配信日時 2022/08/06 16:08

平和宣言 2022年(令和4年)

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松原です。

今年も8月6日がやってまいりました。

ワシがこのメルマガを書き始めたのが16年前、2006年の2月でしたが、
その半年後の8月6日、ふと、特に思う事があったわけではなく
なんとなく書いた「平和宣言」のメルマガに大きな反響を頂きました。

ビジネス系のメルマガにはとても合わない、
何の役にも立たない、誰も興味が無い内容で
こんな所で書くべき内容ではないのだろうとは今でも思っていますが
その後なぜか16年も続けて来た1年に1回の恒例行事であります。

と言いますが、そもそもこの時点で
8月6日?それって何かあった日ですか?
という人がほとんどだと思います。

良いのか悪いのか分かりませんが
知らない、気にもしない人が多く、
もはやメディアでさえ取り上げる機会が減ったのは
ある意味、平和である証拠なんだろうと思います。

私も戦後20年以上経ってから産まれた人間ですし
偶然、広島という場所で育ったために
当然のように多くの平和学習を受けて来ましたが
しかし全ては単なる知識でしかありません。

想像は出来るけれども、所詮想像です。

しかし、ワシほど頭が悪い人間の想像であっても
過去の戦争と原子爆弾による被害というのは
どれほど恐ろしい物だったのかと思います。

そうです、今日8月6日は、
地球上初の原子爆弾が
広島に投下された日であります。

ワシは偶然広島に生まれたので
今日この8月6日が「その日」なのですが
全国それぞれ、その地やその人にとっての
「その日」というのがあると思います。

またそれは別に戦争に関する物ではなく
大事な人が亡くなった日なのかも知れません。

それがどんな出来事や理由だったにせよ
「自分の命や人生を考える日」
というのが誰しもあるのではないでしょうか。

そして、そういう日が1日でも多いほど、
自分の人生を大事にしようと考える機会が増えるわけであり、
その分、人生が良くなって行くのだと思っています。


この日は「ヒロシマ」と記載される事が多いのですが
広島市近郊では8月6日の8時15分には
街中に1分間サイレンが鳴り響きます。

多くの人は仕事や家事や遊びの手を止め
空、または原爆の落ちた平和記念公園のある方へ向かって
手を合わせて黙祷を行います。

また、今は無くなってしまいましたが、ワシが小学生の頃は
8月6日は夏休みでも投稿日になっており
8時15分には校庭で全員で黙祷をしていましたね。


ただ、広島・長崎で育った人や
歴史のマニアでもない限り
原爆がどれほどの被害を出したのかは知らないでしょう。

知る必要も無いのかも知れません。

しかし、恐ろしさを知らない事は
うっかりもう一度起こしてしまう可能性があるわけです。

どれほど恐ろしい事が起きたのか、
それによりどれだけの不利益があったのかを知れば
再び起こす心配が減ると思うわけです。

そしてその人数が1人でも多ければ
より平和が広く長く続くのではないでしょうか。


ワシは別に
広島の事を知ってほしいとは思っていません。

広島には原爆が落ちましたが
通常爆弾だけでも日本中が焼け野原になったわけですし
沖縄に関しては最悪の地上戦まで起きました。

ワシらは全員、
ほんの2世代か3世代前の祖父母の時代には
戦争をしていたわけです。

無関係で生きて来た人間は一人もいないのであり、
ワシらはその先輩方の苦労と我慢と情熱のお陰で
今ここで生きているわけですよね。

ワシらは今、苦しい時代を生きているとは思いますが
しかし世代を1つ遡るごとに、我々よりも遙かに厳しい、
まさに命を賭けて生活して来た家族、先輩、先祖がいるわけです。

それを、おかげ様と思えるように、
どれだけ大変な人生だったかと知って感謝出来るように、
そして二度とそんな事を起こさず
自分達の子孫がずっと平和でもっと豊かに生きて行けるように
歴史は学ばねばならんのだと思います。


77年前の8月6日、午前8時15分。

広島市内からは遠く離れた島に生活していた
小学生だった義母は
遠くの空からパラシュートが落ちて行くのが見えたそうです。

それが原子爆弾でした。

翌日、親類を探しに市内中心部に入った義父は被爆し
原爆症を患いながら数年前に亡くなりました。

全く「歴史」なんかではありません。

自分の親達が
その目で実際に見て来た事なんです。


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■平和宣言 2022年
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母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。

そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、
最後の別れになるとは、思いもしませんでした。

77年前の夏、何の前触れもなく、
人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。

広島駅付近にいた女性は、
凄まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。

意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、
真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。

その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、
潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、
あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。

ロシアによるウクライナ侵攻では、
国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、
他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。

そして、世界中で、
核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。

これらは、これまでの戦争体験から、
核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。

武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、
現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。

過ちをこれ以上繰り返してはなりません。

とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、
1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、
人類を核の脅威にさらし続けるものです。

一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。

また、他者を威嚇し、
その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。

私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した
「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」
という言葉をかみ締めるべきです。

今年初めに、核兵器保有5か国は
「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」
「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」
という声明を発表しました。

それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、
核兵器を使う可能性を示唆した国があります。

なぜなのでしょうか。

今、核保有国がとるべき行動は、
核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、
国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。

核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、
是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。

そして、国民の生命と財産を守るためには、
核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。

とりわけ、来年、
ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。

広島は、被爆者の平和への願いを原点に、
また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、
核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。

世界で8,200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、
今年、第10回総会を広島で開催します。

総会では、市民一人一人が
「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、
また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」
という思いを共有する市民社会の実現を目指します。

その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、
あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。

平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、
対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。

今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、
ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。

また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、
核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。

日本政府には、こうしたことを踏まえ、
まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、
次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、
核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。

また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、
生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、
被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、
被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。


令和4年(2022年)8月6日

広島市長 松井 一實


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■子供の未来
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広島では8月6日の8時15分にサイレンが鳴りますが
同じく、8月9日の11時02分にも1分間のサイレンが鳴ります。

これは、長崎に、
地球上最後の核爆弾が投下された日であります。

そして、8月15日。

戦争と原爆を経験した義父は「敗戦日」と言っておりましたが
終戦記念日にもサイレンが鳴ります。

当時ですのでもちろん、天皇陛下万歳という教育を受け
小学生の時は兵隊さんになるのが夢だったというのですから
教育というのは本当に恐ろしいというか強力な洗脳ですよね。


先日8月4日、ロシアのガルージン中日大使が
広島の平和公園を訪れ献花されました。

本日6日の平和記念式典に
広島は今回ロシアの代表を招待しなかった事により
ロシア側は遺憾の意を表しましたが、政治的な発言とはいえ
その場で「ロシアは核兵器廃絶に貢献しているのに」とは
広島の人間にとっては受け入れがたい発言でした。

ロシアが良い悪いはワシには言えませんが
なにせウクライナが今あれです。

歴史もあり、その背景による結果で
仕方ない、それが正義だと言っている人がいるのも分かりますが
双方、とんでもない人数が亡くなっているわけです。

民間人がです。


人間というのは
教育次第でどうにでもなるわけです。


我々はどうでしょうか?

我々は自分の子供にどんな教育をし
どんな価値観や思想を持った人間に育てますか?

そしてそれは家庭個々の問題だけではなく
その集合体である日本全体の問題になっているはずです。

もちろん政治次第という面があると思いますが
その政治を行う政治家は
誰かどこかの親が育てたわけですよね。

国が悪いという人は
まず自分の家族、その周りのコミュニティから
見直して行かねばならんわけです。

その悪い国を作っているのは
自分達の集まりなんですから。


ほんの70~100年前、
戦争に反対する人もたくさんいたでしょうが
多くの人やメディアは戦争で盛り上がり、
日本頑張れ!と言っていたわけですよ。

天皇陛下は生き神様であられ、
お国のために奉仕するのが国民の義務であると
ほとんどの人は疑わなかったわけですよ。

たとえ疑っても、反対でも言えなかったわけです。

教育、環境というのは
それが出来てしまう、という事です。


逆を言えば
良くする事だって簡単だという事ですよね。

問題は、
何が正解なのか?です。

どうすれば世の中が良くなるのか?
それが分からなかったり、
分かっていても出来ないという事でしょう。

家族という単位でもそうだと思います。

多くの家庭では日々の生活に目一杯で
「この子の将来のために」とは口で誰もが言うけれども
何が本当に「この子のため」なのか言えないと思います。

やりたい事を応援してやって
大学ぐらいは行かせておきたいな、
英語ぐらい喋れると可能性が広がるかな、みたいな程度でしょう。

しかし実際には
それは「親がしてやりたい事」でしかなく
本当にその子の事を考えた結果なのか?という事ですよね。


その自分の子供は
国を作る一部であるという認識など無い人の方が多いんじゃないでしょうか。

自分さえ良ければ良い、自分の子さえ良ければ良い、
という事の積み重ねは
国自体がおかしな方向に向かってしまうわけで
それは今の日本を見れば分かるはずです。


今の時代、個の時代とか自由の時代と言われますし
それはそれで素晴らしい事だと思うのですが
ほとんどの場合、単に個人のワガママを通す言い訳にしかなっていないでしょう。

そのような人間ばかりになった時、
国全体がどうなってしまうか?という事を考えると
恐らく「その子のため」にはならないだろうと思います。

というかすでに
ロクでもない国になってしまっているわけで。

全てが完璧で
一人残らず幸福な社会など不可能だとは思いますが
しかし今向かっている方向は
ワシは確実に今よりも不幸になると感じています。


平和ボケ、と言われる時代ですが
この77年間の平和は
作ったり守って来た物ではなくて
偶然、奇跡でしかないはずです。

世界の常識で考えれば
何かの出来事とタイミングがあれば
日本はいつ侵略されてもおかしくないはずですよ。

戦争はしちゃいかんです。
ワシも絶対にゴメンです。

だから、ちゃんと
「絶対に戦争が起こらない準備」
をして行かねばならんと思います。

願うだけでは無理です。


原爆で亡くなったと言われる
累計20万人もの方がどう思うか?

100%、誰一人残らず、
「二度とあんな事が起こらないように」
と思ってるに決まってるんです。

戦争で亡くなった方の全員、
その家族や友人も全員がそう思ってるはずです。


難しい問題です。

しかし全員がボケーっとしていたのでは
いつか必ずまた悲惨な事が起きてしまします。

あなたは何を考えてどうしますか?

自分の子供に何を伝えて
どう行動すべきだと教えますか?


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■過去のメルマガより
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このメルマガは比較的新しい読者様も読まれていますので
過去に14回配信した8月6日のメルマガから
読者様から反響の大きかった物からいくつか転載致します。


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■2020年8月6日のメルマガより
………………………………………………………………

人間にとって
死以上の大きな出来事はありません。

自分の人生がだらしない物になってしまうのは
自分がいずれ死ぬという事を理解していないからでしょう。

人はいずれ死ぬ、
そんな事はもちろん誰でも知っているわけですが、
でも、ちゃんと想像している人などほぼいません。

人生に限りがあるという事、
そしてそれはほぼ間違い無く自分の意思とは別で訪れるという事。

しかし自分には
それをある程度コントロール出来るだけの自由があり、
望めばそれが手に入るだけの時間も恐らく残っている事。


そんな事を考えるのが私の8月6日です。


息子が先日まで1ヶ月以上入院していた話をしたと思いますが、
最初の2週間ぐらいは絶飲食だったんですね。

小学2年生の子供にとって
水も飲ませてもらえないというのは
どれほど辛かっただろうと思います。

そして少しずつ回復してからは
とにかく1日中「腹が減った腹が減った」
「ご飯が食べたいようご飯が食べたいよう・・・」
って泣くんです。

時期的に
「あぁ、もうすぐ8月6日が来るなぁ・・・」
と思ってましたので、息子の姿を見ながら、
戦中や戦後の子供達の事を想像していました。


腹を空かせた子供を見るのってこんなに辛いんだな・・・
と。

しかもあの頃なんて
健康なのに食べさせてやれない、
食べさせてやりたいのに食べる物が無い、
金があっても買う買う事さえ出来なかったわけですよね。


昔、小学生の頃に田舎へ遊びに行くと
ひい婆ちゃんが、とりあえず
「何か食うか?」「腹減っとらんか?」
って言ってたのを思い出します。

昔の年寄りってみんなそうでしたよね、
子供を見たら、とりあえず、
「腹減ってないか?」って聞いてましたよね。

戦後、
子供に十分食べさせてやれなかったとか、
自分が子供で腹を空かせてたからだと思いますよ。


お爺ちゃんもお婆ちゃんも
必ず「腹一杯食えよ、大きくなれよ」
って言いましたもんね。

「元気ならそれで十分」って言いましたよね。

腹一杯食えて、健康。

これだけが望みだった、
でもそんな事さえ望まなければ手に入らなかった。


あの時代の先輩達の事を
ほんの少しでも想像してみたいと思うわけです。

自分って怠け過ぎていないか?

夢ばっかり見て、
現実を生きてないんじゃないか?

出来るはずの事を
横着してやっていないんじゃないか?

人生が投げやりになっていないか?

って反省します。


歴史の中の話じゃないですよ、
私の世代だと親とか祖父母の話なんですから。

私の両親は22年生まれで戦後ですし、
祖父母は田舎の人間なので被爆していないですが
女房のお父さんは小学生の時に被爆しています。

全然、歴史の話ではないです、親の話です。


あの中を必死に生き延びて命を繋いで、
ズタボロになった日本をここまで復活させてくれたわけです。

広島の人間でもなければ
原爆についてそんなに詳しくもないでしょうが
広島で育つと、あの爆弾がどれほど恐ろしい物だったか
どれほど悲惨な結果をもたらしたのかは誰でも知ってます。

ほんとにそんな中で生き延びたんだ?

どうやって?
と思わされます。


先輩達は、何も無かったところから
こんな国を作れたわけじゃないですか。

命しか無い、
という所から。

それが今や、
何でもあるのにみんな何も出来ない、わけですよね。

私も含めてね。


どんな可能性だってあるのに
何にも挑戦しないですよね。


ネットビジネスに挑戦?

飯が食えて、健康で、時間もあるのに、
働けばお金がもらえる仕事もあるのに、働きもせず、
パソコンをカチャカチャやるだけで
大金を稼ぎたいなんて夢を見られるわけです。

しかし、夢を見るだけで本気では頑張らない。

幸せな事ですよね。

先輩達には
そんな夢を見られる可能性も無かったんですから。


先輩達が
そんな優雅な人生を見て、叱るでしょうか?

だらしない、なんて言うかな?

いや、
もっと真面目に生きなさい!
なんて言わないだろうと思いますよね。

良いじゃないか、
どんなにだらけていようと
家も食事も心配しなくて住むんだろ?

幸せじゃないか、それだけで良いじゃないか、
ってニコニコして言ってくれると思います。

稼げるとか稼げないなんてどうでも良いだろ、
と。


数年前に行った法事では
戦争を生き抜いたおばちゃん達が実際そう言ってました。

元気ならそれでええ!
と。


ただ、だったら本当にそれで良いのか?
と思います。

自分達は死なない、
殺される心配なんてない。

住むところも、仕事も、何だって選べる。

それを選ばないなんて
「もったいないよな?」
って私は思うわけです。

こんな人生を送りたいな、とか
こんな生活をしたいな、なんて物は
大概の事は本気で望めば手に入るわけですよね。

でも昔は
望んでも手に入らなかったわけですよ。


だから私は
存分に人生を楽しみたいんです。

望む物があれば頑張って手に入れたいんです。

そしてお墓に手を合わせて、
おかげ様でこんなに楽しい人生を送れています、
と感謝をするんです。

本当に、おかげ様なんです。


どう考えても
今ってメチャクチャ幸せな時代のはずなんですよね。

でも、選択肢も可能性も豊富過ぎて、
ある意味、昔の人より不幸な人って多くないですか?

見られる夢が多くて大きいからこそ
不幸な人って増えてる気もしますよね。

ネットビジネスもその1つでしょう。


私は常に、
「先輩達に申し訳無い」
と思って生きています。

こんなに自由で可能性があるのに
それを謳歌したり手にしないのはもったいない。

ネットビジネスで稼げるとか稼げないとか
そんなくだらない事で
大事な命と時間を消費してる場合じゃないと思います。

やるなら必死にやる。

そうじゃなければ
そんな無駄な事をやっていないで
もっと人生で大事な事をやるべきなんじゃないでしょうか。

どうせ稼げないんだったら
そんな事に時間を使うのって無駄ですよね。

人生で、あとほんの数時間、
家族や大事な人と楽しい時間を過ごす事が出来るというのに
それをパソコンの前で無駄に過ごすなんておかしいと思います。

逆に、
「それだけ貴重な時間を費やしている」のだと考えれば
絶対に、中途半端な事なんて出来るはずがありません。


75年前の今日、
昨日までと何も変わらない幸せな朝を迎えたのに
8時15分に空から降ってきた爆弾で
焼け死ぬどころか蒸発して消えてしまった人がいるわけです。

体中がガラスの破片で覆われたり
腹が割けて垂れ落ちた内臓を抱えたまま逃げたり、
皮膚が溶けてまるでゾンビのような姿になったり、
手足がもげて這い回る人や
人間なのか分からないほど黒焦げになった人がいたわけです。

さらに、その中を生き延びた人がいるわけです。


そう考えたら、
私達って「何でも出来る」って思います。

やらなきゃならんと思います。


あなたにも
そんな事を思う1日があるでしょうか?


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■2017年8月6日のメルマガより
………………………………………………………………

私は先月、沖縄の座間味島へ行って来ましたが
そこには「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩の地」
という碑が建っていました。

「ここか・・・」と鳥肌が立ちました。


日本中に、そんな場所、記念日がありますよね。

それが私や広島の人間にとっては8月6日ですが
あなたにも何かそういう記念日があるでしょうか。

戦争ではなくとも、阪神大震災や
東日本大震災、つい昨年の熊本など
命を思う1日というのがあるのではないでしょうか。


実は、私は昨日、
知人の告別式で鹿児島へ行って来ました。

この歳になると
毎年誰かを見送る事になり
自分自身も死に近づいている事を実感します。

また、私の場合、
40歳になってから息子が産まれていますので
こいつが成人するまで生きられるだろうか、
という不安があります。

自分が死ぬ事はどうでも良いのですが、
もしこいつが独り立ちする前に私が死んだら
残された家族はどうなるだろうか、と。



約70年前。

愛する家族、まだ見ぬ子孫のために
命を賭けて戦った人達のおかげで私達は生きています。

会社の仕事はしんどいかも知れません、
将来が不安かも知れません。

でも。

戦中の方達が聞いたら
ブラック企業?
その程度がどうした?と笑うでしょう。

食う飯があるんだろう?
明日死ぬ恐怖は無いんだろう?

愛する人も健康なんだろう?


それに比べたら
我々には何でも出来るチャンスがあるはずです。

もちろん、この平和な世の中ですので、
何もしないという自由も選べるわけです。

それに、別に亡くなった方達のために頑張るというのも
違うのかもしれません。

正直を言うと、私だって、
あの方達の分まで頑張ろうなんて思っていません。


ただ、
有り難い事は間違いありません。

感謝もしています。


たった1日さえ無駄にせず
必死に生き続けるという事は難しいでしょうが
せめて心にはとめておきたいものです。

戦争ではなくとも
人は死にます。

あっけなく死にます。

交通事故だったり病気だったり、
昨日まで元気だった人が、
自分の大事な人が突然消える事は珍しくありません。

歳を重ねるほど
そういう事が周りに増えて行くでしょうし
次は自分の番なんですよね。


たった1日だけで良いから、
それが別に今日でなくても構わないから
あなたの目の前にいる大事な人の顔を見て
「もしこの人が明日死んでしまったら」と
真剣に想像してみて下さい。

または、もし自分が明日死んだとしたら、と。

それは「確実にいつか来る日」なんですから。


それがもし、明日や明後日でなくとも、
1ヶ月先だと決まっていたらどうしますか。

あなたは何をして死にますか。

大切な人と何をして過ごして、
何を残して死にますか。

もし1年か2年の時間が残るなら
何をするでしょうか。


今の会社で働きながら死にますか。

アフィリエイトやネットビジネスは続けますか。

今、日々やっている事は
あなたと大事な人の命を賭けているのだという事です。

よく、命がけで頑張る、なんていう言葉がありますが、
人間、生きているだけで命がかかっているわけです。


死ぬ時、
ほとんどの人は、後悔ばかり残るでしょう。

でも、その後悔が少なくなる努力は出来るはずですし、
やっていない人がほとんどです。

不満のある日々も自分の選択です。

戦中、戦後の先輩達には
選択の余地もありませんでした。

死にに行け、とまで言われた人がいるわけです。


それに比べれば
我々の苦労なんて
自分の努力1つで簡単に抜けられるはずですよね。

たったの半年、たったの1年、
本気で、死ぬ気で頑張れば
人生なんていくらでも変えられるはずなのに
それを選ばないのは自分です。


一昨年、被爆した義父が亡くなりました。

昨年、義母と祖母が亡くなりました。

みんな、戦争を知っている人達ですが
子供に戦争の話をした事がありません。


真面目に生きなさい、
人に迷惑をかけてはいけません、
嘘をついてはいけません、
質素な生活をしなさい、
一所懸命働きなさい、
子供に教育を受けさせなさい。


我々世代なら
必ず祖父母から言われた言葉でしょう。

出来ていますか。

時代が違う、という人もいると思いますが、
それも良いと思います。

自分が信じるものがあり、
幸せに生きられるのなら。


そして、大事な事は
その自分の考え方や生き方というのは
自分の子供やその次の世代に受け継がれるという事です。

胸を張って生きて、
悔いなく死ねるように努力したいものですね。


………………………………………………………………
■2011年8月6日のメルマガより
………………………………………………………………

66年前の今日
たった一発の爆弾から
一瞬で10万人もの人間がこの世から消えました。

爆心地に近い人は「蒸発」して消え、
その強烈な閃光でその蒸発した人の「影」が
石段に残りました。

炭のように焦げ、皮膚が溶け、
飛んで来たガラスの破片が全身に突き刺さり、
内蔵が飛び出し、垂れ下がったまま、
自分が生きている事さえわからず「動いている人」が何万人も。

焼けた体がやがて意識無く水を求め
すぐそばにある元安川の水を飲み、飛び込み
そのまま川に流れて行きました。

浮いている人で水面が見えないほどだった、とも。

この川は定期的な調査が行われ
今でも川底から
その方達の遺骨が見つかる事があります。


「運悪く生き残った人」の方がもっと多かった。

誰もが殺してくれと頼んだそうです。
苦しみと生き残った罪悪感に呵まれながら。

ヤケドは治療するすべも無く
腐り、体からウジが湧く。

水をくれ・・・水・・・と言いながら
その水を含んだ途端
息絶える人が多かったそうです。

怪我無く無事だったとしても
辺りにはそんな人だらけで
それを見た子供の心は大丈夫だったでしょうか。


田舎に避難をしても当時は誰も知識を持っておらず
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から逃げた人達が隔離されたとも。

その新型爆弾が放射能爆弾である事も
放射能なんて物さえ当時の人は知りませんでした。


大昔の話ではありません。

私の義父は
その「ヒロシマ」に居たのですから。

見えた症状はなく、定年まで無事に勤めを果たし
70歳を超えた今でも生きていますが
原爆症と診断されており体はボロボロです。

公務員で定年を迎え、退職金で夢のマイホームを建て
ようやく奥さんと孫達との時間をゆっくり取れる時間が来た。

その途端、小さな病気での入院をキッカケに
芋づる式に病気が繋がり、一昨年とうとう、
施設で面倒を看てもらうまでになってしまいました。

この年齢にもなれば、原爆にあっておらずとも
そんな方達も大勢いらっしゃるでしょうが
やはり家族が思うのは「原爆にあっていなければ」という事でしょう。

運と言ってしまえばそれまで。
しかしそんな運があるのかと。


今の女房を嫁にもらうため
6年前お義父さんにご挨拶に言った時、お義父さんはすでに
家族以外には理解できない程度の会話しか出来ませんでした。

結婚に対しては特に何も仰いませんでしたが
1つだけ言われた事が

「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」

時代も違い、その今の教育がどうなのかとも思いますが、
そういう事ではなく、当時の世の中の状況、
ご自身が出来なかった夢を託されたのだと思いました。


………………………………………………………………
■2012年8月6日のメルマガより
………………………………………………………………

今年の8月6日は
これまで67年間の1日とは少し違います。

昨年の原発事故をきっかけに、放射能という物の恐ろしさを
久々に「体験として」日本人が知っているからです。

今はまだかろうじて、私達の世代がギリギリ
当時の先輩方から体験を直接聞く事が出来ていますが
あと10年もすれば話を聞ける機会もなくなります。

被爆者がどなたも亡くなるから。

私は原発に関しては肯定も否定もしません。
ただ、そこに「放射能」がある事を
「あの体験」した人達は無条件で否定するでしょう。

もし「あの光景」を見たならば
どれだけの安全対策を施してあろうが
それを受け入れられない気持ちは理解できます。

せめてその気持ちをくんだ開発と運用を祈るばかりです。



人はどんなに想像を膨らませようとも
どんなに勉強しようとも、「体験」には勝てません。

そしてその体験者が間もなく世の中からいなくなりそうな今、
「教わる事のできる残された時間は短い」という事を考えるべきです。

その方達の感情のためではなく
未来の子供達のために。

福島の若い女の子達がTVで言っていました。
「私、結婚できますか?子供を産めますか?」


大丈夫だよ。

その昔、戦争が終わった後、
同じ不安を持った先輩達がちゃんと結婚し、
僕たちを産んでくれたんだから。

そして、君たちの子供には同じ不安を持たなくて済むよう、
そんな日本を作って行くのが僕たち、君たちの世代だ。

君たちのお爺ちゃんやお婆ちゃんも若い頃、
きっと、戦争を起こした国や先輩達に不満と不安を持ち、
自分の子供は絶対同じ目に遭わせたくないと願っただろうし、
そうやって今の平和な日本を作ってくれたんだね。

だから、大丈夫。


戦争の頃に苦労した人達の分まで、
人生の可能性を謳歌して
楽しい人生を送ってあげないとね。

だってありがたいじゃない。

もし誰かが途中で諦めていたら
私もあなたも今ここにいないかも知れない。

感謝しましょう。
せめて命を繋いでもらえた事に。

そして、また繋ぐんです。
どんなに不安でも、苦しくても。


私もこの7月に子供が産まれました。

この子が大人になった時、
そんな不安を持たずに過ごせるよう頑張らねばなりません。

60年間は草木も生えないだろうと言われた
真っ黒い焼け野原と残留放射能の中、
何の希望も無い中で命を繋いでくれた先輩達に負けないように。

それに比べたら
私達は不安よりも希望の方が多いはずです。

目の前の不安よりも希望を見よう。


頑張ろう。


~~~~~~


昭和20年当時、
まだ誰も「放射線」に対する知識を持っていませんでしたので
その恐怖から被爆者は差別の対象となりました。

田舎に避難をしても
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から来た人達が隔離されたともいいます。

見た目にケガが無くとも
放射線の影響で様々な病気が発症し、
また病気が無くとも、広島の人間であるというだけで
仕事や結婚では差別を受けました。

「感染する」と。

私は心の底から義父に感謝します、
よくぞそんな中を生きて下さいました。

そくぞ、将来私にとって
最も大事な女性となる人を生み育てて下さいました。


私は義父との思い出はほぼありませんが
「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」
これだけは忘れられないです。

教育という物の怖さ、
大事さを知ってのお言葉だったのだと思います。

先輩のありがたい言葉です。



黙祷



お┃わ┃り┃に┃
━┛━┛━┛━┛━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

・平和宣言一覧1947~
 https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/heiwasengen/

・元安橋(Wikipedia)
 この橋の上空で原子爆弾が炸裂し現存している橋です
 http://goo.gl/RE6vx

・広島平和記念資料館
 地球で生きている人間であれば生涯に1度は訪れるべき施設です
 http://hpmmuseum.jp/

・大和ミュージアム 呉市
 戦争の悲惨さの伝承というよりも展示物の派手さやお勉強の要素が多いですが
 平和公園に行くならぜひセットで訪れた方が良い施設です。
 http://yamato-museum.com

・はだしのゲン 全10巻(単行本)
 広島で育った子供であれば漏れなく購読しているであろう
 恐らくこれ以上分かりやすく被爆後の広島を理解出来る書物は無いと思われる
 普及の名作であります。漫画ですが大人にこそ読んでほしい。
 https://amzn.to/3kdPELg


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