配信日時 2024/08/06 12:53

平和宣言2024年(令和6年)

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松原です。

ワシがこのメルマガを書き始めてから
18回目の8月6日がやってまいりました。

79年前の8月6日と同様、
本日の広島は晴天。

義母は広島市内から離れた島におり
空から落ちて来る
「リトルボーイ」を見たそうです。

8時15分、
広島は「ヒロシマ」になりました。


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■平和宣言 令和6年(2024年)
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皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。

また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。

ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、
罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。

こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、
国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。

こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。

平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、
これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、
広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。

戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。

この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。

また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。

「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」

これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。

1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。

かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、
核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、
レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。

このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。

皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、
希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。

争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、
日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。

そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。

こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。

特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、
幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、
共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。

広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、
市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。

昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。

これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。

世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。

そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。

NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。

同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。

さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。

また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、
被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。

令和6年(2024年)8月6日

広島市長 松井 一實


広島市HP 平和宣言より引用:
https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/heiwasengen/


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■命を思う一日
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普段はダラしない生活をしているワシも
さすがに1年に数回こころを引き締める日があります。

父親が亡くなった日、
娘が亡くなった日、
息子が生まれた日、
そして8月6日。

命を思う一日であります。


ワシは広島市内の被爆地域で生まれ育ったので
小さな頃から平和教育を多く受けて来たと思います。

身内にも被爆者がいる事から
とても「歴史の中の話」とは思えません。


毎年思うんですね、
戦って亡くなった先輩達が
もし今の日本を見たらどう思うんだろう?
って。

もっと真剣に生きろよ!と
お叱りになる先輩もあるかもしれませんが
大半の先輩は「人生を楽しめ!」と
言って下さっていると思います。

何でも出来るじゃないか!
もっとやりたい事をやれよ!

って絶対に言ってると思います。


どうしたんだ?みんな?
なんでそんなに不自由な人生を送ってる?

死ぬ心配は無いんだろう?
殺される心配は無いんだろう?

なんでもっと人生を楽しまないんだ?
何を恐れて生きてるんだ?

って絶対に言うと思うんですよ。


戦争関連の施設に行った事がありますか?

靖国神社、知覧特攻平和会館、
広島および長崎の原爆資料館などなど。

あれらに行くと
今の自分の悩みなんて
馬鹿らしくなりますよね。


命を賭して繋いでもらった自分の命を
粗末に使っていないですか?

別に志し高く生きる必要もないと思うし
ワシだって若い頃から志など持っていません。

でも
「楽しく生きなければ先輩方に申し訳ない」
「やりたい事が出来るならやらなければ」
と思っています。

お金が・・・世の中が・・・

そんな心配ばかりして
「自分の人生を楽しむ」
という事を考えられていなかったりしませんか。

命って何でしょう?

我々は一人の例外も無く、
長くてもあと数十年で死んでしまいます。

ワシはある時に思ったんですね。

楽しく生きて行く事も大事だし、
人生を終える時も楽しくありたい。

多少の我慢や辛抱が必要なのは仕方ないけど
人生全体を楽しむ事だけは忘れないようにしよう。

そして人生の後半に向けて
どんどん良い生き方を出来るようになって
最後は幸せに包まれて死ぬぞ、って決めたんです。


その結果、ワシは現時点ですでに
もし明日死ぬとしても満足です。

後悔は何一つありません。

明日死ぬのは極端だとしても
でも誰にだってその可能性はあるわけです。

そしてそれが1年後だとしたら
死んでしまっている可能性は相当上がります。

10年後ともなると
ワシぐらいの年齢になると
生きていると思わない方が良いだろうし
まして健康でいられる可能性はかなり低い。

すると、もし10年使えるのだとしても。

今からのあとたった10年を
あなたは何をして過ごしますか?

もし本当に人生の終わりが決まったとしたら
誰と何をして過ごしますか?

毎日ではないし
常にそんなに真剣ではないにせよ
ワシはそう思ってこの10年ほどを過ごして来ました。


ワシの人生は死を意識してから変わりました。

40歳のあの時、死を意識したというか
47歳で死ぬだろうと覚悟をしたという感じです。

だから人生でやるべき事は
47歳までに全て済ませました。

運良く47歳では死ななかったので
もうワシの人生はボーナスタイムです。

亡くなった先輩達にあの世でお礼を言えるように
存分に楽しんで生きて行こうと思っています。


死を「いつか」の話にしない事だと思います。

どうせ明日も元気、
どうせ1年後も元気。

どうせ3年後も家族で楽しく過ごせている。

そう考えると
頑張る必要が無くなってしまいますよね。


ネット副業なんてまさにそうでしょう?

こんなもの
真剣にやって稼げないわけがない。

遊び半分でやっているから
勉強も実践も真剣ではなく
だから簡単に諦めてしまう。

命がかかったらどうですか?

というか
生まれたその瞬間から
ただの1日の例外もなく
毎日命がかかっているわけじゃないですか。

その大事な一日、数ヶ月、数年間を
稼げもしないどころか色んな物を失ってまで
ネットの副業なんてやる価値があるんでしょうか?

それって自分の人生を粗末にしていないでしょうか。


お金は命ではないですよね。

時間こそが命じゃないですか。

みんなお金ばっかり大事にして
命そのものである時間を粗末にしていないでしょうか。


死ぬ事に比べたら全て些細な事。

死ぬ心配以外の事を
心配して生きるのは馬鹿らしい。

心配をする時間があったら
楽しい計画を考えて過ごしたい。

嫌な人間と過ごしたり
したくもない仕事をするなんて
自分の人生を粗末にしてしまっている。

命を大事に、というのは
自分の人生をどれだけ楽しめるかだ。

それはきっと
亡くなった先輩達も望んでいて
喜んでくれる事だろう。

まだまだ楽しみなんていくらでもある、
死ぬまでに全ては出来ないだろうけど
やりたい順に片っ端からやっつけて行くぞ。

と思ってワシは今日も過ごします。


79年前の今頃はそこら中に、
焦げて炭になった人や
内臓が飛び出したまま歩いてる人や、
身体中にガラスの破片が刺さった人や、
身体の一部が千切れた人だらけだったんですよ。

この先60年は
草木も生えないだろうと言われて
本当の焼け野原になったんです。

川は
火傷の熱さと喉の渇きで飛び込んだ人達で
水面が見えないぐらい死体が浮いていたそうです。

想像も出来ないけれども
「それと比べたらな」
って思うんですよ。

広島だけじゃない、
日本中のあちこちがそんな状態でした。

3日後には長崎へ次の原爆
ファットマンが落ちるし
沖縄も今頃地獄絵図だったでしょう。

東京も3月には空襲だけで10万人も亡くなって
焦土と化していた。

ワシらの先輩は
そこから今のこの日本を作ったんですよ?

ワシらの今の生活の心配や不安なんて
「そんなの悩むレベル?」
って話じゃないですか。

もちろん比べられる物でもないけど
やっぱり死が目の前にあるか無いかで
人生って別の物になるだろうと思っています。


ワシらは全員死にますよ。

下手すると今日か明日にでも。

存分に楽しんで生きましょう。


感謝。
黙祷。


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■過去のメルマガより
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このメルマガは比較的新しい読者様も読まれていますので
過去に17回配信した8月6日のメルマガから
読者様から反響の大きかった物からいくつか転載致します。


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■2020年8月6日のメルマガより
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人間にとって
死以上の大きな出来事はありません。

自分の人生がだらしない物になってしまうのは
自分がいずれ死ぬという事を理解していないからでしょう。

人はいずれ死ぬ、
そんな事はもちろん誰でも知っているわけですが、
でも、ちゃんと想像している人などほぼいません。

人生に限りがあるという事、
そしてそれはほぼ間違い無く自分の意思とは別で訪れるという事。

しかし自分には
それをある程度コントロール出来るだけの自由があり、
望めばそれが手に入るだけの時間も恐らく残っている事。


そんな事を考えるのが私の8月6日です。


息子が先日まで1ヶ月以上入院していた話をしたと思いますが、
最初の2週間ぐらいは絶飲食だったんですね。

小学2年生の子供にとって
水も飲ませてもらえないというのは
どれほど辛かっただろうと思います。

そして少しずつ回復してからは
とにかく1日中「腹が減った腹が減った」
「ご飯が食べたいようご飯が食べたいよう・・・」
って泣くんです。

時期的に
「あぁ、もうすぐ8月6日が来るなぁ・・・」
と思ってましたので、息子の姿を見ながら、
戦中や戦後の子供達の事を想像していました。


腹を空かせた子供を見るのってこんなに辛いんだな・・・
と。

しかもあの頃なんて
健康なのに食べさせてやれない、
食べさせてやりたいのに食べる物が無い、
金があっても買う事さえ出来なかったわけですよね。


昔、小学生の頃に田舎へ遊びに行くと
ひい婆ちゃんが、とりあえず
「何か食うか?」「腹減っとらんか?」
って言ってたのを思い出します。

昔の年寄りってみんなそうでしたよね、
子供を見たら、とりあえず、
「腹減ってないか?」って聞いてましたよね。

戦後、
子供に十分食べさせてやれなかったとか、
自分が子供で腹を空かせてたからだと思いますよ。


お爺ちゃんもお婆ちゃんも
必ず「腹一杯食えよ、大きくなれよ」
って言いましたもんね。

「元気ならそれで十分」って言いましたよね。

腹一杯食えて、健康。

これだけが望みだった、
でもそんな事さえ望まなければ手に入らなかった。


あの時代の先輩達の事を
ほんの少しでも想像してみたいと思うわけです。

自分って怠け過ぎていないか?

夢ばっかり見て、
現実を生きてないんじゃないか?

出来るはずの事を
横着してやっていないんじゃないか?

人生が投げやりになっていないか?

って反省します。


歴史の中の話じゃないですよ、
私の世代だと親とか祖父母の話なんですから。

私の両親は22年生まれで戦後ですし、
祖父母は田舎の人間なので被爆していないですが
女房のお父さんは小学生の時に被爆しています。

全然、歴史の話ではないです、親の話です。


あの中を必死に生き延びて命を繋いで、
ズタボロになった日本をここまで復活させてくれたわけです。

広島の人間でもなければ
原爆についてそんなに詳しくもないでしょうが
広島で育つと、あの爆弾がどれほど恐ろしい物だったか
どれほど悲惨な結果をもたらしたのかは誰でも知ってます。

ほんとにそんな中で生き延びたんだ?

どうやって?
と思わされます。


先輩達は、何も無かったところから
こんな国を作れたわけじゃないですか。

命しか無い、
という所から。

それが今や、
何でもあるのにみんな何も出来ない、わけですよね。

私も含めてね。


どんな可能性だってあるのに
何にも挑戦しないですよね。


ネットビジネスに挑戦?

飯が食えて、健康で、時間もあるのに、
働けばお金がもらえる仕事もあるのに、働きもせず、
パソコンをカチャカチャやるだけで
大金を稼ぎたいなんて夢を見られるわけです。

しかし、夢を見るだけで本気では頑張らない。

幸せな事ですよね。

先輩達には
そんな夢を見られる可能性も無かったんですから。


先輩達が
そんな優雅な人生を見て、叱るでしょうか?

だらしない、なんて言うかな?

いや、
もっと真面目に生きなさい!
なんて言わないだろうと思いますよね。

良いじゃないか、
どんなにだらけていようと
家も食事も心配しなくて住むんだろ?

幸せじゃないか、それだけで良いじゃないか、
ってニコニコして言ってくれると思います。

稼げるとか稼げないなんてどうでも良いだろ、
と。


数年前に行った法事では
戦争を生き抜いたおばちゃん達が実際そう言ってました。

元気ならそれでええ!
と。


ただ、だったら本当にそれで良いのか?
と思います。

自分達は死なない、
殺される心配なんてない。

住むところも、仕事も、何だって選べる。

それを選ばないなんて
「もったいないよな?」
って私は思うわけです。

こんな人生を送りたいな、とか
こんな生活をしたいな、なんて物は
大概の事は本気で望めば手に入るわけですよね。

でも昔は
望んでも手に入らなかったわけですよ。


だから私は
存分に人生を楽しみたいんです。

望む物があれば頑張って手に入れたいんです。

そしてお墓に手を合わせて、
おかげ様でこんなに楽しい人生を送れています、
と感謝をするんです。

本当に、おかげ様なんです。


どう考えても
今ってメチャクチャ幸せな時代のはずなんですよね。

でも、選択肢も可能性も豊富過ぎて、
ある意味、昔の人より不幸な人って多くないですか?

見られる夢が多くて大きいからこそ
不幸な人って増えてる気もしますよね。

ネットビジネスもその1つでしょう。


私は常に、
「先輩達に申し訳無い」
と思って生きています。

こんなに自由で可能性があるのに
それを謳歌したり手にしないのはもったいない。

ネットビジネスで稼げるとか稼げないとか
そんなくだらない事で
大事な命と時間を消費してる場合じゃないと思います。

やるなら必死にやる。

そうじゃなければ
そんな無駄な事をやっていないで
もっと人生で大事な事をやるべきなんじゃないでしょうか。

どうせ稼げないんだったら
そんな事に時間を使うのって無駄ですよね。

人生で、あとほんの数時間、
家族や大事な人と楽しい時間を過ごす事が出来るというのに
それをパソコンの前で無駄に過ごすなんておかしいと思います。

逆に、
「それだけ貴重な時間を費やしている」のだと考えれば
絶対に、中途半端な事なんて出来るはずがありません。


75年前の今日、
昨日までと何も変わらない幸せな朝を迎えたのに
8時15分に空から降ってきた爆弾で
焼け死ぬどころか蒸発して消えてしまった人がいるわけです。

体中がガラスの破片で覆われたり
腹が割けて垂れ落ちた内臓を抱えたまま逃げたり、
皮膚が溶けてまるでゾンビのような姿になったり、
手足がもげて這い回る人や
人間なのか分からないほど黒焦げになった人がいたわけです。

さらに、その中を生き延びた人がいるわけです。


そう考えたら、
私達って「何でも出来る」って思います。

やらなきゃならんと思います。


あなたにも
そんな事を思う1日があるでしょうか?


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■2017年8月6日のメルマガより
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私は先月、沖縄の座間味島へ行って来ましたが
そこには「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩の地」
という碑が建っていました。

「ここか・・・」と鳥肌が立ちました。


日本中に、そんな場所、記念日がありますよね。

それが私や広島の人間にとっては8月6日ですが
あなたにも何かそういう記念日があるでしょうか。

戦争ではなくとも、阪神大震災や
東日本大震災、つい昨年の熊本など
命を思う1日というのがあるのではないでしょうか。


実は、私は昨日、
知人の告別式で鹿児島へ行って来ました。

この歳になると
毎年誰かを見送る事になり
自分自身も死に近づいている事を実感します。

また、私の場合、
40歳になってから息子が産まれていますので
こいつが成人するまで生きられるだろうか、
という不安があります。

自分が死ぬ事はどうでも良いのですが、
もしこいつが独り立ちする前に私が死んだら
残された家族はどうなるだろうか、と。



約70年前。

愛する家族、まだ見ぬ子孫のために
命を賭けて戦った人達のおかげで私達は生きています。

会社の仕事はしんどいかも知れません、
将来が不安かも知れません。

でも。

戦中の方達が聞いたら
ブラック企業?
その程度がどうした?と笑うでしょう。

食う飯があるんだろう?
明日死ぬ恐怖は無いんだろう?

愛する人も健康なんだろう?


それに比べたら
我々には何でも出来るチャンスがあるはずです。

もちろん、この平和な世の中ですので、
何もしないという自由も選べるわけです。

それに、別に亡くなった方達のために頑張るというのも
違うのかもしれません。

正直を言うと、私だって、
あの方達の分まで頑張ろうなんて思っていません。


ただ、
有り難い事は間違いありません。

感謝もしています。


たった1日さえ無駄にせず
必死に生き続けるという事は難しいでしょうが
せめて心にはとめておきたいものです。

戦争ではなくとも
人は死にます。

あっけなく死にます。

交通事故だったり病気だったり、
昨日まで元気だった人が、
自分の大事な人が突然消える事は珍しくありません。

歳を重ねるほど
そういう事が周りに増えて行くでしょうし
次は自分の番なんですよね。


たった1日だけで良いから、
それが別に今日でなくても構わないから
あなたの目の前にいる大事な人の顔を見て
「もしこの人が明日死んでしまったら」と
真剣に想像してみて下さい。

または、もし自分が明日死んだとしたら、と。

それは「確実にいつか来る日」なんですから。


それがもし、明日や明後日でなくとも、
1ヶ月先だと決まっていたらどうしますか。

あなたは何をして死にますか。

大切な人と何をして過ごして、
何を残して死にますか。

もし1年か2年の時間が残るなら
何をするでしょうか。


今の会社で働きながら死にますか。

アフィリエイトやネットビジネスは続けますか。

今、日々やっている事は
あなたと大事な人の命を賭けているのだという事です。

よく、命がけで頑張る、なんていう言葉がありますが、
人間、生きているだけで命がかかっているわけです。


死ぬ時、
ほとんどの人は、後悔ばかり残るでしょう。

でも、その後悔が少なくなる努力は出来るはずですし、
やっていない人がほとんどです。

不満のある日々も自分の選択です。

戦中、戦後の先輩達には
選択の余地もありませんでした。

死にに行け、とまで言われた人がいるわけです。


それに比べれば
我々の苦労なんて
自分の努力1つで簡単に抜けられるはずですよね。

たったの半年、たったの1年、
本気で、死ぬ気で頑張れば
人生なんていくらでも変えられるはずなのに
それを選ばないのは自分です。


一昨年、被爆した義父が亡くなりました。

昨年、義母と祖母が亡くなりました。

みんな、戦争を知っている人達ですが
子供に戦争の話をした事がありません。


真面目に生きなさい、
人に迷惑をかけてはいけません、
嘘をついてはいけません、
質素な生活をしなさい、
一所懸命働きなさい、
子供に教育を受けさせなさい。


我々世代なら
必ず祖父母から言われた言葉でしょう。

出来ていますか。

時代が違う、という人もいると思いますが、
それも良いと思います。

自分が信じるものがあり、
幸せに生きられるのなら。


そして、大事な事は
その自分の考え方や生き方というのは
自分の子供やその次の世代に受け継がれるという事です。

胸を張って生きて、
悔いなく死ねるように努力したいものですね。


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■2011年8月6日のメルマガより
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66年前の今日
たった一発の爆弾から
一瞬で10万人もの人間がこの世から消えました。

爆心地に近い人は「蒸発」して消え、
その強烈な閃光でその蒸発した人の「影」が
石段に残りました。

炭のように焦げ、皮膚が溶け、
飛んで来たガラスの破片が全身に突き刺さり、
内蔵が飛び出し、垂れ下がったまま、
自分が生きている事さえわからず「動いている人」が何万人も。

焼けた体がやがて意識無く水を求め
すぐそばにある元安川の水を飲み、飛び込み
そのまま川に流れて行きました。

浮いている人で水面が見えないほどだった、とも。

この川は定期的な調査が行われ
今でも川底から
その方達の遺骨が見つかる事があります。


「運悪く生き残った人」の方がもっと多かった。

誰もが殺してくれと頼んだそうです。
苦しみと生き残った罪悪感に呵まれながら。

ヤケドは治療するすべも無く
腐り、体からウジが湧く。

水をくれ・・・水・・・と言いながら
その水を含んだ途端
息絶える人が多かったそうです。

怪我無く無事だったとしても
辺りにはそんな人だらけで
それを見た子供の心は大丈夫だったでしょうか。


田舎に避難をしても当時は誰も知識を持っておらず
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から逃げた人達が隔離されたとも。

その新型爆弾が放射能爆弾である事も
放射能なんて物さえ当時の人は知りませんでした。


大昔の話ではありません。

私の義父は
その「ヒロシマ」に居たのですから。

見えた症状はなく、定年まで無事に勤めを果たし
70歳を超えた今でも生きていますが
原爆症と診断されており体はボロボロです。

公務員で定年を迎え、退職金で夢のマイホームを建て
ようやく奥さんと孫達との時間をゆっくり取れる時間が来た。

その途端、小さな病気での入院をキッカケに
芋づる式に病気が繋がり、一昨年とうとう、
施設で面倒を看てもらうまでになってしまいました。

この年齢にもなれば、原爆にあっておらずとも
そんな方達も大勢いらっしゃるでしょうが
やはり家族が思うのは「原爆にあっていなければ」という事でしょう。

運と言ってしまえばそれまで。
しかしそんな運があるのかと。


今の女房を嫁にもらうため
6年前お義父さんにご挨拶に言った時、お義父さんはすでに
家族以外には理解できない程度の会話しか出来ませんでした。

結婚に対しては特に何も仰いませんでしたが
1つだけ言われた事が

「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」

時代も違い、その今の教育がどうなのかとも思いますが、
そういう事ではなく、当時の世の中の状況、
ご自身が出来なかった夢を託されたのだと思いました。


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■2012年8月6日のメルマガより
………………………………………………………………

今年の8月6日は
これまで67年間の1日とは少し違います。

昨年の原発事故をきっかけに、放射能という物の恐ろしさを
久々に「体験として」日本人が知っているからです。

今はまだかろうじて、私達の世代がギリギリ
当時の先輩方から体験を直接聞く事が出来ていますが
あと10年もすれば話を聞ける機会もなくなります。

被爆者がどなたも亡くなるから。

私は原発に関しては肯定も否定もしません。
ただ、そこに「放射能」がある事を
「あの体験」した人達は無条件で否定するでしょう。

もし「あの光景」を見たならば
どれだけの安全対策を施してあろうが
それを受け入れられない気持ちは理解できます。

せめてその気持ちをくんだ開発と運用を祈るばかりです。



人はどんなに想像を膨らませようとも
どんなに勉強しようとも、「体験」には勝てません。

そしてその体験者が間もなく世の中からいなくなりそうな今、
「教わる事のできる残された時間は短い」という事を考えるべきです。

その方達の感情のためではなく
未来の子供達のために。

福島の若い女の子達がTVで言っていました。
「私、結婚できますか?子供を産めますか?」


大丈夫だよ。

その昔、戦争が終わった後、
同じ不安を持った先輩達がちゃんと結婚し、
僕たちを産んでくれたんだから。

そして、君たちの子供には同じ不安を持たなくて済むよう、
そんな日本を作って行くのが僕たち、君たちの世代だ。

君たちのお爺ちゃんやお婆ちゃんも若い頃、
きっと、戦争を起こした国や先輩達に不満と不安を持ち、
自分の子供は絶対同じ目に遭わせたくないと願っただろうし、
そうやって今の平和な日本を作ってくれたんだね。

だから、大丈夫。


戦争の頃に苦労した人達の分まで、
人生の可能性を謳歌して
楽しい人生を送ってあげないとね。

だってありがたいじゃない。

もし誰かが途中で諦めていたら
私もあなたも今ここにいないかも知れない。

感謝しましょう。
せめて命を繋いでもらえた事に。

そして、また繋ぐんです。
どんなに不安でも、苦しくても。


私もこの7月に子供が産まれました。

この子が大人になった時、
そんな不安を持たずに過ごせるよう頑張らねばなりません。

60年間は草木も生えないだろうと言われた
真っ黒い焼け野原と残留放射能の中、
何の希望も無い中で命を繋いでくれた先輩達に負けないように。

それに比べたら
私達は不安よりも希望の方が多いはずです。

目の前の不安よりも希望を見よう。


頑張ろう。


~~~~~~


昭和20年当時、
まだ誰も「放射線」に対する知識を持っていませんでしたので
その恐怖から被爆者は差別の対象となりました。

田舎に避難をしても
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から来た人達が隔離されたともいいます。

見た目にケガが無くとも
放射線の影響で様々な病気が発症し、
また病気が無くとも、広島の人間であるというだけで
仕事や結婚では差別を受けました。

「感染する」と。

私は心の底から義父に感謝します、
よくぞそんな中を生きて下さいました。

そくぞ、将来私にとって
最も大事な女性となる人を生み育てて下さいました。


私は義父との思い出はほぼありませんが
「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」
これだけは忘れられないです。

教育という物の怖さ、
大事さを知ってのお言葉だったのだと思います。

先輩のありがたい言葉です。



黙祷



お┃わ┃り┃に┃
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・平和宣言一覧1947~
 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/heiwasengen/

・元安橋(Wikipedia)
 この橋の上空で原子爆弾が炸裂し現存している橋です
 http://goo.gl/RE6vx

・広島平和記念資料館
 地球で生きている人間であれば生涯に1度は訪れるべき施設です
 http://hpmmuseum.jp/

・大和ミュージアム 呉市
 戦争の悲惨さの伝承というよりも展示物の派手さやお勉強の要素が多いですが
 平和公園に行くならぜひセットで訪れた方が良い施設です。
 http://yamato-museum.com

・はだしのゲン 全10巻(単行本)
 広島で育った子供であれば漏れなく購読しているであろう
 恐らくこれ以上分かりやすく被爆後の広島を理解出来る書物は無いと思われる
 普及の名作であります。漫画ですが大人にこそ読んでほしい。
 https://amzn.to/3kdPELg

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