自負もあります。

自分は、せめてこれだけの事を出来たら、
満足して死ぬ事が出来るだろう、という物が見つかり、
ほぼそれを叶えたと言えるぐらいの所まで頑張って来ましたから。

正直、
メチャクチャ勇気が必要だった瞬間もあります。

でも自分にはそれ以外に取れる方法が無い、と思えば
怖いけどやるしかありませんでした。

そういう意味で
たくさんの選択肢を持てないという
頭の悪さ、環境の悪さも運が良かったのかも知れませんね。



いつも家族に怒られるんですよ。

ワシは何でもかんでも、
「もしワシが死んだ時には、これは・・・」
という説明をしますから。

母親なんて
「死ぬ話なんてやめなさい!」って怒るんだけど
ワシはいつも冗談で言うんです。

ママ、残念ながらあなたは
確実にワシよりも長生きするだろうから
自分の子供が先に死ぬ事は諦めて下さい、と。

ご存知、うちの母の家系は
祖父側も祖母側も恐ろしく長寿の家計なので
うちの母親がせめて100歳まで生きるとすれば
まだ今から25年以上あるわけですね。

そう考えると、
ワシは25年も生きられるはずがないなと。

逆にうちは父方はもの凄く短命で
お爺ちゃんが一人80代まで生きていましたが
それ以外はみんな早く死んでいます。

そしてワシは
あらゆる状況から
どうみても父方の血を引いているわけです。

だからワシは
基本的には自分が47歳で死ぬだろうと思っていた、
だから不動産をこのペースでこの規模にして来たんだ、
って言って来ましたよね。


あなたはどんな人生を歩んで
どんな死に方をしたいですか。

もし漠然としか考えた事がなければ
ぜひこれを機会に、理想の死を考えて、
出来れば家族と共有してみて下さい。

もしかしたらそれだけで
ワシみたいに、明日から人生バラ色になるかも知れません。


ワシはあの日に娘が亡くなった事に
何か意味があるだとか、
そんな綺麗事に興味はありませんが、
しかしワシにとって大きな意味はありました。

じゃなかったらワシ、
不動産なんて買ってないだろうし
死ぬ準備もしなかったと思いますからね。

自分の子供を一人失って
ようやく人生を真剣に考えられたんですから
とんでもない馬鹿野郎だとは思います。

ただ、死ぬまで何も準備しない、
突然死んで家族に迷惑をかけるような人間と比べれば
まだマシかな、とは思いますね。

ワシの原動力のもう1つが
父親の急逝にある事も今さら言う事でもないと思います。

ワシは
「死ぬ準備を行う事こそが何よりも家族の事を考えた行動である」
という事を体験から学んだんです。


まぁね、
こんなの、運良く不幸な目に遭わなきゃ、
いくら人から言われたって理解できるわけないですよね。

ま、分かります、ワシもそうだったから。


ただ、とにかく、
あなたもワシも、
明日生きてるとは言えないんですよ。

死は、地震とか災害とは違って
いつか「来るかも知れない」のではなくて、
そう遠くないうちに「必ず訪れる」という事を
真剣に考えてみて下さい。

お金の問題だって
死ぬ事から逆算したら簡単に解決するはずです。


ワシはお金のせいで死のうとした事までありますから
金の方が先だ、っていう状況の人も理解出来ますけどね。

ただ、そういう時には
逆に、お金の問題が解決しない事もよく知ってます。

人生、どうにもならん時もある、ってのは分かります。

でも、投げやりになったら終わりです、
どうにもならんけど、
でも今出来る目一杯をただやり続けるしかありません。

ワシから見たら
人生を投げている人が多いように感じます。


ワシはある時から
「どうやったら幸せに生きられるのか」と思ったし、
そもそも「自分は何を幸せと感じるんだろうか?」って考えたんですよ。

自分で知らなかったんです。

自分は何が好きで、何が楽しくて、
どうやったら幸せになれるのかを。

それを真剣に考えたら、
自分は贅沢とか求めていなくて
他人からの承認も必要としないんだと分かったんです。

酷く貧乏した経験があるから
贅沢したいと思った事だって当然あるし
他人から羨ましがられる人生にだって憧れてた時もあります。

ただ、もしそれが叶ったら?って考えたら
そんなの一瞬で飽きるな、って思いました。

そしたら、
働くとか稼ぐ事に対してとても楽になりましたね。

また、そこから
自然と無駄使いをしなくなりました。


逆に、
もし実は贅沢を求めているのに
それを抑えつけて忘れてしまっているなら
それは不幸な事だと思います。

大事なのは「自分が幸せか」だと思うんですね。

そしてその基準を
死から考えると、上っ面ではなくて
心の底からの幸せが見つかると思うんですよ。


ワシは、
幸せに生きる、満足して死ぬ、ってのは義務だと思ってます。

そのためには頑張らなきゃならんとも思ってます。

まぁ、自己啓発的な言い方をすれば
幸せなんて、なる物じゃなくて気付く物、みたいな話がありますが
人生、そんな簡単な物じゃありませんよね。

ワシはそういうのには一切興味無いです。

それでみんな幸せになれるんだったら世話ないでしょ。

今のまま幸せになれる人なんて稀で、
ほとんどの人は努力が必要だと思うんですよね。

しかも、結構な努力が必要だと思います。

ただ、心の底からの幸せのためだったら
その努力って大した事では無くなると思うんですよね。

焦る事も無いでしょうし。


ワシら、どうせ死ぬんですよ。

そう思ったら
人生、なんか楽勝になりませんかね。

ワシは、楽勝になっちゃいましたね。


あなたの人生も最高の最後を迎えますように。

それが突然訪れても
しっかり準備が出来ていますように。


お互い、
また今日を最後の一日だと思って頑張りましょう。

残りの人生、
死ぬほど楽しんでやりましょう。

まず、今日、腹の底から笑ってスタートしましょう。


では。



◇ 追伸

ワシはよく
仕事なんかやめれば良いじゃん?
安い家に引っ越せば良いじゃん?
なんて事を気軽に言いますよね。

ただ、実際には
ほとんどの人にとって
それらは恐ろしくハードルの高い作業で
もちろんそんなの分かってます。

でも、今日の本文で書いたような事を
真剣に考えれば、嫌な仕事をやめるとか
収入に合わせて家を引っ越して質素な生活をするとか
「全然大した事じゃない」はずです。

そして、それが問題になるのは
奥さんだとか家族と
人生についての話が足りない事が原因じゃないでしょうか。

ワシは常に女房に言ってますよ。

「またいつボロ家で生活したり、
お前を働かせる事になるかも分からない」
って。

なので、もしワシは仕事が上手く行かなくなったり
何かの事情で不動産収入も減るような事があれば
躊躇無く、ボロ家に引っ越し、
近所のホームセンターの園芸コーナーでバイトをします。

そして、ワシはそんな生活になっても
今と変わらず絶好調に幸せに生きられるわけです。

稼げなくなっちゃって
こんな生活になっちゃいましたー、って
笑いながらメルマガに書いてるだろうと思いますね。

本当に、家賃の高い家に住まなければならない、
そうでなければ幸せではなくなる、という事なら
歯を食いしばって維持すれば良いと思いますが、
そんな人、いますかね・・・

こうでなければ自分は幸せではない、って
思い込んでるだけだったりしないんでしょうか。

ワシ、そういう「幸せそうにしてる人」って
不幸な人だと感じますけどね。

10年前の3月11日、
望まず、選択もしないのに
仕事や家や家族を奪われた人がいるわけですよ。

あなたはせめて自分で色々と選べますよね?
なのになぜ選ばないのか。

あと、離婚を我慢してる女性とかもそうです。

昔なら我慢する必要があったでしょうが、
今の時代、微塵も我慢する必要なんてないんですから
直ちに離婚した方が良いと思いますよ。

子供のため、というならば
なおさら、明日にでも離婚すべきでしょ?

怖いのは分かるし不安も大きいだろうけど
「自分が幸せか」という基準を外さなければ
離婚が正しいと判断出来るはずです。

ワシは小学生の頃に親が離婚して
母親に育てられましたが、経験から言えます、
母親がいれば父親なんかいなくて大丈夫です。

問題はお金だけで、
それ以外の理由で父親とかいなくて大丈夫です。

お金が足り無いなら
バイト出来る年齢になったら働かせれば良いし
働けない年齢でも今はネットがあるので
ブログ書くとかメルカリ使って転売とかハンドメイド販売とか
子供でも金を稼ぐ手段を持てます。

山とか川で拾って来た物だって売れるわけだから。

子供にそんな事をさせるのは可哀想ですか?
むしろ、そんな貴重な経験を子供の頃からさせてくれた、と、
大人になって感謝してくれますよ。

というか、どれだけ貧乏だったり我慢が必要でも
それでも笑って過ごせる人間に育てりゃ良いですよね。

昔はみんなどえらい貧乏だったけど
みんな笑って生きてたわけですよ。

それが笑えなくなったのは
単に周りの家庭と比べるからであって
幸せや笑いの基準をそこに持って行っちゃダメだと思うんですよね。

ゴメンでうちは貧乏で・・・
って育てたらそりゃ子供は負担に感じますよ。

それを当たり前だとして育てて
お母さんがいつも笑ってりゃ、
子供は貧乏を悪い事だとは思わないですよ。

貧乏でゴメンね・・・って育てられた子は
「貧乏人!」っていじめられたら凹むに決まってるじゃないですか。

で、それを見て親が凹んでるなんて
マッチポンプみたいなもんだと思いますね。

で、離婚せずに旦那がいたからって
どうせ大した給料とか生活費じゃないでしょ?

我々はネットビジネスがあるんだから
パートしながらでも、ネットでたかが10〜20万余計に稼げば、
むしろ、旦那なんかいない方が生活が楽かも知れないですよ。

子供のために父親が必要だと思い込んでるだけだったりとか
それを、離婚出来ない自分の言い訳にしてるだけです。

いらんって、父親なんて。マジで。

そりゃ、いた方が良い事もあるけど
いなくて困る事なんて無いんで。

昔は困ったかも知れないけど
今の時代、父親に大した役割無いでしょ。

父親がいなくても
必要な事は父親以外からでも学べます。

今時、離婚して片親でも
世間で後ろ指差される事も無いじゃないですか。

子供のためを思うならば
「自分が幸せに生きている事」こそが
何よりも子供のためだと理解して下さい。

子供のために我慢するなんてのは
子供にとっては迷惑、最悪な話です。

ボロ家に引っ越して
貧しい生活をする事になっても
母親がいつもニコニコしている事ほど
大事な事ってありません。

母親が笑えてないってのは
どんな事よりもマズイ状況だと思います。


◇ 追伸2

私があちこちで使ってるプロフの写真。

あの写真、
良い顔してますよねー、ってよく言われます。

そうだろうね、
あれ、娘が生まれる予定日の1週間前に
友人のカメラマンに女房と一緒に撮ってもらった
マタニティフォトから切り取った顔だから。

人生、一瞬先は闇、とはよく言ったもんだと思います。

ただね。
今は思います。

人生、一瞬先に天国が待ってる事もある。

ていうか絶対待ってる。

だから、
絶対に諦めちゃダメ。

あと一歩、あとほんの一歩だけ先かも知れないのに
簡単に諦める人が多過ぎると思います。

人生で歩める距離って決まってるんですから
何度も方向を変えてたら
どこにも辿り着けずに終わっちゃいますよ。

もし辿り着けないのだとしても
決めたらそこを進み続けるしかない、
っていう勇気、諦めって大事だと思います。

ワシも、何度ダメだと思ったか・・・

もしあの時、
我慢出来ずに方向を変えてしまっていたら・・・


◇ 追伸3

このコロナ騒動もそうだろうけど、
みんな「まさかこんな事が」って言うでしょ。

でも、これまでの人生にも
「まさかこんな事」って山ほど起きてるじゃないですか。

で、今からまだ死ぬまでにも
何回だって、もっと想像も付かないとか
もっと酷い「まさかこんな事」が起こるわけですよね。

もうこれが最後で、
あと1回もそれが起こらない人なんていないでしょ。

なんだけど、
誰もその準備をせず
何かが起きてから慌てますよね。

今日なんて良い教訓の日だと思うんですが
これを機に、防災バックを買うとかじゃないですよ?

もし自分にそんな事が起きた時、
家や仕事を失ったとしても
しばらく生活を維持出来るだけの何か、
こそ準備すべき物ですよね。

防災バックがあっても
お父ちゃんが仕事失ったら終わりですからね・・・

逆に、防災バッグ無くても死にさえしなけりゃ、
仕事とか貯蓄を失わなければ
場所が変わっても生活はすぐ立て直せますよね。

みんな、基本的に
「何も起きない事を前提」で生活してますよね。

ワシ、そんな勇気は無いですよ・・・

よくもそんな
自分や家族の命や生活を
運任せに出来るなと思います。

例えば、
例のパン屋の友人。

夫婦二人で店をやってるけど
奥さんはパンを焼けないんですね。

これ、旦那が死んだら店終わるよね?

借金がゼロでも大変な事になるし
借金が少しでもあったら家族の人生壊れますよね。

ワシだったら、
女房もパン焼けるようにするか
自分が死んでもパンを焼き続けられる人間を雇います。

普通そうじゃないです?

そう考えたら、
ほんと、みんな「死ぬまで何も起こらない事が前提」
だと思いません?

ワシ、まだそんな余裕が無いから無理だけど、
最後は、金とか宝石とか持とうと思ってるんですよ。

贅沢のためじゃなくて、
もし急に日本を飛び出なきゃならん事があった時、
肌身に着けて逃げられる物があると安心ですよね。

馬鹿じゃないの?って言われるんだけど
ワシは逆に、たった70年前に凄い戦争してたってのに、
なんでこの先、ずっと平和だと思えるのかが不思議です。

今回のコロナの件でも分かりましたよね。

メディアがその気になったら
もう1回戦争を起こせるだろうな、って思いました。

戦争じゃなくたって
この国に住めなくなる事が起きるかも知れない、
恐ろしく低い確率だけど、絶対無いとは思えない。

優先順位は低いけど、
準備出来る時が来たらしておこう、って本当に思ってます。

で、もし金銀財宝を持って、
それで何も無ければそれはラッキーに変わりますよね。

おしゃれで身に付けてても良いんだし。

自分が死んでも家族が助かります。

まず小さい事からで良いから
ちゃんと準備を始めた方が良いと思います。



発行者:株式会社Bind 松原智彦
連絡先:mag@bind-office.com
発行元:広島県安芸郡府中町浜田2丁目17番7号2F
ブログ:http://matsubaratomohiko.com/

購読解除・メールアドレス変更
http://bind-office.com/ra/s/mainout

………………………………………………………………………………
このメルマガの購読料は任意でお支払い頂けます。
投げ銭:http://bind-office.com/mailmagazine/tipping/
………………………………………………………………………………