配信日時 2019/08/06 14:07

平和宣言2019

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松原です。

私がメルマガを書き始めてから
13回目の8月6日がやって来ました。

昔と比べて配信頻度が下がりましたが、13年間、
この日だけは一度も配信を忘れた日がありません。


74年前の8月6日、8時15分。

何があった日なのか
この日時だけで答えられる人は珍しいでしょうが
ヒロシマっ子は一人残らず知っています。


今年も、広島市とその周辺地域では
08:15にサイレンが鳴り響きました。

女房と息子と一緒に、サイレンに合わせて
あの方角へ向かって手を合わせ、黙祷致しました。


たった74年前の今日。

今日と同じように暑かった日、
青い空の上空からから落ちて来た、
たった1発の原子爆弾。

あっという間に、
何万人もの人が、悔いを残す間も無く
蒸発し、炭になって消えました。

生き残った方は死ぬよりも辛い地獄を味わい、
見たと言います。

火傷で全身の皮がはげた人、
内臓を垂れ流しながら自分が生きているのかも分からない人、
体中にガラスの破片が刺さっても死ねない人・・・

やがて体中から湧くウジ虫。


私の女房の父親は
周辺の町で被爆はかろうじて逃れましたが、
翌日親類を探しに爆心地に入り被爆し
小学4年生でそれを見、
その中を生き抜かれました。

街の全てが燃え尽くしており
目標となる建物が無いので
行くにも帰るにも方向が分からなかったそうです。

その義父も
原爆症もあって数年前に亡くなり
原爆死没者名簿に名を連ねる事になってしまいました。


これはまだ「歴史」なんかではありません。


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■平和宣言 2019年
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今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、
対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。

このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。

二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、
決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、
国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、
人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。

特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。

そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。

当時5歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。

「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」

また、
「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。
髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、
顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」
という惨状を18歳で体験した男性は、
「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。
私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい。」と訴えています。

生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。

「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、
戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています。」
という当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。

世界に目を向けると、一人の力は小さくても、
多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。

インドの独立は、その事例の一つであり、
独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。

「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、
真の民主的精神の成長を妨げるものです。」

現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、
私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、
理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。

そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、
また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、
たゆむことなく前進していくことが重要となります。

そして、世界中の為政者は、
市民社会が目指す理想に向けて、
共に前進しなければなりません。

そのためにも被爆地を訪れ、
被爆者の声を聴き、平和記念資料館、
追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。

また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、
米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、
核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。

今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、
広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、
核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。

世界中の為政者には、
核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、
核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。

こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。

その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、
核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。

また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、被爆74周年の平和記念式典に当たり、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、
被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 

令和元年(2019年)8月6日

広島市長 松井 一實

引用元:
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html


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■腹一杯食べられる幸せ
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うちの横に住んでる
女房側の本家のオバちゃんが
最近見かけないなと思ったら
足を骨折して入院してたので先日見舞いに行って来ました。

もう90歳近いので完全に戦争組ですね。

で、親戚のオバちゃん連中も集まってまして、
まぁなんと言うか、もう80歳も超えてるあの人達って、
人生無敵って感じがしますよね。

なんだろあの余裕、
人生が楽しそうな様子。

もういつ死んでも良いしね~、
とか笑いながら言ってるその元気さが
めっちゃ長生きしそうっていう。笑


で、うちの息子を見て、
大きくなったなぁ!と。

元気か?
元気ならそれだけでええ!

と。

腹一杯食べて、
友達といっぱい遊べよ!

って。


そういえば小学校に上がったお祝いしてなかったな!

って、
オバちゃん達それぞれが
その場で急に財布からお金出して、
お祝いだ、ってくれました。

普段そんなに付き合いがあるわけでもないので、
いやいやそんな・・・ってお断りしたんですが、
「この歳になったらお金の使い道も無い!取っとけ!笑」
と。



そりゃオバちゃん達みたいに
戦争で生き残った人からすれば
ほんまに「元気ならそれだけで良し」なんでしょうね。

金があったからって
それがどうした?って感じなんでしょう。


その前、
数年前に法事で会った時なんか、凄いんですよ。

「飛行機に追いかけられて
機銃掃射を受けた時の逃げ方知っとるか?
今はもう学校で習わんのか?」

とか言ってました。笑

って、いやいやいやいや!
知りません!笑

習うはずありません!笑

半分冗談で言ってるんだと思いますけどね。


そんな時代を生きて来た先輩に比べたら
私らの人生なんかイージーゲームでしょう。

殺される心配が無い、
飢える心配が無い、
好きなだけ勉強出来る。

やりたい事はなんだって選べる、
やりたくない事はやらずに生きられる。


はずなのに。

はずなのに、
みんな、なんでこんなに
不安だったり不幸なんですかね。


一つは
「夢を見過ぎ」だと思います。

私らの時代もまだそうでしたが
「夢みたいな事を言わずに真面目に働け」
って言われたもんです。

それが今や、
「好きな事で生きる」だとか
誰かが銭にするためにうたい始めたせいで
「夢を追って不幸になる人間が続出」です。

オバちゃん達に言わせりゃ
働ける仕事があったら贅沢言うな、
って感じじゃないでしょうか。

実際私もそう言われて育ちましたし
そう思っていますし、
そうやって働いて来ました。


夢を持たなければならない、
好きな事を仕事にしなければ不幸だ?

それ、誰の価値観なんですか?
っていう。


そんなに夢が必要か?っていう。

夢が無かったら不幸なの?って。

好きな仕事じゃなかったらダメなの?

仕事なんて
別に好きじゃなくても一所懸命働いて、
ご飯食べられるだけのお金を持って帰れたら
それで十分なんじゃないの?


夢が無くたって、
毎日お腹いっぱいご飯食べられて、
友達や家族と笑って過ごせたら
私、十分ですけどね。

私は別に夢なんて無いですよ。

夢って必要なんですか?


お金だって、
必要以上に欲しがる人が多過ぎると思います。

そりゃ、不幸になると思いますよ。


みんな、
誰の人生を生きてるんですかね。

人の事ばっかり考えて、
人からどう見えるかばかり気にして、
自分がどう生きたいとか
自分の幸せって何かという事が
丸っきり見えてない人が多いと思います。

ネットビジネスやってる人の大半はそうです。

金に目が眩んだり、金に追いかけられて
「自分の人生」が
消えてる日々を過ごしていないでしょうか。


私、
戦争を乗り越えた方達の事を考えると
「楽しんで生きないと申し訳ない」
って思うんですよね。

頭や心を悩ませるような事があったって、
そんなの、あの先輩達から比べたら屁みたいなもんだと思うんです。

ほんと、私、
そう思って生きてるんですよ。


何もかも自由に選べるんです。

だから選ばないといけないと思ってます。


あなたは
残りの人生で何を選んで生きますか?

私は笑顔です。


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■過去のメルマガより
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このメルマガは比較的新しい読者様も読まれていますので
過去に12回配信した8月6日のメルマガから
読者様から反響の大きかった物からいくつか転載致します。


■2017年8月6日のメルマガより

私は先月、沖縄の座間味島へ行って来ましたが
そこには「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩の地」
という碑が建っていました。

「ここか・・・」と鳥肌が立ちました。


日本中に、そんな場所、記念日がありますよね。

それが私や広島の人間にとっては8月6日ですが
あなたにも何かそういう記念日があるでしょうか。

戦争ではなくとも、阪神大震災や
東日本大震災、つい昨年の熊本など
命を思う1日というのがあるのではないでしょうか。


実は、私は昨日、
知人の告別式で鹿児島へ行って来ました。

この歳になると
毎年誰かを見送る事になり
自分自身も死に近づいている事を実感します。

また、私の場合、
40歳になってから息子が産まれていますので
こいつが成人するまで生きられるだろうか、
という不安があります。

自分が死ぬ事はどうでも良いのですが、
もしこいつが独り立ちする前に私が死んだら
残された家族はどうなるだろうか、と。



約70年前。

愛する家族、まだ見ぬ子孫のために
命を賭けて戦った人達のおかげで私達は生きています。

会社の仕事はしんどいかも知れません、
将来が不安かも知れません。

でも。

戦中の方達が聞いたら
ブラック企業?
その程度がどうした?と笑うでしょう。

食う飯があるんだろう?
明日死ぬ恐怖は無いんだろう?

愛する人も健康なんだろう?


それに比べたら
我々には何でも出来るチャンスがあるはずです。

もちろん、この平和な世の中ですので、
何もしないという自由も選べるわけです。

それに、別に亡くなった方達のために頑張るというのも
違うのかもしれません。

正直を言うと、私だって、
あの方達の分まで頑張ろうなんて思っていません。


ただ、
有り難い事は間違いありません。

感謝もしています。


たった1日さえ無駄にせず
必死に生き続けるという事は難しいでしょうが
せめて心にはとめておきたいものです。

戦争ではなくとも
人は死にます。

あっけなく死にます。

交通事故だったり病気だったり、
昨日まで元気だった人が、
自分の大事な人が突然消える事は珍しくありません。

歳を重ねるほど
そういう事が周りに増えて行くでしょうし
次は自分の番なんですよね。


たった1日だけで良いから、
それが別に今日でなくても構わないから
あなたの目の前にいる大事な人の顔を見て
「もしこの人が明日死んでしまったら」と
真剣に想像してみて下さい。

または、もし自分が明日死んだとしたら、と。

それは「確実にいつか来る日」なんですから。


それがもし、明日や明後日でなくとも、
1ヶ月先だと決まっていたらどうしますか。

あなたは何をして死にますか。

大切な人と何をして過ごして、
何を残して死にますか。

もし1年か2年の時間が残るなら
何をするでしょうか。


今の会社で働きながら死にますか。

アフィリエイトやネットビジネスは続けますか。

今、日々やっている事は
あなたと大事な人の命を賭けているのだという事です。

よく、命がけで頑張る、なんていう言葉がありますが、
人間、生きているだけで命がかかっているわけです。


死ぬ時、
ほとんどの人は、後悔ばかり残るでしょう。

でも、その後悔が少なくなる努力は出来るはずですし、
やっていない人がほとんどです。

不満のある日々も自分の選択です。

戦中、戦後の先輩達には
選択の余地もありませんでした。

死にに行け、とまで言われた人がいるわけです。


それに比べれば
我々の苦労なんて
自分の努力1つで簡単に抜けられるはずですよね。

たったの半年、たったの1年、
本気で、死ぬ気で頑張れば
人生なんていくらでも変えられるはずなのに
それを選ばないのは自分です。


一昨年、被爆した義父が亡くなりました。

昨年、義母と祖母が亡くなりました。

みんな、戦争を知っている人達ですが
子供に戦争の話をした事がありません。


真面目に生きなさい、
人に迷惑をかけてはいけません、
嘘をついてはいけません、
質素な生活をしなさい、
一所懸命働きなさい、
子供に教育を受けさせなさい。


我々世代なら
必ず祖父母から言われた言葉でしょう。

出来ていますか。

時代が違う、という人もいると思いますが、
それも良いと思います。

自分が信じるものがあり、
幸せに生きられるのなら。


そして、大事な事は
その自分の考え方や生き方というのは
自分の子供やその次の世代に受け継がれるという事です。

胸を張って生きて、
悔いなく死ねるように努力したいものですね。


■2011年8月6日のメルマガより

66年前の今日
たった一発の爆弾から
一瞬で10万人もの人間がこの世から消えました。

爆心地に近い人は「蒸発」して消え、
その強烈な閃光でその蒸発した人の「影」が
石段に残りました。

炭のように焦げ、皮膚が溶け、
飛んで来たガラスの破片が全身に突き刺さり、
内蔵が飛び出し、垂れ下がったまま、
自分が生きている事さえわからず「動いている人」が何万人も。

焼けた体がやがて意識無く水を求め
すぐそばにある元安川の水を飲み、飛び込み
そのまま川に流れて行きました。

浮いている人で水面が見えないほどだった、とも。

この川は定期的な調査が行われ
今でも川底から
その方達の遺骨が見つかる事があります。


「運悪く生き残った人」の方がもっと多かった。

誰もが殺してくれと頼んだそうです。
苦しみと生き残った罪悪感に呵まれながら。

ヤケドは治療するすべも無く
腐り、体からウジが湧く。

水をくれ・・・水・・・と言いながら
その水を含んだ途端
息絶える人が多かったそうです。

怪我無く無事だったとしても
辺りにはそんな人だらけで
それを見た子供の心は大丈夫だったでしょうか。


田舎に避難をしても当時は誰も知識を持っておらず
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から逃げた人達が隔離されたとも。

その新型爆弾が放射能爆弾である事も
放射能なんて物さえ当時の人は知りませんでした。


大昔の話ではありません。

私の義父は
その「ヒロシマ」に居たのですから。

見えた症状はなく、定年まで無事に勤めを果たし
70歳を超えた今でも生きていますが
原爆症と診断されており体はボロボロです。

公務員で定年を迎え、退職金で夢のマイホームを建て
ようやく奥さんと孫達との時間をゆっくり取れる時間が来た。

その途端、小さな病気での入院をキッカケに
芋づる式に病気が繋がり、一昨年とうとう、
施設で面倒を看てもらうまでになってしまいました。

この年齢にもなれば、原爆にあっておらずとも
そんな方達も大勢いらっしゃるでしょうが
やはり家族が思うのは「原爆にあっていなければ」という事でしょう。

運と言ってしまえばそれまで。
しかしそんな運があるのかと。


今の女房を嫁にもらうため
6年前お義父さんにご挨拶に言った時、お義父さんはすでに
家族以外には理解できない程度の会話しか出来ませんでした。

結婚に対しては特に何も仰いませんでしたが
1つだけ言われた事が

「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」

時代も違い、その今の教育がどうなのかとも思いますが、
そういう事ではなく、当時の世の中の状況、
ご自身が出来なかった夢を託されたのだと思いました。


■2012年8月6日のメルマガより

今年の8月6日は
これまで67年間の1日とは少し違います。

昨年の原発事故をきっかけに、放射能という物の恐ろしさを
久々に「体験として」日本人が知っているからです。

今はまだかろうじて、私達の世代がギリギリ
当時の先輩方から体験を直接聞く事が出来ていますが
あと10年もすれば話を聞ける機会もなくなります。

被爆者がどなたも亡くなるから。

私は原発に関しては肯定も否定もしません。
ただ、そこに「放射能」がある事を
「あの体験」した人達は無条件で否定するでしょう。

もし「あの光景」を見たならば
どれだけの安全対策を施してあろうが
それを受け入れられない気持ちは理解できます。

せめてその気持ちをくんだ開発と運用を祈るばかりです。



人はどんなに想像を膨らませようとも
どんなに勉強しようとも、「体験」には勝てません。

そしてその体験者が間もなく世の中からいなくなりそうな今、
「教わる事のできる残された時間は短い」という事を考えるべきです。

その方達の感情のためではなく
未来の子供達のために。

福島の若い女の子達がTVで言っていました。
「私、結婚できますか?子供を産めますか?」


大丈夫だよ。

その昔、戦争が終わった後、
同じ不安を持った先輩達がちゃんと結婚し、
僕たちを産んでくれたんだから。

そして、君たちの子供には同じ不安を持たなくて済むよう、
そんな日本を作って行くのが僕たち、君たちの世代だ。

君たちのお爺ちゃんやお婆ちゃんも若い頃、
きっと、戦争を起こした国や先輩達に不満と不安を持ち、
自分の子供は絶対同じ目に遭わせたくないと願っただろうし、
そうやって今の平和な日本を作ってくれたんだね。

だから、大丈夫。


戦争の頃に苦労した人達の分まで、
人生の可能性を謳歌して
楽しい人生を送ってあげないとね。

だってありがたいじゃない。

もし誰かが途中で諦めていたら
私もあなたも今ここにいないかも知れない。

感謝しましょう。
せめて命を繋いでもらえた事に。

そして、また繋ぐんです。
どんなに不安でも、苦しくても。


私もこの7月に子供が産まれました。

この子が大人になった時、
そんな不安を持たずに過ごせるよう頑張らねばなりません。

60年間は草木も生えないだろうと言われた
真っ黒い焼け野原と残留放射能の中、
何の希望も無い中で命を繋いでくれた先輩達に負けないように。

それに比べたら
私達は不安よりも希望の方が多いはずです。

目の前の不安よりも希望を見よう。


頑張ろう。


~~~~~~


田舎に避難をしても当時は誰も知識を持っておらず
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から逃げた人達が隔離されたともいいます。

見た目にケガが無くとも
放射能の影響で様々な病気が発症し、
また病気が無くとも、広島の人間であるというだけで
仕事や結婚では差別を受けました。

「感染する」と。

私は心の底から思います。
よくぞそんな中を生きて下さいました。

そくぞ、将来私にとって
最も大事な女性となる人を生み育てて下さいました。



その新型爆弾が放射能爆弾である事も、
放射能なんて物さえ当時の人は知りませんでした。

大昔の話ではありません。

私の義父は
そこに居たのですから。

見えた症状はなく、定年まで無事に勤めを果たし
75歳になった今でも生きていますが
原爆症と診断されており体はボロボロです。

公務員で定年を迎え、退職金で夢のマイホームを建て
ようやく奥さんと孫達との時間をゆっくり取れる時間が来た。

その途端、小さな病気での入院をキッカケに
芋づる式に病気が繋がり、一昨年とうとう、
施設で面倒を看てもらうまでになってしまいました。

この年齢にもなれば、原爆にあっておらずとも
そんな方達も大勢いらっしゃるでしょうが
やはり家族が思うのは「原爆にあっていなければ」という事でしょう。

運と言ってしまえばそれまで。
しかしそんな運があるのかと。


今の女房を嫁にもらうため
7年前お義父さんにご挨拶に言った時、お義父さんはすでに
家族以外には理解できない程度の会話しか出来ませんでした。

結婚に対しては特に何も仰いませんでしたが
1つだけ言われた事が
「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」

時代も違い、その今の日本教育がどうなのかとも思いますが、
そういう事ではなく、当時の世の中の状況、
ご自身が出来なかった夢を託されたのだと思いました。

教育という物の怖さ、
大事さを知ってのお言葉だったのだと思います。

先輩のありがたい言葉です。



黙祷


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