2011年3.11 14:46頃
らっぽんにはスタッフとビジター含め13名がいました。
大きな揺れに
棚から落ちたエンザイムは次々と落下し割れていきました
施術室の壁は倒れ
街の木々たちも揺れていました
当時のリーダーであるMさんが
ビジターさんを階段で外まで誘導し
カルテと予約票を持ちみんなでカフェから
各ビジターさんに電話をかけ
予約の調整をしていました。
その時は
あんなに大惨事になっているとは
想像していませんでした。
テレビで連日流れる被災地を見ていて
いてもたってもいられなくなり
情報をツイッターからメルマガで拡散しました。
夜中までおくり続けたので
クレームが殺到し
1000名以上いた登録者は300名ほどに減少しました
それでも
メルマガの拡散をやめませんでした
理由は私が関わっている方のためでした。
中には宮城県からメルマガ読者で健康相談を受けていた方もいました。
震災直後連絡は取れなくなりましたが
数日経って無事であることがわかりほっとしました。
ボランティア活動したくても
通れる道もインフラも整ってなくて
募金だけを募る毎日
ようやく夏にボランティアに行ける道が開かれて
仲間と一緒に何度も何度もいきました。
当然交通費は自腹です。
物資もそうですが
会うだけでも勇気付けられると言ってくれる方もいて
それでも物資も言葉も足りなくて
無力感を感じた毎日でした。
今まで見たこともない瓦礫の地平線
現地の人の生のお話は
想像をはるかに超えていました。
避難所で待機していた人たちがゆっくりと入ってきた津波に
目の前で飲み込まれていく話や
一晩中
海の向こうから人の声が聞こえていた話や
海岸沿いの死体からも金目のものは
すべて取られています。
指輪は指ごとだそうです。
今思い出しても
胸が詰まる思いでいっぱいで
私は被災者の悲しみを本当に深く胸に刻みました。
これからも私は一生懸命生きていきます。
深くご冥福をお祈りいたします。
2020.3.11 粟飯原 正和
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