配信日時 2018/08/06 17:43

平和宣言2018

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どうも、松原です。

早いもんですね。

私が2007年の2月にこのメルマガを書き始めてから
気がつけばもう12回目の8月6日がやって来ました。

本日、8月6日。

毎年この時期になればTVなんかでも取り上げ始めますので
今日が何の日か知っている人は多少いるかも知れません。

でも、これが、何月何日だったかと聞かれて
8月6日だと答えられる日はほぼいないでしょう。

広島と長崎の人以外は。


ほんの73年前の出来事でした。

8月6日、8時15分。

今年も、広島市とその周辺地域では
08:15にサイレンが鳴り響いていたようです。

というのも私、今朝はまだ東京におりましたので
8時15分には広島におりませんでしたが
女房と息子はサイレンに合わせて
あの方角へ向かって手を合わせて黙祷したと言っていました。

私も遠く離れた東京からお祈りをしました。


たった73年前の今日、たった1発の爆弾により
あっという間に、10万人もの人が、
悔いを残す間も無く亡くなり、
生き残った方は死ぬより辛い地獄を味わったと言います。

今日と同じように暑く青い空の上空からでした。


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■平和宣言 2018年
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73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、
いつも通りの一日が始まろうとしていました。

皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。

8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。

摂氏100万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。

立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、
街は破壊し尽くされました。

「熱いよう!痛いよう!」

潰(つぶ)れた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。

「水を、水を下さい!」息絶え絶えの呻(うめ)き声、唸(うな)り声。

人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。

随所で降った黒い雨。

脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、
生き延びた被爆者の心身を蝕(むしば)み続け、今なお苦悩の根源となっています。 

世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、
核兵器が炸裂(さくれつ)したあの日の広島の姿を再現させ、
人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。 

被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、
それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。

年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。

20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、
美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、
その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。
核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい。」と訴え、
命を大切にし、地球の破局を避けるため、
為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。 

昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、
被爆者の思いが世界に広まりつつあります。

その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、
核兵器の近代化が進められるなど、
各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。 

同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。

「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。
過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。
人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う。」

人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めたとき、
再び重大な過ちを犯してしまいます。

だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。

核兵器の廃絶に向けた取組が、
各国の為政者の「理性」に基づく行動によって
「継続」するようにしなければなりません。

核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、
相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、
長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。

為政者は、このことを心に刻んだ上で、
NPT(核不拡散条約)に義務づけられた核軍縮を誠実に履行し、
さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への
一里塚とするための取組を進めていただきたい。

私たち市民社会は、
朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。

為政者が勇気を持って行動するために、
市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、
核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。
世界の7,600を超える都市で構成する平和首長会議は、
そのための環境づくりに力を注ぎます。

日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、
国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、
その役割を果たしていただきたい。

また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、
放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げ、
被爆地長崎、そして世界の人々と共に、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

 

平成30年(2018年)8月6日

広島市長 松井 一實


※平和宣言 2018年 広島市のサイトより引用
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html


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■何のために生きるか
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私は人生を楽しむために生きています。

苦しい時もありましたが、思うのはいつも
祖父母やもっと先輩達が生きて来た時代の苦しさでした。

夢など見る余裕も無く、
明日の食べる物さえ満足でなく、
容易に子供は死んでしまうような世の中で
生きるために生きて来た方達を思うと
今の自分の辛さなど大した話ではないと思えました。

今の時代、
容易に弱音を吐く人が多過ぎると思いますが
私は、そういう人は比較対象を持たないからだと思います。

そうすると、本当に些細な事で
死ぬほど苦しんでしまう事になるんじゃないでしょうか。

人間、そんなに弱くありません。

そんなに弱ければ
我々まで命は繋がっていないです。


女房の父親は小学生で被爆し、
一瞬で街が焼け野原になってしまった事で
「家に帰りたいけど建物が無いから方角が分からなかった」
と言っていたそうです。

恐らくその帰り道には、
炭のように真っ黒焦げの人や
体中にガラスや石が刺さった人や
破裂した内臓が垂れ下がった人や
体の半分が無くなってしまっている人などなど、
人間とは思えない人だらけだったと思います。

芋ばかり食べて育ったので、
うちの女房がお父さんに「芋を食べたい」と言った時には
「もう芋は食べたくない」と言ったそうです。

私の田舎の曾祖父母も
小さい頃遊びに行くと、とにかく
「腹は減ってないか?何か食うか?」と言ってました。

自分が小さい頃、食べられなかったからでしょうね。


そりゃあ、そんな時代を生き延びた人達と比べたら
我々には根性が足り無いのは当然でしょう。

幸せ過ぎる時代の弊害だと思います。

しかし、それを当たり前と思っているので、
幸せだと感じられない人が多いのが今の世の中ですよね。

十分安全で幸せなはずなのに
生きていて楽しくない、まだ満足出来ない、と
果てしの無い、必要も無い欲望にとらわれているように思います。

他人の人生を生きて、
現実を見ずに幻の中で生活しているとでも言いますか。


別に、亡くなっていった先輩達の
希望に沿って生きる必要も無いとは思いますが
きっと「幸せに生きられる時代であるように」と願われたはずです。

自分達は仕方無い、
でも子供、その子供の時代に
日本が立ち直り、安全で幸せな国であるように、
そして、それだけを願われただろうと思います。

あなたは今、十分に幸せでしょうか?

私は、十分過ぎるぐらいに幸せです。

ご先祖様に向かって
お陰様で最高の人生を送らせて頂いております、と、
言いたいです。

足り無い物は何一つありません。

自分には余る物まで手にさせて頂いたので、
他人に分け与える機会も少しずつ増えましたが
これも先輩達を思ってです。

昔の人は、
自分がいくら貧乏でもしんどくても
周りの人を気遣い、時には自分が食べなくても
他人へ施して皆で生きて来ました。

私は、周りの人達を見ていて、
どこまで欲が深い人達なんだろうと思わざるを得ません。

それだけの欲を抱えて生きられる事自体が
とても幸せな事だと思うのですが、
それを幸せだと感じられない不幸な人だらけです。


あなたは自分の子供や子孫に、
どう生きて欲しいと思いますか。

どんな日本であって欲しいと願いますか。


私は、自分の子供には
幸せに生きて欲しいと思います。

何をして、どんな生活をしても構わないので、
幸せだ、と思える生き方さえしてくれれば
それだけで良いと思います。

私の親や祖父母、さらにそのずっと先輩達も
そう願って来たはずです。

そして、間違い無く、
少しずつ社会は進歩して幸せになって来たはずなのに
特に今はそのピークにはるはずであるのに
恐らくこの100年ぐらいの中では不幸な人が最も多いんじゃないでしょうか。

原爆で焼け野原になったあの頃の人達よりも
精神面では不幸な人が多いんじゃないかと想像します。

可能性だらけの世の中なのに
夢は見るけど何の挑戦もしない。

自分の事ばかりで他人なんかどうでも良い。

お金ばかりを追いかけて
精神面で満たされない。

贅沢をしているのに
贅沢だと感じられない。


自分が幸せでなければ
もちろん子供は幸せにはなれないでしょう。

私の親は、人生を満喫し、
生きる事が楽しそうに見えていました。

だから私は大人になるのが楽しみでしたし
今でも、早くもっと歳を取りたいと思っています。

私はとても楽しく生きていますし
私の息子もきっと人生を楽しんで生きるでしょう。


あなたも幸せなはずです。

もし足り無い欲望に囚われているなら、
はやく気付く事だと思います。

自分が現実を生きていないという事に。

見えない不安や
漠然とした恐怖に追われているだけで
実は今目の前は十分に満たされているという事に。


命とは、生きるとは、死ぬとは。

ほんの少しでも
そんな事を必ず毎年思い返すこの日を
私はとても大事に思っています。

自分はなんて幸せなんだろう。

そう思わせてくれる今日に感謝です。


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■過去のメルマガより
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このメルマガは比較的新しい読者様も読まれていますので
過去に11回配信した8月6日のメルマガから
読者様から反響の大きかった物からいくつか転載致します。


■2017年8月6日のメルマガより

私は先月、沖縄の座間味島へ行って来ましたが
そこには「太平洋戦争沖縄戦上陸第一歩の地」
という碑が建っていました。

「ここか・・・」と鳥肌が立ちました。


日本中に、そんな場所、記念日がありますよね。

それが私や広島の人間にとっては8月6日ですが
あなたにも何かそういう記念日があるでしょうか。

戦争ではなくとも、阪神大震災や
東日本大震災、つい昨年の熊本など
命を思う1日というのがあるのではないでしょうか。


実は、私は昨日、
知人の告別式で鹿児島へ行って来ました。

この歳になると
毎年誰かを見送る事になり
自分自身も死に近づいている事を実感します。

また、私の場合、
40歳になってから息子が産まれていますので
こいつが成人するまで生きられるだろうか、
という不安があります。

自分が死ぬ事はどうでも良いのですが、
もしこいつが独り立ちする前に私が死んだら
残された家族はどうなるだろうか、と。



約70年前。

愛する家族、まだ見ぬ子孫のために
命を賭けて戦った人達のおかげで私達は生きています。

会社の仕事はしんどいかも知れません、
将来が不安かも知れません。

でも。

戦中の方達が聞いたら
ブラック企業?
その程度がどうした?と笑うでしょう。

食う飯があるんだろう?
明日死ぬ恐怖は無いんだろう?

愛する人も健康なんだろう?


それに比べたら
我々には何でも出来るチャンスがあるはずです。

もちろん、この平和な世の中ですので、
何もしないという自由も選べるわけです。

それに、別に亡くなった方達のために頑張るというのも
違うのかもしれません。

正直を言うと、私だって、
あの方達の分まで頑張ろうなんて思っていません。


ただ、
有り難い事は間違いありません。

感謝もしています。


たった1日さえ無駄にせず
必死に生き続けるという事は難しいでしょうが
せめて心にはとめておきたいものです。

戦争ではなくとも
人は死にます。

あっけなく死にます。

交通事故だったり病気だったり、
昨日まで元気だった人が、
自分の大事な人が突然消える事は珍しくありません。

歳を重ねるほど
そういう事が周りに増えて行くでしょうし
次は自分の番なんですよね。


たった1日だけで良いから、
それが別に今日でなくても構わないから
あなたの目の前にいる大事な人の顔を見て
「もしこの人が明日死んでしまったら」と
真剣に想像してみて下さい。

または、もし自分が明日死んだとしたら、と。

それは「確実にいつか来る日」なんですから。


それがもし、明日や明後日でなくとも、
1ヶ月先だと決まっていたらどうしますか。

あなたは何をして死にますか。

大切な人と何をして過ごして、
何を残して死にますか。

もし1年か2年の時間が残るなら
何をするでしょうか。


今の会社で働きながら死にますか。

アフィリエイトやネットビジネスは続けますか。

今、日々やっている事は
あなたと大事な人の命を賭けているのだという事です。

よく、命がけで頑張る、なんていう言葉がありますが、
人間、生きているだけで命がかかっているわけです。


死ぬ時、
ほとんどの人は、後悔ばかり残るでしょう。

でも、その後悔が少なくなる努力は出来るはずですし、
やっていない人がほとんどです。

不満のある日々も自分の選択です。

戦中、戦後の先輩達には
選択の余地もありませんでした。

死にに行け、とまで言われた人がいるわけです。


それに比べれば
我々の苦労なんて
自分の努力1つで簡単に抜けられるはずですよね。

たったの半年、たったの1年、
本気で、死ぬ気で頑張れば
人生なんていくらでも変えられるはずなのに
それを選ばないのは自分です。


一昨年、被爆した義父が亡くなりました。

昨年、義母と祖母が亡くなりました。

みんな、戦争を知っている人達ですが
子供に戦争の話をした事がありません。


真面目に生きなさい、
人に迷惑をかけてはいけません、
嘘をついてはいけません、
質素な生活をしなさい、
一所懸命働きなさい、
子供に教育を受けさせなさい。


我々世代なら
必ず祖父母から言われた言葉でしょう。

出来ていますか。

時代が違う、という人もいると思いますが、
それも良いと思います。

自分が信じるものがあり、
幸せに生きられるのなら。


そして、大事な事は
その自分の考え方や生き方というのは
自分の子供やその次の世代に受け継がれるという事です。

胸を張って生きて、
悔いなく死ねるように努力したいものですね。


■2011年8月6日のメルマガより

66年前の今日
たった一発の爆弾から
一瞬で10万人もの人間がこの世から消えました。

爆心地に近い人は「蒸発」して消え、
その強烈な閃光でその蒸発した人の「影」が
石段に残りました。

炭のように焦げ、皮膚が溶け、
飛んで来たガラスの破片が全身に突き刺さり、
内蔵が飛び出し、垂れ下がったまま、
自分が生きている事さえわからず「動いている人」が何万人も。

焼けた体がやがて意識無く水を求め
すぐそばにある元安川の水を飲み、飛び込み
そのまま川に流れて行きました。

浮いている人で水面が見えないほどだった、とも。

この川は定期的な調査が行われ
今でも川底から
その方達の遺骨が見つかる事があります。


「運悪く生き残った人」の方がもっと多かった。

誰もが殺してくれと頼んだそうです。
苦しみと生き残った罪悪感に呵まれながら。

ヤケドは治療するすべも無く
腐り、体からウジが湧く。

水をくれ・・・水・・・と言いながら
その水を含んだ途端
息絶える人が多かったそうです。

怪我無く無事だったとしても
辺りにはそんな人だらけで
それを見た子供の心は大丈夫だったでしょうか。


田舎に避難をしても当時は誰も知識を持っておらず
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から逃げた人達が隔離されたとも。

その新型爆弾が放射能爆弾である事も
放射能なんて物さえ当時の人は知りませんでした。


大昔の話ではありません。

私の義父は
その「ヒロシマ」に居たのですから。

見えた症状はなく、定年まで無事に勤めを果たし
70歳を超えた今でも生きていますが
原爆症と診断されており体はボロボロです。

公務員で定年を迎え、退職金で夢のマイホームを建て
ようやく奥さんと孫達との時間をゆっくり取れる時間が来た。

その途端、小さな病気での入院をキッカケに
芋づる式に病気が繋がり、一昨年とうとう、
施設で面倒を看てもらうまでになってしまいました。

この年齢にもなれば、原爆にあっておらずとも
そんな方達も大勢いらっしゃるでしょうが
やはり家族が思うのは「原爆にあっていなければ」という事でしょう。

運と言ってしまえばそれまで。
しかしそんな運があるのかと。


今の女房を嫁にもらうため
6年前お義父さんにご挨拶に言った時、お義父さんはすでに
家族以外には理解できない程度の会話しか出来ませんでした。

結婚に対しては特に何も仰いませんでしたが
1つだけ言われた事が

「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」

時代も違い、その今の教育がどうなのかとも思いますが、
そういう事ではなく、当時の世の中の状況、
ご自身が出来なかった夢を託されたのだと思いました。


■2012年8月6日のメルマガより

今年の8月6日は
これまで67年間の1日とは少し違います。

昨年の原発事故をきっかけに、放射能という物の恐ろしさを
久々に「体験として」日本人が知っているからです。

今はまだかろうじて、私達の世代がギリギリ
当時の先輩方から体験を直接聞く事が出来ていますが
あと10年もすれば話を聞ける機会もなくなります。

被爆者がどなたも亡くなるから。

私は原発に関しては肯定も否定もしません。
ただ、そこに「放射能」がある事を
「あの体験」した人達は無条件で否定するでしょう。

もし「あの光景」を見たならば
どれだけの安全対策を施してあろうが
それを受け入れられない気持ちは理解できます。

せめてその気持ちをくんだ開発と運用を祈るばかりです。



人はどんなに想像を膨らませようとも
どんなに勉強しようとも、「体験」には勝てません。

そしてその体験者が間もなく世の中からいなくなりそうな今、
「教わる事のできる残された時間は短い」という事を考えるべきです。

その方達の感情のためではなく
未来の子供達のために。

福島の若い女の子達がTVで言っていました。
「私、結婚できますか?子供を産めますか?」


大丈夫だよ。

その昔、戦争が終わった後、
同じ不安を持った先輩達がちゃんと結婚し、
僕たちを産んでくれたんだから。

そして、君たちの子供には同じ不安を持たなくて済むよう、
そんな日本を作って行くのが僕たち、君たちの世代だ。

君たちのお爺ちゃんやお婆ちゃんも若い頃、
きっと、戦争を起こした国や先輩達に不満と不安を持ち、
自分の子供は絶対同じ目に遭わせたくないと願っただろうし、
そうやって今の平和な日本を作ってくれたんだね。

だから、大丈夫。


戦争の頃に苦労した人達の分まで、
人生の可能性を謳歌して
楽しい人生を送ってあげないとね。

だってありがたいじゃない。

もし誰かが途中で諦めていたら
私もあなたも今ここにいないかも知れない。

感謝しましょう。
せめて命を繋いでもらえた事に。

そして、また繋ぐんです。
どんなに不安でも、苦しくても。


私もこの7月に子供が産まれました。

この子が大人になった時、
そんな不安を持たずに過ごせるよう頑張らねばなりません。

60年間は草木も生えないだろうと言われた
真っ黒い焼け野原と残留放射能の中、
何の希望も無い中で命を繋いでくれた先輩達に負けないように。

それに比べたら
私達は不安よりも希望の方が多いはずです。

目の前の不安よりも希望を見よう。


頑張ろう。


〜〜〜〜〜〜


田舎に避難をしても当時は誰も知識を持っておらず
「ピカ(原爆)は伝染する」と言われ
広島から逃げた人達が隔離されたともいいます。

見た目にケガが無くとも
放射能の影響で様々な病気が発症し、
また病気が無くとも、広島の人間であるというだけで
仕事や結婚では差別を受けました。

「感染する」と。

私は心の底から思います。
よくぞそんな中を生きて下さいました。

そくぞ、将来私にとって
最も大事な女性となる人を生み育てて下さいました。



その新型爆弾が放射能爆弾である事も、
放射能なんて物さえ当時の人は知りませんでした。

大昔の話ではありません。

私の義父は
そこに居たのですから。

見えた症状はなく、定年まで無事に勤めを果たし
75歳になった今でも生きていますが
原爆症と診断されており体はボロボロです。

公務員で定年を迎え、退職金で夢のマイホームを建て
ようやく奥さんと孫達との時間をゆっくり取れる時間が来た。

その途端、小さな病気での入院をキッカケに
芋づる式に病気が繋がり、一昨年とうとう、
施設で面倒を看てもらうまでになってしまいました。

この年齢にもなれば、原爆にあっておらずとも
そんな方達も大勢いらっしゃるでしょうが
やはり家族が思うのは「原爆にあっていなければ」という事でしょう。

運と言ってしまえばそれまで。
しかしそんな運があるのかと。


今の女房を嫁にもらうため
7年前お義父さんにご挨拶に言った時、お義父さんはすでに
家族以外には理解できない程度の会話しか出来ませんでした。

結婚に対しては特に何も仰いませんでしたが
1つだけ言われた事が
「子供には、しっかりした教育だけは受けさせなさい」

時代も違い、その今の日本教育がどうなのかとも思いますが、
そういう事ではなく、当時の世の中の状況、
ご自身が出来なかった夢を託されたのだと思いました。

教育という物の怖さ、
大事さを知ってのお言葉だったのだと思います。

先輩のありがたい言葉です。



黙祷



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